友達について考えてみた

『友達ってなんなんすか』
その日会ったばかりの男性に聞かれた。

初対面の女性との話題としてはマイナス100万点程のヘビィなテーマを突然ぶっこまれた訳だが、彼は至って真剣な表情だった。私は中学生の頃の自分を思い出した。

あの頃の私みたい。
『普通』ってなんだよ普通なんかクソ喰らえ。
世の中バカばっかりだな。
大人はみんな嘘吐きだ。
くだらない、全部下らない。
そうやって斜に構えていた思春期真っ盛りの、所謂『厨二病』『ピーターパン症候群』ってやつ。彼は完全に"それ"に侵されている雰囲気が漂っていた。

今現在もうっすら後遺症は残っているものの、なんとか一般社会に溶け込めるようにはなってきた(と自分では思っている)経験者として、なんだか無下にはできないなぁ…と謎の使命感に襲われる私。
阿保みたいに明るく、出来るだけ馬鹿っぽく、深く考え過ぎなくていいんじゃないかな☆というような趣旨のことをペラペラと述べてみた。
そうしたらもしかして鬱々と考えている自分が馬鹿らしくなって、少しは彼の心が軽くなるかな、なんて考えながら。

でも結局何一つ彼の心には届かなかった様だった。
そりゃあそうよね。うんうん。
自分の事を振り返ってみてもそうなんだけど、そういう斜に構えてる精神状態のときって大体人の話は心に響かないのよね。
だってハナから聴く気ないんだもんね。

この出来事が『友達』について改めて考えるきっかけになった。
あとはドラマ"アンナチュラル"でも丁度〈友達じゃない〉というタイトルの第6話も放送されてタイムリーだったので。
すごく余談だけどアンナチュラル面白すぎるからseason2お願いしたい心から。

さて。28歳。14歳の頃と比べるとさすがに自分なりの答えは出ている。はず。

まずインターネットで調べてみると、大体以下のような解釈だった。

【友達】 互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。

【親友】 互いに心を許し合っている友。特に親しい友。心から通じ合っている友達。

【仲間】 一緒に物事をする間柄。

う〜〜〜〜〜ん。微妙!
特に【親友】の心から通じ合っているってそんなの親、兄妹でも難しいよ私は。

そもそも親友という言葉に違和感を感じてしまう。特に親しいとある通り、友達より親友の方がどこか強い印象を受けるからなのか、友達を序列化している感じがなんとなくきもちわるい。

本題の【友達】については
一緒に遊んだり喋ったりする親しい人。
これはストンときた。わかるわかる。
ただね、心を許し合って、対等に交わっているかって言われるとちょっと戸惑う。
相手によって、本音を言えるジャンルが違ってくるし、素のだらけきった自分で居られる事が心地良い時もあれば、一緒に居ると良い意味で強い影響を与えてくれる相手を欲する時もある。
後者の場合は素の自分を出す事など到底できないし、相手を尊敬している場合が殆どなので私の心境としては対等ではない。かと言って前者を見下して馬鹿にしている訳ではない。
そして私は第三者に彼女たちを紹介するときにはどちらも"友達"と称するだろう。

但しそれはあくまで第三者に関係性を聞かれた場合にのみ云うものであって、お互いに"私たち友達だよねー!"なんて間違っても口には出さない。(口にした途端急に陳腐で嘘っぽいものに感じてしまう事って多い気がする。この現象はなんなんだろう)

"アンナチュラル"でも、最終的には『友達じゃない』と言い合っていた2人が側から見ると、1番心を許しあって対等に交わっているように見えた。


結局、言葉で関係性を表すのは無粋って事なのかもしれない。

#コラム #友達


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