鬱で大学中退した発達障害でトランスジェンダーがへっぽこトリプルワーカーに至るまで

■はじめに

大学2年になったころ、鬱病になった。
自殺未遂を経て入院し、発達障害や性別違和に向き合うことになった。
大学は中退した。
そして、トリプルワーカー?になった。
そんな話をします。

■学生時代

中学受験をして、大学も推薦でエスカレーター式に上がった。
やりたいことを端に寄せて、
就活に役立つこと・自分にできることで学部を選んだ。
勉強は全くのダメダメで、
小学生の頃が人生で一番勉強をしたというくらいだった。

大学の勉強も全然身が入らなかった。
サークルは2つ入ったがひとつは途中で行かなくなった。

なんの取り柄もない、甘ったれたダメ人間だった。
社会に出ることだけがただただ怖かった。

取り繕ってきた歯車がとうとう噛み合わなくなって
大学2年の頃、鬱病になった。

■趣味の世界

趣味の世界では仲間がたくさんいた(ように思う)
中学生からはじめたブログは
20万近い訪問者数になっていた。
LEGOが大好きで、プロになりたいと思っていた。
自分にはこれしかない。
しかし、どうやってもプロになるという道筋なんて見えなかったし、
周りに相談するのもバカにされる気がしてできなかった。
何も行動をせず、気ままに逃避するだけだった。

趣味の領域でも何者にもなれない、勉強もできない
何ができるんだろうか?
ただただ他人が羨ましかった。
自分が何なのかわからなくなった。

■下降時期

鬱になってからは、
自分のようなぬるい境遇でなぜ鬱になるんだろうかと
自責ばかりをしていた。
本当に恵まれた環境にいたと思う。
でもダメだった。
何もかもが噛み合わなくなっていた。

バイトも半年しか続かなかったがやめることになった。
大学の単位はボロボロになり
趣味も手につかなくなった。

一度投薬治療でかなり改善した時期があった。
そこで愚かにもバイトを初めてしまったことで
治りかけの病状が一気に悪化、自殺未遂をして入院となった。
首にくくった紐が擦れた傷は今でも残っている。

■入院生活

転院を2度ほどした。
他の患者の物音が耐えられなかった。
ただただ時間が経たないことが苦痛だった。

最後の転院先で知能検査を受けた。

発達障害に当たるらしい。
初めて知った概念だったけれど、思い当たる節はたくさんあった。

■退院後

退院してからは随分と無の時間を過ごしていた。
大学どうするんだろうか
これからどうなっていくんだろうか

発達障害は就職に不利!だの、ここがツライ!だの、
ネガティブな情報ばかり摂って具合を悪くしていた。

ある日から、前から趣味の世界で交友のあったおじさんと
また会うようになった。
母がセッティングしてくれていた。
ひたすらLEGOのパーツを仕分けたり説明書通り組み立てたり。
最初は何にも感じなかったけれど
だんだん楽しいと感じられるようになった。
いわゆる作業療法というやつだったのかもしれない。

目先のことだけを考えれば、
まだもうちょっと生きていけそうな気がした。

■転機

大学は一応休学ということになっていたが、
戻っても同じことの繰り返しになる。
申し訳なさでいっぱいだったけれど、中退した。

通信制の芸大に編入することにした。
はじめて自分で進路を選んだような気がした。
怖かったけれど、今は何かを創ることにだけに没頭したかった。

今まで、グラフィックデザインは全くしたことがなかったし
かろうじて絵を少し描くくらい、LEGOしか触ってこなかった。
けれどなんとなくデザイン科を選んだ。

最初は全くソフトの操作法もわからない
課題も何をどうやったらいいかわからない

そんな中またバイトを探しはじめていたのだが
過去とは違う理由でことごとく失敗していた。

■女装

というのも、男なのに髪を伸ばしていたからである。
いわゆる女装というのを普段からするようになっていた。

心の性別なんていうのは誰にもわかりはしないが、
短髪でズボンで、シャツでというのがツマラナイと感じていた。
好きになる相手の性別は、女の子が多いとはいえ両方だった。

LGBTのなにか?

女になりたいわけじゃない、けれど男ではありたくない。
一度死にぞこなった身としては、
生き方を縛られるのが嫌だった。

■デザイナーとしての道

一社だけたまたまバイトに受かった。
中規模のデザイン事務所だった。
そこは自分の性別のことも、鬱のこともわかった上で
さらには、まだ実務もへったくれもないほど
デザイン未経験だったのにである。

やっと居場所を見つけられた気がした。
そこからは働きながら勉強の日々で、
今持ってるスキルは全部ここで得たと言っても過言ではない。
今もまだ続けているが、もうすぐ3年目になる。

■次なる転機

2つ目と3つ目の仕事、
フリーランスでの業務と
大須クリエイトスペースの立ち上げからの運営スタッフに決まった。


きっかけについては記事があるので割愛。


わたしは、
・やりたいことを、どのライフステージでもやれる
・きちんと持続可能
というところを重視していて、
様々な事情や本人の特性にかかわらず、
やりたいことができる場所であって欲しいと思っている。

端的にいうと、
「鬱で大学中退した発達障害でトランスジェンダーのわたし」
でも、のびのびと活動ができる、働ける場にしたいと思っている。

何者でもないわたし。
色々やってはいるが特に何かで秀でているわけではない。
けれどそんな人でも楽しく生きられる社会であって欲しいし、
そうでないのなら、そうしていきたい。

わたしは、わたしの生き方で少しでも
悩んでる人を勇気づけることができるならと思う。
無責任にこの生き方がいいなんて言えない。
けれど、生き方の一つとして提示できるようになりたい。

まだまだ、仕事の面でもスキルの面でも発展途上だが
スタートを切った記録としてここに記します。

この記事が懐かしいと感じるほど、
青臭いと感じるほど成長できますように。


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