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小説『鬼平犯科帳/迷路』に登場する『旗本・河野吉十郎の屋敷』推定地を散歩

『旗本・河野吉十郎の屋敷』推定地

長谷川平蔵の長女「初(はつ)」の夫、西丸御番頭 河野長十郎実通の長男、河野吉十郎広通の屋敷が芝愛宕下(現 東京都港区西新橋三丁目)付近にあったとされています。
吉十郎は寛永五年(1793年)8月9日六百五十石の遺跡を継ぎました。
ちなみに、東京都港区赤坂の専福寺に子孫の墓があると記されています。
ただ、古地図の愛宕下界隈に河野家の屋敷は見当たらず、実在したのかどうかは分からないのです。

旧愛宕権現下界隈

しかし、実際、旗本に河野氏は存在しているので、その河野氏と同じなのか否か、調べましたが判明しないところがあるので、今回は小説上の情報だけを頼りに散歩してみました。

真福寺

河野吉十郎の屋敷は、旧愛宕下通と旧薬師小路が交差するあたりにあったとされ、その付近には越後長岡藩 牧野備前守 七万四千石、伊予松山藩 松平隠岐守(久松松平家)十五万石、大和小泉藩 片桐石見守 一万千百石の屋敷が建ち並んだ一角でした。
その突き当り、愛宕下通に面して、真言宗真福寺がありました。
真福寺は現在も同じ場所に存在しています。
真福寺横の鎧小路を挟んだ隣、今の虎の門ヒルズがある場所には、信濃松代藩 真田信濃守 十五万石、信濃松本藩 松平丹波守 六万石の屋敷などがありました。

信州の大名家の屋敷が隣同士という珍しい地域です。

長岡藩の牧野家も、長岡に転封する前は、信州小諸藩主だったのです。

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