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フィリピンのクオータービザの取得に26歳でチャレンジした記録。決意の時#2

日本を脱出して、海外に行こう。

そう思った、1つのきっかけは会社を辞めたこと。

前回のお話はこちら

プロローグ#1

結婚とともに始まった過酷な生活

それまで、うさみ旦那と、その友人は2人でビジネスとしていました。

友人は仮にAくんとします。


Aくんとうさみ旦那がビジネスを2人でし始めて約6ヶ月。

うさみとうさみ旦那が結婚をしました。


うさみ旦那が住んでいたのは和歌山から約3時間かかる場所だったので、

うさみは保育士という仕事を辞めて旦那と一緒に住み始めました。

当初、引っ越した先で新しい仕事をしようと思っていたうさみ。


ですがある時、

「僕の仕事もいっぱいいっぱいやし、うさみが外に働きに行ったらホンマに時間が合わなくなると思う。

僕らの仕事、手伝ってくれたら嬉しいな」

とうさみ旦那が言いました。


「うさみ旦那と一緒にいれる時間が長いんだったら…」

うさみもAくんとうさみ旦那のビジネスをお手伝いをすることに。


Aくんとうさみ旦那やしていたビジネスはまだまだスタートアップ。


多くのスタートアップと同じように最初の数ヶ月、資金は火の車。自転車操業状態でした。

給料なんてもちろんなく、うさみも結婚前の貯金を切り崩しながらなんとか生活。


Aくんにとって、うさみの存在は”うさみ旦那のおまけ”程度の存在だったようで、将来的に給料が払われる約束もありませんでした。

完全にタダ働き。0円


そんな環境の中で寝る時間もほとんどなく、

1日のうちうさみのライフサイクルは

15時間:仕事
2時間:家事(料理・洗濯・買い物・掃除など)
2時間:食事・お風呂など
5時間:睡眠
1時間:雑務
というような感じでした。


うさみ旦那はさらにひどく、起きている間はすべて仕事。

仕事時間はうさみよりも長く、睡眠時間は短い。3〜4時間とか。

家から1歩も出ないような生活が1週間続く、というような軟禁生活を送っていました。


在宅ワークだったので通勤時間がない、オフィスがない分

仕事と生活は混同。

仕事のことで何度も旦那とは喧嘩になり、夫婦仲も最悪でした。


起業したのはブラック企業

それでも、1年ほど経つと

ある程度、ビジネスは形になり、節税の意味も込めて起業をすることに。


代表はAくん。


理由はうさみとうさみ旦那はAくんの影子の存在だから。

起業をよく理解していなかった、彼の口車にそのまま載せられ、株もすべてAくんが。


役員にはうさみもうさみ旦那もなりました。

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