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捨てられたエロ本と服

新居は4階ビルの4階の一室にあり、その上階にはせまい屋上がある。屋上にはさらに梯子があり、これを上ると柵のない数畳分のスペースがあり、周辺を見渡すことができる。先日、写真でも撮ろうやと初めて梯子を上ったところ…こんな場所へ誰が持ち込んだか、スペースの片隅には何度となく雨にさらされて溶け落ち、ガビガビになった大量のエロ本が投棄されていた。梯子でしか上れないこのスペースに、誰がこの十数冊のエロ本を捨てていったのだろうか?誰が片手に持てるほんの数冊を持ち、もう一方の手で危なっかしく梯子を上り、置いてはまた下りて数冊を持ち、何往復もしたのだろうか?他に捨てる場所は無かったのか?(無い、はずはないのだが)そんな苦労をしてまで、この場所に捨てる意義が何かあったのだろうか?

あ、そうか、屋上の梯子をさらに上るような限られた同志、同士と書いてつまりはバカのために、この先人のバカは褒美として置いていったのだろうか?それはあるかもしれない。高い場所を好むバカにはエロがお似合いだと、先人も分かっていたのだろう。違うと思います

屋上に投棄されているのはエロ本だけではない。梯子を下りてみると最初のせまい屋上になるのだが、ここには住人が洗濯物を干すための物干し竿が置いてある。そのため洋服が干されていることも多いのだが、ここにはその洋服が何着も何着も捨てられているのだ。干しっぱなしで住人が出て行ったのかもしれないが、それが こんなにもか?というほどの量で放り出されている、おそらく1人ではないだろう。服装に頓着しない人間なら、2人か3人は問題なく生活できるほどの量だからだ。それだけの服がここで今、上層のエロ本と同じ処遇を受け、追いやられた日陰で湿ったまま重なり合っている。持ち主はどんな人間で、今どこで何をしているのだろうか。そう考えると、この湿った服の数々が、ここ上野を含む東京に入る夏の虫、とはまあ言わんけども、目的を見失って腐っていく多くの屍と重なって見えた。自分のネガティブな考えから正直に言えば、今後の自分の行動しだいでそこに自分自身が透けて見えてしまいかねないということだ。
いつか、自分がここを引き払う時───無駄に詩的な仮定をするならば、詩的な意味をもとめて───屋上に服を、意図的に捨てていくことはあり得るだろう。そして数ヶ月か数年後、ここにまた地方の無駄に詩的な若者が入居してきた時、屋上に散らばった数々の服を見て何を思うだろうか。
という旨の話を酩酊状態で同居する友人に話したところ、高校時代寮生活を送っていた友人いわく、服が投棄されていることは「別に全然ある」とのことだった。という、無知から来る一抹の徒労思索劇場でありました…


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