初めては優しくしてほしい

 狐は狼狽した。狐はnoteの使い方など知らない。しかし人一倍センシティブでその割に他人の痛みに鈍感な、残念な生き物であった。そういう類の生き物ほど長生きできるのだから、世の中は良くならないわけだと、缶チューハイを片手に悟りながら今日も涙を空き缶に貯めるわけである。こんなもの金にもならないのに。

 しかし、狐は生来文字を書き連ねるのが好きであった。書いている間は己が万能であると錯覚できるし、下手な自慰よりもよっぽど己を慰めてくれる。それにも関わらず今の今までこのnoteというものに触ったことがなかったのは、こんなの書いているのは『意識高い系』だかに違いない、と睨み続けていたからだ。
「『続きは有料』とか言うが、貴様はそれほど有益な情報を吐くというのにどこの出版社からもお誘いがないのだろう?その矛盾をまず説明してくれい。」
 こんなことを呟いてはバックスペースで回れ右をして、結局現実を直視しなかった。

 しかし、では何故今更マイページを開いたか?若くもない狐の分際で、なぜ今更ライターの真似事をしているのか?自分でも思いつきでここまで書いたから、考えながらこの先の結論をまとめよう。ゴールできるかな?

 まず、一番大きい理由は、新しいことをはじめたいと思ったからだろう。この夏はともかくいそがしかった。しかし忙しい中で自分の殻を破って外に出ていって『牛久の狐です』と面と向かって人に伝えてみた。そしたら思いの外、知ってもらえていたことに気を良くしてしまった。さらに言えばもっと人と仲良くなりたいという欲が出てきてしまった。そうすると止まらない。ドンドンあれこれやりたくなる。人里に降りてきた狐は人と仲良くなるために、『何者である』が必要になると感じた。ただの仕事している二児の親では何もない、失礼な話だが、それはまあまあ的を射ているだろう。だから、何を書くのか決めてもいないのに、気づけばアカウントをつくって、こうして思いつくまま筆を認めたのだった。

 あと、思ったよりも、みんな自由に記事を書いていると感じたからだった。無理してハードルの高いことを挑まなくてもいいみたいだ。だって私は無料で書くつもりだし。案ずるより産むが易しだね。

 見切り発車で始めたものは唐突に止めるかもしれないが、四月病の亜種だと思って気にしないことにして、やるだけやってみよう。
 あと初めてなんで、みんな優しくしてほしいね。

 どうせ勝手気ままな狐の書き散らし、暇つぶしにでもしてやってくださいね。

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