銀のソナチネ:1

玄関の靴箱の上に活けられた山茶花が、午後の光を浴びてゆっくりと揺れた。

冬の冷たい風に頬を上気させ、はにかむように微笑みながら戸口に立っていた少女の姿を、京一はその人生の終わる日まで忘れることはないだろう。

二つ結びにした黒い髪は、セーラー服の三本線を越えてふわりとかかる。グレーのコートの袖から覗く華奢な指先。長い睫毛に縁取られた硝子玉のような瞳が、真っ直ぐに京一を捉えている。

その一瞬は、京一が人生でたった一度だけ感じた、永遠だった。


同級生なんだよ、と紹介された少女の名は、梓と言った。

梓。
京一は何度も、何度もその名前を、分厚い単語帳に書き込むように、反芻する。
知っていたはずだった名前。記憶の片隅にぞんざいに投げられていた名前。
急いで拾い上げられたその名前の書かれた辞書のページに、京一の宝物の、宇宙船が施された繊細な作りの銀の栞が挟み込まれていく。

梓。
弟の、恋人の名前。

こんなに、こんなにも美しい、少女だったのか。


はじめまして、瑶介君からしょっちゅうお話は伺ってます、と梓は京一に頭を下げる。
「こちらこそ、瑶介から話は聞いてます」
早口でそれだけ答えると、早く中に入れてやれ、寒いだろう、と瑶介に声をかけた。梓から目を逸らす理由が出来て良かったと、内心ほっとした。

「兄さん、母さんは?」
「まだ帰ってない。トゥループへ行くって言ってたから、それほど時間はかからないと思うが」
「じゃあケーキだな。梓、こっち。お茶出すから」
梓と瑶介がリビングに歩いていく気配を、京一は玄関に立ち尽くしたまま背中で見送った。

鳴ることのなかった、京一の心の奥深くにしまいこんでいた銀のピアノの蓋が、音もなく開いた。鍵盤はあの日を境にずっと、ずっと寂しげなメロディーを叩き続ける。今も、今もずっと。



第2回に続く
(全7回予定)


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