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小説『鬼平犯科帳/老盗の夢』に登場する『鎌倉河岸』を散歩

小説『鬼平犯科帳』の「老盗の夢」などに登場する鎌倉河岸(かまぐらかし)を散歩しました。
火付盗賊改方密偵の小房の粂八は、板新道の裏長屋に住んで、鎌倉河岸に屋台を出し、市中の情報収集にあたっていた、と記されています。

鎌倉河岸は現在の日本橋川の北側、千代田区内神田の鎌倉橋付近一帯をいいます。
江戸城築城時に鎌倉から石材をここで陸揚げしたことに由来します。
鎌倉河岸は江戸城本丸に近い荷上場であったため多くの物資が荷上げされました。
隣接する町は鎌倉町(かまくらちょう)と名付けられました。

この地域は中世(鎌倉時代)の頃から河岸、港としてその機能を果たしていたのです。

江戸城築城の建築材料の荷揚場でもあり、江戸城築城の大工の棟梁として京都から呼び寄せられた甲良宗広(こうらむねひろ)は、鎌倉河岸に屋敷を拝領し、明治維新まで代々同じ場所に屋敷を構えていました。

現在でも一部、鎌倉河岸の遺構が残されています。

鎌倉橋は江戸城神田橋門外にあり、江戸城外濠に架かっていました。
神田橋門内、今の大手町には、出羽鶴岡藩(でわつるおかはん) 酒井左衛門尉(さかいさえもんのじょう)十七万石、播磨姫路藩(はりまひめじはん) 酒井雅樂守(さかいうたのかみ)十五万石、豊前小倉藩(ぶぜんこくらはん) 小笠原左京太夫(おがさわらさきょうだいゆう) 十五万石の屋敷が建ち並んでいました。

今では高速道路の高架に埋もれてしまい、ひと目ではわからなくなっています。

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