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小説『鬼平犯科帳/大川の隠居』の舞台『船宿・加賀や』を散歩

小説「鬼平犯科帳」の「大川の隠居」の話に出てくる船宿「加賀や」を訪ねてみました。
大川というのは、今の隅田川のことで、ここで言う隠居とは隅田川の主、つまり齢百数十年という巨大な魚(鯉?)のことです。

主と呼ばれる魚だったり蛇は、昔からどこの河川や沼、湖や池にいるものです。
多くの場合、百数十年~数百年間生きているといわれ、体も大きく色も落ちて、鯉などは金色であったり、コケなどが付着していたり、一目でただものではないと感じる容姿をしているのです。
釣りあげて殺してしまったり、まして食べてしまうと祟りが起こると昔から言われています。
蛇などは直系50cmほどまでに大きくなり、横たわっている姿は、まるで木が切り倒されているかのようであったと、土地の古老が言っていたのを聞いたことがあります。

さて、平蔵が風邪をこじらせて寝込んでしまいます。
そこへ盗賊が忍び込み、大事な父の形見である銀煙管(ぎんきせる)を盗まれてしまうことから話が始まります。

思案橋跡

平蔵と剣友・岸井左馬之介と共に市中見廻りに出かけ、日本橋から江戸橋を渡り、思案橋の袂にある船宿加賀やに入ります。
思案橋は現在入江(東堀留川)が埋め立てられてしまい存在していません。
場所としては、小網町二丁目辺りで、ここにあった水路に架かっていました。
その袂に加賀やがあったとされています。

東堀留川跡

この船宿加賀やには、平蔵の銀煙管を盗んだ元盗賊、「浜崎の友蔵」こと友五郎が船頭として働いていました。
その界隈には船宿が軒を連ねていたそうです。
今でも都内の一部には船宿が残っていて江戸情緒を感じられる場所があります。

『船宿・加賀や』があったとされる場所

船宿(舟宿)とは、屋形船や船宿を営む商業施設のことです。
宿と称していますが、宿屋(旅籠)ではなく、船の貸出を生業としており、二階に休息所などを設ける場合もあり、社交場として人気があったようです。
特に江戸時代、江戸の町は縦横に河川や運河がめぐらされていて、正に水運都市でした。
現在は埋め立てられて道路になってしまっていますが、運河や濠だったところが沢山あります。

腕の良い船頭を雇い、諸々の船を所有して人荷を運搬する運送屋やタクシー会社のような存在でした。

今よりも江戸時代の方が、ずっと豊かで、人々は楽しむことを知っていたのではないか、そんな風に感じるのです。

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