見出し画像

女装サロンが女性蔑視ねえ…アホ臭いけど記事のネタにはなる。

まあ物事ってのは、言い方というものがあって。

僕は女装サロンを使ったことがないけど、そこで行われている「男性が外観上女性に寄せる」ことで「女性のフリをして不法行為を行う」ことを助長するらしい。

女形の歌舞伎役者であることが犯罪につながるのか?

まあ江戸時代から興行やってるんだし、たぶん何人かは犯罪も犯したかもしれませんが、じゃあ女形をやることが犯罪行為を助長したのか?

一般論としてそれはないと思いませんか?

仕草や話し方を真似することが蔑視になる?

というか、女装するということは当然、女性に寄せるわけで。「生物学的に男性なのに、女性のフリをする」のは蔑視と言えるのか?

むしろ逆だと思うんですよね。

だって外観上女性なのに仕草とかなにもかもが男性だったら、ただの変な人だし、それこそ周囲に不快感を与えませんか?

で、下世話な話、女性用トイレ入ったことある?

ない(笑)

なんで入る必要があるわけ?

表現の自由は公共の福祉によって制限される

サブカルなのに、なんでこんな表現使わないといけないのかとは思うが。

まず我々がどのような衣服を身につけるかは表現の自由の範囲。道端をほっつき歩くレベルで女装している男性というのは、一般論として、それゆえ必ずしも周りに過度な羞恥心を与えない。多少は与えるかもしれないが、程度の問題。

となれば一般論として「公共の福祉」の概念では周囲にそれを受忍してもらうレベルだと思う。

一方で、トイレという場所は少なくともそのへんの道端ではない。

そもそも排泄行為は他の人に見られることが禁忌されていて、さらに性別ごとに分けているのも、デリケートな区域だからに他ならない。

そういうデリケートな場所に僕らみたいなややこしい存在が入る場合、周囲に羞恥心とか困惑させてはいけない。

一般に女装は外見の最上層だけが女性だけど、客観的な中身は男性。そういう存在と普通の女性がその場で遭遇したら?

当然、嫌、というか恐怖心を覚えるのは想像に難くない。つまり実害がある。これは「公共の福祉福祉」という概念に反する可能性は高い。

つまりやるべきではない。

同権を叫ぶ人でも、そもそも無意識に

我々、別に犯罪行為をしたくて女装してるわけじゃない。女性を蔑視しているという意識は微塵もない。

逆に伝統的な男性像を支持する立場からは男性「性」を冒涜していると認識されていると思う。

ややこしいことに「男女差別はいけませんよ」と言っている人の中にはご自身がそう思ってなくても、無自覚に伝統的なジェンダーに縛られている人がいたりする。

具体例と言えば前世紀の新左翼武闘派の人ですね。表向き男女差別はいけないと言いながら、同志の女性には「お茶汲みとコピーとカノジョ」を望んでいたんだから。

レトリックの問題でもある

で、まあこの話題については、我々女装している当事者をすっとばして、全然関係のない外野が勝手に想像と仮定でやり合ってる感はある。

んでお互い当事者のことをあんまり知ってないからか、割と非現実的な議論になっていたりして、苦笑せざるを得ない。

彼らは結局のところ持っていきたい結論があって、それを理論付けて裏付ける「事実」を求めている。

その「事実」なるものもご自身に都合の良い荒唐無稽な解釈をしているケースがままある。でもお互いに内情をわかってないからか「事実」認定そのものについて争いが少ない。つまり気付いてない。そりゃ変だと。

で、まあ勝手に外野、というか外野の外の観客席で喧嘩してるだけならまだ微笑ましくもある。

でもフィールドにいるこちらにまで指図しようとしてくるのには辟易している。

ほっといてくれ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?