災害と聞いて思い出すこと。東日本大震災を宮城で経験した時の話。

宮城県出身。大学のため関東に出てきている。いまはちょうど台風が関東に向かってきている。テレビもニュースばかり。震災の日を思い出します。少しばかり当時を思い出して書いてみようと思います。

地震発生時

あの日、僕は中学一年生でした。卒業式前日。体育館で準備をしている人たちもいた。僕はバスケ部だったので、係になっている準備を済まし帰るところでした。ジャージで友達と二人。校門を出る寸前に地震は起こりました。

その場に立っていられなくなり尻をついて座りました。ついていた手元は地割れを起こし、校門出たところにあるカーブミラーは強く揺れて根本から折れました。

建物が揺れ、音を立てているのは分かりますが、大地が音を立てていると感じたのはあの時が初めてでした。


帰宅するのは諦めて校庭に集まることにした。親が迎えに来るまで校庭で待つように先生方に指示をされました。余震は続いていました。まだその時はケータイも持っておらず、世間がどうなっているとか親とも連絡が取れず、不安でした。それでもこんな経験は初めてで事の重大さに気づけていなかったです。校庭に避難者は、最初は百人近くだったと思います。近くの家の人や高齢者の方もまばらに避難してきました。中にはけが人もいました。体育館で次の日の卒業式の準備をしていた人が、体育館のライトが落下してきて怪我をしたらしい。救急車も少ししたらやって来ました。

避難とボランティア

夕方四時ころに寒くなってきたということで、校舎に避難しました。生徒でボランティアを募られました。まだ親にも会えず、身動きも取れなかったのでボランティアをすることに決めました。校舎から少し離れたところにある倉庫から水とアルファ米を取ってくるという内容でした。その日部活は、卒業式の準備で早く終わったので疲れもあまりなく良かったです。他にも自分と同じような状況の友達が3~4人いたので一緒に行動をしてボランティアをしました。そのアルファ米を運んでいるとき、校庭の真ん中あたりでヘリコプターの音がしてなんだかこっちに向かってアナウンスをしてきました。

「2階以上に逃げてください!津波が来ます!」

ここは海からだいぶ離れたところなのに?

それでも近くにいた先生には早く逃げようと言われ、持っていたアルファ米をその場に置いて2階に走って逃げました。そこからは仮設トイレの設営を手伝いました。

しばらくしても津波は来ませんでした。なので置いてきたアルファ米のダンボールを校庭の真ん中に取りに行きました。

その時でした。雪が降り始めました。3月にもなって。。。


つづきはまたこんど。



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