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神さまにエンカウントした話

今日中にどうしても書いておきたくて、日付が変わったこんな時間にPCを開いてこれを書いている。 

私は今日、神さまにエンカウントした。 

黒目がちの大きなくるりとした瞳でにこにこ笑いかけてくれた、小柄な体に黒いロゴ入りのスウェットの彼女との遭遇を、きっと私は生涯忘れることはないと思う。

なんてことはない、落とし物を拾ってくれたのが彼女だった

 最初に言っておくが「神さま」と表現したのは私の心象を語るうえでのことであって、実際には見出しのとおり、ランニング中に落とした家の鍵を拾ってくれたのが「その人」だっただけのことだ。

スピリチュアルなお話かと期待(不安?)されたのであれば申し訳ないのだけれど、傍から見れば若い女の子がランニングウェア姿のおばちゃんにモノを渡している姿なだけで、よくある日常風景でしかない。

 しかし、私にとっては紛れもなく彼女は「神さま」であった。

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 先日、誕生日の当日に思いがけない物件情報を頂いた話を投稿した。

この時に「覚醒」という言葉を使ったのだけれど、実はここ2ヶ月近く体調がすぐれないことが続き、頭の冴えまで失っていた私は、頻繁に「忘れ物」や「落とし物」を繰り返すことが続いていた。

スマホを忘れて現場に来てしまったり、乗換駅を勘違いして現場に1時間近く遅刻したり、もはや仕事では信用問題になるレベルである。 

それを何とか払拭せねばと思っていたにも拘らず、今日いそいそと出かけたジムの手前で、またもやスマホ(さらに煙草も)を忘れたことに気づいた私は、いったん家に戻らざるを得なくなってしまった(ジムのセキュリティをスマホのアプリで管理しているので)。

この「いったん家に帰る」が曲者だった。
そう、ジムに行きたくなくなるのである。

夕方でお腹も空きはじめ、夕飯の買い物に行って家で本を読みたいという抗いがたい欲求に対して、私は自分自身にひとつの提案をした。

「散り初めの土佐堀川沿いの桜を見に行くのにランニングに出よう。
走りながらジムに行くかどうか考えよう」 

今年の桜は11日に見た御霊神社の桜だけだ。

福島へ向かう新なにわ筋から入る土佐堀川沿いの遊歩道には桜並木がある。夜ランの夜桜ではなく、夕暮れ時の今ならまだ愛でるにも明るい。

土佐堀川沿いの桜並木

ジムに行く荷物の中から着替えを引っ張り出し、Tシャツだけはロング丈のものに着替えて私は外に出た(この時もマンションのエントランスでイヤホンを忘れたことに気づいて家まで上がるというポンコツぶり)。 

ゆるゆると走るつもりが意外といいペースで走れていることに気をよくした私は、5kmぐらいで帰るつもりがいつもの10kmコースに突入していた。

中之島公園を抜け、天満橋北交番を東に折れて南天満公園を走り出して、ここでも夕暮れ時の桜を撮った。

そして天満橋までほど近くなってから、イヤホンで聴いていたB’zのライブ音源を別のライブに変えようとウエストポーチからスマホを取り出したとき、ポーチの違和感に気づく。

 「…鍵がない」 

ランニングの時はキーホルダーから自宅の鍵だけを抜いている。

スマホを出すときにいつも注意しているつもりだったが、頭のキレも冴えも回転も落ちていた私は、ポーチからスマホを取り出したタイミングで鍵を落としたことに初めて気づいた。

すでに走り出してからの距離は5km近くになっている。鍵を探そうにも辺りは暗くなってきており、ライトをつけなければ探し出せないに違いない。
しかも5kmといえば歩いて1時間以上かかる距離だ。
見つからなければこの半袖のランニングウェア姿で実家まで電車に乗って鍵を取りに行かなくてはならないのだ。

私は顔面蒼白になった。

とりあえず落ち着こう、とYouTubeの音源を落とし、気を取り直してアプリで写真を見返して今日撮った写真の場所を確認する。

今日に限って桜を撮りながらだったので何回も止まってスマホを取り出していたし、橋の上から夕陽を撮ったりしていたので、橋から鍵が川に落ちていたら目も当てられないと、暗澹たる気持ちになりながら、私は元来た道を歩きながら戻り始めた。

ここで落として無くてよかった…

「まぁでも死ぬわけじゃないし」と自分に言い聞かせてはみるものの、死ぬほど恥ずかしい思いをして電車に乗らなくてはならないかもしれない。
それを誰かに写真を撮られて、顔を隠してXに上げられちゃったりしたら、それは死ねる恥ずかしさだなあ、しかもペラペラのランニングTシャツ1枚で寒いしなぁと鍵を探して俯きながら歩きはじめること数百m、南天満公園から天満橋北交番へ出るバリカーのところで声を掛けられた。

「あの、何か探し物してはりませんでした?」

ショートボブに大きな瞳、大きめのスウェットを萌え袖にして握った彼女は活舌のいいはっきりした口調で話しかけてきてくれた。 

「え、ああ、そうなんです。鍵を落としたみたいで」

「よかった!コレじゃないですか?」

彼女は手のひらに握っていたMIWAの鍵を差し出して嬉しそうに笑ってくれた。

「後ろ歩いてたんですけど、なんか探してはるなあと思ってたんですよ。入ってはった草むら見てたら私のほうが鍵見つけちゃったんで、これじゃないかと思って」

「うわあああ、コレです、コレ!本当にありがとうございます!」

私は一瞬で涙が出そうになった。
「御礼したいのに…今現金持ってなくて。ペイペイとか使ってます?」

探し始めて10分も経たないうちに鍵が見つかったことに動揺した私は、彼女にどう御礼をしたらいいのかわからなかった。

 「いいですよ!そんなの!気を付けて帰ってくださいね」

語尾にハートマークをつけたくなるような愛らしい笑顔で彼女はそれだけ言うと、踵を返して先に歩いていたのであろう友達のところに走りながら戻っていった。 

私はその後ろ姿が見えなくなるまで見送ったあと、気を取り直して念願だった「大阪城ラン」まで初めて足を伸ばすことを決めて足を踏み出した。 

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たった14文字のできごと

「無くした鍵を拾ってもらった。」

文字にすればたった14文字のことだけれど、私にはとても示唆に富んだ出来事だった。 

体調の悪さの原因が分かっているのに手を打たなかった自分。
その延長線上にある不眠と栄養不足にも気が付きながら放置していた自分。
自分の身体が発するサインを無視し続けると、頭(と、それに制御される行動にも)に影響が出るのは経験上分かっていたのに、あまりにそれらに無自覚だった。 

ランニングウェアで鍵を無くす、というのは恥ずかしいことに違いはないけれど、命の危険があるほど喫緊の状態というわけではない。

だけれど「これで済んでよかった」と、彼女は改めて自分の状態がいかに「ギリギリ」なのかということを知らせに来てくれたような気がしてならない。

忘れものをしても、落としものをしても、そこから第三者が絡むことは今までほとんどなかった。
「あー無くしちゃった」
「忘れ物しちゃったから取りに帰らなくちゃ」

諦めの自己完結で終わっていた事態に、彼女は「気をつけて(帰ってくださいね)」と光を射してくれたくれたと言ってもいい。

それほどまでに心の中が感謝でいっぱいになった出来事だったのだ。

間違いなく彼女は、私にとって「かわいい女の子の姿をした」神さまだった。

既に3000文字を超える長編になってしまった今日の出来事。

前回のnote同様に「覚醒」を促す出来事が続いているということは、私はきっともうあと一歩前へ踏み出さなくてはならないタイミングなのかもしれない。 

散り初めの桜も美しかった。
初夏になれば葉が茂り、夏には色濃い木陰が川辺りを吹き抜ける風と一緒に涼しさを運んでくれるのだろう。

ここまで書いて、竹内まりやの「人生の扉」を思い出したので貼っておく。
リリースは8月で真夏なのに、私にとっては2:40からの歌詞の印象が強すぎてすっかり「春」の歌になっている。


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