天の川の向こう岸

あれから1年。

あの日、テレビの音が聞こえなくなるくらい猛烈な雨音に、もしもどこかが崩れたら、避難した方がいいのか、それともこれだけ降っていれば外に出る方が危険では、と恐怖を感じながらも冷静にぐるぐると考えた。

真夜中の豪雨。私は一人だった。私が物理的にも頼れるおそらくは唯一の存在は、大病を患って入院していた。私は本当にたった一人で、猛烈な雨音を眠れずに聞いていた。
テレビでは放送されていなかったけど、その時にはもう、大きな、大きすぎる被害が広い範囲で、本当にあちこちで発生していたようだった。自分が情報源として使ったのはツイッター。ツイッターには、被害の大きさを物語る様々な声が 、既にいくつもいくつも投稿されていた。
外は闇。闇の中で、恐ろしいことが起きている。知らない街ではなく、すぐ近くで。それはおそらく、人生で初めて体験した恐怖だった。

今はまだ、詳しいことは書かない。もっと時が流れたら、改めて書き残そうと思っている。あの頃、見たもの、聞いたもの。いつでもそこにあったはずの日常の代わりに存在していた、非日常。砂埃に煙る、非日常。

あの大雨の被害は甚大だった。本当に多くの人々の生活に影響を与えた、甚大なものだった。私も少なからず影響を受けた一人だった。大きな被害はまったくなかったことが不幸中の幸いだったけれど、それが申し訳ない気持ちになるほど甚大だった。特に交通網の影響は大きく、私を含め本当にたくさんの人が困り果て、疲れ果てていた。

影響を受けなかった人間と受けた人間に、本当にくっきりと差が出た。ほんの十数kmの距離でも、それは出た。「そんなところに住むのが悪いんだ」と言っている人間もいた。その人間の居住地に、その人間も覚えているはずの時期に、甚大な被害をもたらした土砂崩れがあったことを忘れてそのようなことを言っているのなら、狂っているとしか言えない。

大好きなお店が、床上浸水の被害に遭っていた。大変な状況なのに、まあ何とかするしかないよ、と笑っていて、その明るさに少しホッとした。心配するLINEがいっぱい入ってて、という声に、胸がチクッとした。

私を心配してくれる人はいなかった。テレビで被害の大きさを見て連絡してくれた人はいたけど、実際に手を貸してくれる人はいなかった。たった一人で、時に困り果てながら、空腹と不安に怯え、誰かの声を聞くこともなく過ごしていた。
連絡をくれただけ、まだありがたい。あんなにいたはずの友達はもう誰もいないんだ、目を背けたかった事実が私を襲った。家に遊びに来たことや、年賀状をやり取りしていたことがある人、今も同じ土地に暮らしているはずの人々の顔が浮かぶ。誰からも連絡は無かった。知っているはずなのに。

テレビは見ないから、と言う人もいた。テレビも新聞もネットニュースも見ないで、この人がいる毎日は世界のどこにあるのだろう。それはその人の自由ではあるけれど、自分が被害を受けた時はきっと騒ぐのだろうに。
うちの地域も崩れたら危ないんだよねえ、とまったく関係ない話だけをする。あなたが大変な思いをしても、私はお見舞いの言葉もかけるまい。あなたと同じように。

それらは、薄々気付いていたことではあった。あったけれど。


私はあの土砂災害で悟った。
私は、居なくなってもいい命だった。
もし私に何かあったとしても、おそらく探されることすらなかった。


失われた命を嘆き悲しむ人々の姿が映るたびに、胸が締め付けられた。
何故、悲しむ人がいるとわかっていて、神様はその人を選ぶのか。

壊れた道路が甦っても、電車が再び走り出しても、街の姿が元に戻っても、孤独が私の心に付けた傷は今もまだ消えない。一生、消えないのかもしれない。

助けてください、の一言を、私は言えなくなってしまった。
あの苦しかった時期に、よりによって冷たく突き放されたこと。たとえ想いがあったのだとしても、あの時に言うべきじゃなかったと思う。
そのことに限らず、いつも「何故か」をちゃんと私に説明してくれる人はいない。私はどこに行ってもたいてい立場が弱くて、そんな人間には何を言っても何をしてもいいのだと無意識に考えている人々には、今回に限らず常に出会ってきた。

誰の責任でもない自然災害にすらも適用される、自己責任論。
誰かに責任を押し付けなければ、生きてもいけない弱すぎる個体の我々。

身体は無傷で残っても、心はどこにあるのかわからなくなるほどに、孤独に埋まってしまった。あの、雨の夏から。

ほんのわずかな糸を残して、私が今までに暮らしていた世界と私とが、ぷっつり切り離されたような気がした。
私にとっては、皆大切な糸だった。だから手繰り寄せようと思った。でも、切れた糸が戻ってくるだけだった。

ほんの少しずつ、優しい声がかかるようになった。インターネットは不思議なものだ。とても恐ろしい思いもしてきたけれど、発信し続けてきたことが、本当に、本当に少しずつ誰かに伝わっていったことを知った。私が今生きているのは、会ったこともない私の力になってくださった方々と、わずかに残った、残ってくれた糸の持ち主のおかげだ。

今までに暮らしていた世界でもたくさんお世話になったし、お世話になった人にはちゃんと恩を返していきたい、それは片時も忘れたことがない。
でも、恩を返せたら、もうあの世界とは、永遠にお別れしたい。
いくら探しても、あそこに私の居場所はない。やっと、わかった。
居場所を失って、孤独になって、でもいつか戻れると思っていたのだ、今までいた場所に。むしろ戻らなきゃいけないとずっと思っていたけれど。

七夕の雨。織姫と彦星の、永遠の別れ。
1年に1度会うことすらも面倒になった、織姫と彦星の。

別の世界にも私の居場所はまだない。ここも違うのかもしれない。けど、あの世界に戻れないのなら、この世界で生きていくしかないのだ。


豪雨災害から2ヶ月ほど経ってから、noteを始めた。
孤立と貧困と身体の病に苦しむ私に、ある人が声をかけてくれた。とても親切にしてくださった。一生忘れないと思う。インターネットが無ければ、おそらくこの出会いは起きなかった。
その時に教えていただいたのが、noteだった。

元の世界から容赦なく追い出されてしまった私が、たどり着いたnote。
なかなかうまく使いこなせないし、noteで求められる内容が書けないんだな自分には、と落ち込むこともあるし、嫌な思いをしたこともあるし、そのことを思い出すと今も怖いけど、noteがあったからこそ広がった世界もあった。

心の叫び、苦しみ、迷い、そういったものを時にぶつけてしまう私のnoteは、とても読みづらいと思う。孤立と貧困と病に苦しむ姿を「怖い」と思う人もいるらしい。あなたに向けて、あなたの幸せを壊すために書いているのではないのだけれど、その思いはたぶん伝わらない。
それなのに、目を通してくださる皆様にはいくら感謝しても足りない。

私のnoteから孤立と貧困と病が消えていく日を私は願っている。食べるものにも困り、常に住むところの心配をして、癒えない病に苦しみ続け、それを話せる相手すらおらず膝を抱えて泣き続ける生活は、もう嫌だ。何一つ先が見えず、絶望しかない一瞬一瞬が続く、今まさに続くこの毎日は。
ここに、私の居場所がありますように。見つかりますように。


西日本豪雨災害において、何らかの助力をしてくださった皆様に心から感謝を申し上げたいと思います。
遠くからボランティアに来てくださった方、寄付をしてくださった方、物資が行き渡るようにしてくださった方、そのほかにも本当にたくさんの皆様のおかげで、まだすべての方や場所には及んでいないかもしれないけれど、少なくとも私の生活は元に戻りました。私が何かを言える立場ではないかもしれないけれど、ただお礼が言いたかった、ずっと。

あの大雨をきっかけに抱いた様々な感情と経験を、今後に活かしていきたいと思っています。
願わくば、私のように世間から隔絶していて孤立してしまう人が、ひとりでも居なくなりますように。


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主にフィギュアスケートの話題を熱く語り続けるブログ「うさぎパイナップル」をはてなブログにて更新しております。2016年9月より1000日間毎日更新しておりましたが、現在は原則月・水・金曜日(たまに日曜日)。体験記やイベントレポート、マニアな趣味の話などは基本的にこちらに掲載する予定です。お気軽に遊びに来てくださいね。

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