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鈴が鳴っている

 ニュータイプという言葉が出てきたのは人間が宇宙に上がって七十年以上が経過してからであるが、その概念の成立は『地球人』と『宇宙人』の対立を抜きにして語ることはできないだろう。

 宇宙は、かつて選ばれた一握りの人間だけが調査研究のために上がれるような遠い場所であった。
 しかし、宇宙への入植が夢ではなく現実的な施策となり、ラグランジュ・ポイントへスペースコロニーが建設されるようになったころにはすでに、そこは単に増えすぎた人口の受け皿となっていた。

 地球連邦による移民政策を指す際、『棄民』という用語がよく使われる。
 住んでいた場所を追われて移民の名目で棄てられ、あまつさえ経済的な不平等を強いられた。自尊心を損なうには十分な仕打ちだったはずだ。その文脈の中に、初期のニュータイプ論は配置される。
 ジオン・ズム・ダイクンが唱えたニュータイプ論は宇宙に住環境を広げたことによる『人類の革新』であり、その主張には根深く『新しい人類として覚醒した宇宙移民』の『旧態依然の地球人類』に対する優越が含まれていた。
 宇宙へ棄てられた人々の失われた自尊心を回復し、権利を主張するための、その拠り所としての『ニュータイプ』──
 スペースノイドのアースノイドに対する優越、という構図は、ザビ家による地球圏支配の正当性を支えるものとして利用されていくけれども、ご存知の通り、こんにち使われている『ニュータイプ』とは似て非なる概念である。ザビ家の人間とて、その国名に人望厚かったジオンの名を冠しはしたものの、彼の唱えたニュータイプ論をまるきり信じていたわけではあるまい。

 しかし、アムロ・レイをはじめとする現在の『ニュータイプ』たちもまた、地球と宇宙、二つの空間の対立の中から見出された。
 すなわち、モビルスーツが投入された最初の戦争。ジオン公国が地球連邦に対して宣戦布告したことに端を発する一年戦争の中において。

 彼らは、『ビームを回避するパイロット』として表出した。
 光速の、狙いが正確である以上は避けられるはずのない高圧ミノフスキー粒子によるビーム射撃を、まるで予知したように回避するパイロットたちが存在する。
 キシリア・ザビは、戦場からのいくつかの報告を受けたあと、最初のニタ研(ニュータイプ研究所)であるフラナガン機関を設立し、その軍事利用を推し進めていった。

 一年戦争から現在に至る戦争の中で最も著名なニュータイプが、スペースノイドによる国家のいずれでもなく、現在も地球連邦軍に所属する、地球生まれのアムロ・レイ大尉であることは、ジオン・ズム・ダイクンの唱えた『ニュータイプ』と合わせて考えると、より皮肉に感じるかも知れない。
 もちろん彼はコロニー生活者だったし、彼がニュータイプに『覚醒』したとされるのも、宇宙でのことではあるのだが。サイド7で暮らす民間人であった彼が、なし崩しに連邦軍のパイロットとして登用され、一年戦争を戦った後、連邦軍に事実上の軟禁・監視という処置を受けたのは、彼が優秀なモビルスーツのパイロット、単なる戦時の英雄である以上に強烈なイコンになり得ることを理解していたからだろう。

 彼の存在そのもの・戦後におけるニュータイプに関する発言は、『ニュータイプ』と『ガンダム』にまつわる独自の神話を形成していった。それはザビ家率いるジオン公国を打倒した英雄でありながら、ジオンの唱えた人類の革新について語る少年の、厄介極まりない神話だった。それは時に忌避され、時に分解されて部分的に利用された。そしてアムロ・レイ大尉はいまだ連邦政府からの警戒から解き放たれてはいない。

 宇宙に出ることによって人間の認識機能は拡大され、人々は言葉を交わさずとも互いに分かり合える存在となる。
 ジオン・ズム・ダイクンはそのように提唱したが、そもそもニュータイプという考え方そのものが、地球と宇宙の対立構造の中から生まれてきたものであった。そして今日ニュータイプと呼ばれる人々もまた、戦争の中から見出された。
 そして今また、ジオン公国においてニュータイプと言われていたシャア・アズナブルが、ネオ・ジオンと称してその総帥に収まり、軍事行動を開始したばかりである。

 しかし──しかしである。使命感に突き動かされて、今この文章を書いている。ニュータイプは争いの中から見出された人々ではあるけれど、争いのために生まれてきた人々ではない。そう私は考える。
 それは一年戦争後にカメラへ向けて、頬を赤らめて語っていた少年アムロ・レイも、そして今またシャアとの戦いに身を投じようとしているアムロ・レイ大尉も同じであることを信じる。
 だから今、戦争の中に配置されたニュータイプたちを紐解いて、彼らが一体何者であるかを問いかけながら、書き留めて行こうと思う。

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