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黒い渦と、あと台湾料理

お盆もちょうど過ぎちゃったころ帰省し、久しぶりに背案の家まで遊びに行った。目的はいつもの旅である。今回は前もって話し合い、旅の舞台もがっちり決めて家に乗り込んだ。その施設は背案の家から数kmの街の駅前にあり───まあ目的が目的なだけに名前を出すのが憚られますが───一応ちょっと説明しますと、例えばハムスターが走って回るアレあるじゃないですか、あれのでっかいやつ。暗闇の中で一瞬だけランダムにフラッシュが光ると、壁に自分の影が投影されるやつ。正面の手すりの真ん中に縦に置かれた両面の鏡があり、覗き込むと向こう側の手を動かしても手が動かず、変な感じがするやつ、など。読んだところでよく分かんないでしょうが、要するに科学の力でもって錯覚や非日常を体験し、科学の面白さを知ろうっつー感じの、たいへん素晴らしい施設であります。
旅のために服用する☒☒☒はその効力を発揮している間、熱や光に弱くなる特性を持っているため、今まで日中に服用したことは一度もなかった。しかし今回の舞台である例の施設はもちろん24時間営業ではないので時間を合わせなくてはならず、初めて日中にキメることとなった。

8/18
13:20 ☒☒☒12錠服用、
するや否や急いでバスに飛び乗り、旅の舞台に向かった。中略中略中略。エレベーターで入口まで上り、さっそく旅を始めることにした。フロアのいたるところに様々なアトラクションがあり、日曜の昼間なこともあり親子連れで賑わっていた。今になって、俺たちはこんなところにいていいんだろうかと心配になり、身を隠すように壁に囲まれたあるアトラクションに入った。
入ってみると中は真っ暗で、あれ?と思うと急に烈しい光の点滅が始まった。光っている間しか目が効かないので、友人を見てみると動きが分断されてまるでコマ送りの映像のようだ。奥の壁には直径1mほどの歯車があり、一つ一つの歯にくっついとる施設のキャラかなんかの顔が錯覚の中で溶けてはUFOになり、またぬるぬる動いて顔になり、とせわしなく往復していた。まあ薬が効き始めて心地よくなっていた私にとってそんなことはどうでもよく、私はただ歯車そのものに象徴的なイメージを感じて恍惚としていた。私の認識の中で、歯車は「夢を作る機械」になっていた。

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行列もできて人気のアトラクションの一つになんとかコースターというなんとかコースターがあり、これに並んでみることにした。遠目に見てみると、どうやら高さ1mほどのトンネルの中を、寝そべるタイプのコースターで進んでいくものらしい。よく分かんないので自分の体験で説明しますと:
───自分の出番になり、スタッフの誘導を受けて白く細長い箱の中に身を横たえた。この時の主観で説明すれば、それは全く棺桶そのものであった。目の前のトンネルの中には、沿って棺桶の進むレールが敷かれていた。説明もそこそこにスタッフが操作盤に手を触れるとブザーが鳴り響き、棺桶は私を乗せて動き出した。トンネルに入るとたちまち烈しい光の点滅が始まり、前方から風が吹き始めた。棺桶は吸い込まれるようにぐんぐんスピードを増して走った……この簡素なシートベルト一本の拘束具としてはおよそ考えられないほどのスピードだった。トンネルの内部には進行方向に向かって白黒の縞が曲線を描いて走っており、それが光の点滅と風も相まって猛烈なスピードを錯覚させるのだった。走り続けてしばらくすると、棺桶はスピードを緩めた。少し頭を起こして前方を見ると、すぐそこにトンネルの終点が近づいているのが見えた。終点、行き止まりの壁には黒い渦が描かれていた……棺桶はさらにスピードを緩め、黒い渦の直前で完全に止まった。と、間髪入れずに今度は後ろから風が吹き始め、棺桶は今来た道を猛スピードで戻り始めた。私は私で、……脳にようやく届いてきた薬の作用と、絶え間無い光の点滅に晒されて半ばもうろうとしながらも考えた。主観そのままに、訳分かんないなりに説明しますと……戻っていく棺桶は、あたかも黒い渦を前にして怖気づいてしまったかのようだった。すでに見えなくなっている、あの黒い渦はまるで死そのものの象徴だった。ここで普段、棺桶は無邪気な子供を乗せて死に向かい、また何度となくあわてて引き返しているのだ。ガキが変な気を起こして棺桶を飛び出しでもしなければ、誰もあの渦に触れる者はいないのだ。なるほど……と変に腑に落ちたのは、人間は生きている限り、死を体験することもないということだ。生きている限り死ぬことはないし、死んだ時にはもはや生きていない、とはたしか誰かの言葉だが、当たり前だと思ってもじゃあ、私たちが恐れているのは何なんですか?と思いました……

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帰宅、
18:30 ☒☒☒12錠追加、内面の旅に立ち戻る。
パチンコだのゲーセンだの、俺は何をするでもなく背案の後ろをついて回り、ひたすら煙草を吸い散らかしてにやにやしながら夜を待った。日が変わっても心地よい浮遊感は続き、2人でどこかも知らん道を道なりに道った。俺はひたすら内面にもぐり込み、遠慮を無視して詩的感情吹かすに任せた。たとえばこんな感じで。

8/19 午前1時、散歩
……「台湾料理」と書かれた看板の、白い余白が細長く光っていた。それが夜の細い通りの脇に、砂利と草の上に、ぽつんと立っているのを見た。その向こうはあたり一辺が青い田畑で、その中に台形をひっくり返したような立体が、いきなり建っていた。宇宙船が降り立ったかのように、それはのどかな田畑の中で奇妙なコントラストをもって佇んでいた。それを撮る私と、看板の下に腰掛けて煙草を吸う背案が場違いなほど、もう異常な静けさがあった。宇宙船がほんの数分前に降り立ったのだとしても、宇宙人さえもうそこにはいないのだ。暗闇をいっそうあいまいにしている台湾料理の白い光に煙って、それはまったく静かで、奇妙な光景であった。
と手記に書いてあります。今回の旅はこんな感じです。翌朝コメダでは口の中に壁が入ってくるようなパンを食い、あまりの分厚さに「世界のナブアツ」と口を滑らせて背案のひんしゅくを買い、数時間後にマックを食らいながら「ファイト・クラブ」を観るというアメリカ人みたいなことをして夕方帰りました。俺もタイラーみたいな人格が欲しいと思いました。

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以上です

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