ある日突然"てんかん"になった。

インターネットの大海原にひっそり浮かぶミクロ単位の小さな微生物のような私の駄文でも一読して下さる方が稀にいらっしゃるようなので、あなたの時間を無駄にしない為に先に忠告します。
この記事は何か言いたい事があるわけでもなく、意見を述べるでもなく、ただ淡々と自分語りをしているだけです。
雨だし。華金だし。なんか書きたかった。




2年前の秋、突然職場で意識を失って倒れた。
意識を失う直前の事はハッキリとは覚えていないが、目眩がしたような気がする。


1度目に気が付いた時は、救急車の中で隊員の方に何かを聞かれていた。しかし声は聞こえるのに、何を話しているのか全く解らない。なんだこれ宇宙語か…?とぼんやりする頭でうっすら考えながら、激しい頭痛と吐き気と眠気に勝てず、また意識を失っていった。

搬送先の総合病院では、『原因不明。特に異常は見当たらない』との事で帰宅。
かなりの人数が一部始終を目撃していた為、当時の状況を色々と細かく聞く事ができたのだが、皆口を揃えて
『あんなの、何も無い訳がない』
と言っていた。(中には悪魔祓いしたら…?という方も)(その場でフラフラとぐるぐる回って唸り声と奇声を上げた後倒れたらしい)しかし馬鹿な私は、病院で何も無いって言われたし、疲れが溜まってたとかそんな感じだろうと軽く考え、セカンドオピニオンを受ける事なくそのまま日々を過ごした。

2度目に倒れたのは、およそ1ヶ月後の夜。夫と共に寝室へ行き、さぁ寝ようという正にその時、突然物凄い恐怖に襲われた。何が、と言われると解らないのだが、とにかく訳もわからずめちゃくちゃに怖いとしか言いようがない(語彙力不足です)。怖くて恐ろしくて頭が真っ白になっていきそのまま意識を失った。
1度目と同じ病院に夫が連れて行ってくれたのだが、医者の所見は以前と変わらなかった。夜間の緊急診療だった為脳外科の先生が不在で、よく解らない科の先生が3人集まってあーだこーだ話している様子を見て、さすがの私もこれは本当になんでもないのだろうかと不安になった。

おかしいと思いつつもどうしていいか悩み行動しないままでいると、2週間後に最悪の事態が起こってしまった。
当時5歳であった娘と自宅で2人きりの時に、以前のように倒れてしまったのだ。
ここでようやく重い腰を上げ、総合病院ではなく脳神経外科専門医の、地元では評判の良い個人病院を受診することにした。そこでようやく『てんかん』であると診断されるのである。
ちなみに前の総合病院では脳波を取られる事はなく、採血すら無かった。二度目に搬送された時には『まず、てんかんではないです』とも言い切っていた。先に書いたように、全く違う科の医者がだ。何をもってしてあんなに自身を持って『なんでもない』と診断したのか未だに謎だが、あの病院に行く事は二度とないだろう。
今度の病院では症状を話しただけで、恐らくてんかんであると言われたし、脳波と採血を経た上で、やはりてんかんで確定ですね、と診断して下さった。私は医療関係の事はさっぱりだし頭も良くないので、色々と調べてはみるものの書いてある内容がイマイチ理解出来ないのだが、てんかんの診断を受け、てんかんの薬を処方されてから暫くは発作が抑えられたのは確かな事実なのだ。


1度目に倒れた後、私自身よりも夫や両親がとても心配してくれて色々と調べてくれた際に、てんかんじゃないか?という話もしていたが、成人してから発症する例は比較的珍しいようだった。正式に診断された後も色々と自分達なりに調べてみたが、調べれば調べる程得体の知れない病気である事がわかった。
ハッキリとした原因は解明されておらず、薬である程度は発作を抑える事は出来るものの、"絶対"ではない。数年間何もなくとも、ある時突然また発作が起こりうるので"完治"はほぼない。

更に私の場合は、妊娠した事で、薬を飲んでいても発作が抑えられなくなってしまった。薬を飲み始めておおよそ半年間、無事に過ごしたので、薬さえきちんと飲めば大丈夫なんだ!という安心があったのだが、見事に崩れ去った。しかも、妊娠が原因かもしれないとは医者も言っていたが、絶対ではない。現在出産を終えて既に半年以上が経過したが、未だに発作は起きるからだ。もちろん薬は上限MAXの量を毎日欠かさずに飲んでいる。しかし少量の薬で発作を抑える事が出来ている方もいらっしゃるし、少しずつ薬の量を減らしていって、ついには薬を飲まなくても発作が起きなくなった方もいるようだ。


てんかんになってまず、免許が更新できなくなった。免許更新には、最低でも2年間発作が起きていない事を証明する診断書が必要で、私はその条件をクリアできなかった。
そして職を失った。
退職を仄めかされた訳ではなく、物理的に通勤が不可能になったのだ。とてつもない田舎に住んでいる為だ。一家に一台ではなく1人一台、車を所有しているのが当たり前の地域で、バスなどほとんど動いていないも同然。自宅から駅までは徒歩30分程なので行けない事も無いが、そこから電車で30分、更に職場まで徒歩40分で合計2時間近くかかってしまう。車では片道20分の通勤時間であるのに、電車だと相当な遠回りになる。
18歳で上京し7年勤めた会社を辞め、地元にUターンして来て心機一転、転職したばかりのとても良い職場だったので、入社一年足らずで退職するのは本当に不本意だったのだけれど、娘の保育園の送迎なども考慮し、辞めざるを得なかった。

そして何よりも1番辛いのは、娘に恐怖を植え付けてしまった事。
発作の際、自分がどうなっているのか私自身は見た事がないので(当たり前だが)聞いた話でしかないが、ざっくりとまとめると
1.目を見開いて低い唸り声を上げる
2.白目を剥き泡を吹いて倒れる
3.舌やほっぺたを噛んで口から流血している場合もある
4.身体全体は硬直し、手足をピンと伸ばして痙攣する
てんかん発作の特徴は人それぞれあるみたいだが、私は大体こんな感じらしい。
当時まだ5歳の娘が、2人きりの時に突然母親がこの様な状態になってどれだけ怖かった事か。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいで、でも私は現在も薬で完全に発作を抑える事ができずに、その後も何度か娘に発作を目撃させてしまっている。2人きりの状況で発作が起きたのは一度きりだったが、今後無いとも言い切れない。未だに娘は私が「あっそういえば…」と突然声を上げると異常な程にビクッとするし、考え事をしてぼーっとしていたりすると恐る恐る「ママ、だいじょうぶ…?」と聞いて来たりする。その度に胸が締め付けられる思いになるし、もはや私と2人きりの時間そのものが嫌なのではないかとさえ思う。

夫にもかなりの負担を強いてしまっている。
娘と同じように、それ以上に、私の所作ひとつひとつに敏感だし、夜間における次女の世話はほぼ夫がしてくれている。(睡眠不足は絶対に駄目だと医者に念を押されている為)
自ら進んで、私以上に私を大切にしてくれる彼の存在がどれ程支えになったか。

夫を筆頭に両親や姉、親しい友人など私はつくづく"人"に恵まれていると実感する事ができたのは、てんかんになって唯一良かった事かもしれない。…いや、無理矢理ポジティブに考えたが、やっぱりできれば別の形で実感したかった。


と、現在進行形での病気の話をダラダラと書き殴ったがオチなど存在しない。今夜もただ
「今日はとっても楽しかったね。明日は、もっと楽しくなるよね、ハム太郎♡」
などと呟いて寝るのみである。


眠りに着くときの雨の音が、好きです。

#エッセイ #コラム #てんかん

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?