日記 海を見に行く

 割としょっちゅう鎌倉に行くので今日も鎌倉に行っていた。円応寺の閻魔様と長谷寺の観音様を見た。よかった。鎌倉だとこの二つのお寺が特にお気に入り。あと建長寺。

長谷寺からの眺め

 海を見たくなったので帰りに由比ヶ浜に行く。
 海は何度見てもいいが、不思議なことにわたしはそんなに「海が好き」という自覚はなかった。
 「流行りもんだから見ておこう」というか、「SNSでは海は大人気だから見ておこう」みたいな、なんだかそういう、「流行っている物に手を出しておくか」ぐらいの気持ちでこれまで海を見ていたところがある。実際、見ていて面白いしいい気持ちになれるので、もちろん海が嫌いだと思っていたわけではぜんぜんないのだけれども、「海が好きだから見ている」というような認識は実はそんなになかったのだ。
 江ノ電の長谷駅から歩いて五分ぐらいで海にたどり着く。この辺は昔クジラがストランディングしていたところで、わたしはクジラは見ていないのだけれども、クジラが「居た」場所を特定できれば。自分の中の何かがクジラと重なるのではないか、同じ位置を占めることで何か共感ができるのではないかと思って探したのだ。
 この場所にももう何回も来ている。
 堤防のところからスロープを通って砂浜まで近づいていく。もうだいぶ潮が満ちてきているのか砂浜はほとんどなくて、コンクリートで作られたスロープを下まで行くと水に浸っているような様子である。
 その波打際のギリギリのとこに立って水が満ちたり引いたりしているところを危うく水に飲み込まれそうになるぐらい近づいてキャッキャする。五分ぐらいぼーっと海を見ていた。

 五分ぐらい経ってもう海を見るのはいいかなと思ったのだけれども、なんだかまだまだ見ていられるような気がしてきたのでちょっと本格的に腰を据えようかなという気持ちがしてきた。
 それで近くにコンビニがあるのを思い出してコンビニに行ってコーヒーと肉まんとピザまんを買った。
 なんというか、自分で書いている小説の登場人物みたいな行動だなと思いながらしているところがあり、やや気恥ずかしさはあるのだけれども、でも海を見ながら物を食べることなんてなかなかご機嫌なことに違いないだろうと思ったので、勢い勇んでコンビニに行ってコーヒーと肉まんとピザまんを購入。お手拭きも入れてくださいと勇気を出して言ってお手拭きももらう。
 それで堤防のところに取って返す。どこで食べようかなとあたりを見回した。
  別にベンチみたいなものがあるわけではない。先客が一人いて、海を見ながら本を読んでいる。その人も堤防の縁に腰掛けて本を読んでいるだけなので、じゃあそれに倣うかということで、わたしも堤防の縁に腰をかけてコーヒーを飲み始めたけれども、堤防って意外と座りづらい。
 足を中空にほっぽり出して座るのでなんていうか足の置き所がない。かといってあぐらをかこうとするとやっぱりそれも足の置き所がない。靴を履いたままあぐらってかかないだろうという気がする。
 しかも堤防の幅がそれほど無いので、ちょっと身じろぎするとすぐ歩道に転がっていっちゃいそうな感じである。
 あとすぐ後ろが普通に歩道で、普通に歩行者が歩いて行くので、意思を強く持たないとこんなところでコーヒーを飲んで肉まんとピザまんを食っていられないぜという気がしてくる。
 せめてこの堤防の外側(海側)にベンチでもあればと思うのだが、そんなものがあったら波にさらわれてしまうのだろうなと思う。
 でもまあ、肉まんとピザまんとコーヒーなんてどうやったってご機嫌だろうと思いながらコーヒーを一口飲み、それから肉まんとピザまんに舌鼓を打ち始めた。

ブラックコーヒー
肉まん
ピザまん

 そこで気がついたのだが、わたしは案外、景色を見ながら物を食べるということがそれほどテンション上がる行為ではない。単に不慣れなせいだけなのかもしれないけれども、ものを食べるときはものを食べることに集中したいし、景色を眺めるときは景色を眺めることに集中したいというようなそんな希望があることに気がついたのだ。
 それで「肉まんを買ってこよう!」と思いついたときにはテンションが上がった肉まんとピザまんだったけれども、最終的には、まあ、肉まんもピザまんもうまいけど、別に海を見ながら食べるもんじゃないなと思いながら二つとも食べ終えたのだった。
 ちなみにわたしはこのときピザまんを人生で初めて食べたのだけれども、中にチーズが入ってるんだな、と気がついた。
 肉まんとピザまんを食べ終え、それからじゃあ海を見るかということで海を見ることを再開する。海を見ることはいつでも再開できるのが海辺のいいところだ。
 正確には海を見ながらちょくちょくツイッターを更新していた。ツイッターを更新しながら海を見るのは意外といいことだということに気づく。ものを食べながら見るよりもツイッターを更新しながら見た方が海がよく見えるような気がする。たぶん気のせい。
 遠く大きな島の影が見えた。Googleマップで見てみたら多分大島だろう。大島にも一回行ってみたいなと思う。

大島かな

 波がひたすら打ち寄せてくる。サーフィンをしている人たちが時折目の前をサーフボードを持って横切っていく。素足だったので寒かろうなと思う。
 コーヒーをちびちび飲む。こういうときお酒が飲めたらなんだかもっと豊かな時間を過ごせるんじゃないかという気がする。わたしはお酒は飲めないのでコーヒーをちびちび飲むしかない。
 ブラックコーヒーじゃなくて甘いコーヒーを買えばよかった。コンビニで選んだときはブラックコーヒーが一番海を見るのに合っている飲み物のような気がしたのだ。逆に海を見るのに合ってない飲み物って何だろうな。ガラナとかかな。
 知らない鳥が砂浜を止まって歩いている。見たことない鳥だ。わたしはメジロとハクセキレイとスズメとカラスならわかる。あとカワセミ。あとはわからない。
 写真を撮ってツイッターにあげて「知らない鳥いた」と呟くと、イソヒヨドリだよと教えてくれた人がいた。イソヒヨドリ。かわいいね。

知らない鳥

 あたりが暗くなっていく。昔、四万六千日の夜に、長谷寺が開く朝の四時とか五時とかまで時間をつぶすときに、ちょっとだけ暗い海を見に行ったことがある。海は真っ暗で向こうの陸の方にだけ明かりが灯っており、波音だけがして不気味だった。波というより波濤って感じだ。夜の海は怖いですね。
 でも今日はまだ完全には真っ暗になっていないせいか、夕暮れの薄暗い海もそれほど不気味ではなくいつまでも眺めていられるようなまともな海だった。夜の海だけが狂気で、夕暮れまではOKなのだろう。

暗くなりつつある海

 だんだん体が冷えてきたけれどもまだまだ居られるような気はしていた。すごい。自分がこんなにも長時間海を見ていられる人種だと思わなかった。そんなロマンチックな人種ではないだろうと(ロマンチックか?)思っていた。
 でもおしりが痛い、すごく痛い。コンクリートに体重がかかってるところが痛くて、あぐらにしたり堤防の下に足をだらんと垂らして姿勢を変えて、なんとかごまかしている。おしりの痛さと海の見たさを比較したらぎりぎり海の見たさが勝つ。それもなんかすごいなと思う。
 でも寒い。こりゃ温かいもんでも飲(や)らなきゃやってられないぜって思ったのでふたたびコンビニに行く。
 コンビニに行ってココアを買い、トイレも借りて再び海を見る持久戦に突入するぜ、と元の場所に戻った。

ココア

 先客の海を見ながら本を読んでいる人もいなくなった。今この海を独り占めしているのはわたしだけなんだなあと思う(正確にはたぶんサーファーの人がまだ残ってる)。
 いけるぜ、と思いながらココアを飲み、海を見る。暗くなってくる海の音に耳をすます。
 大島はもう見えなくなった。空は暗い。おれは今、何も見えない黒い大きな塊と、海そのものと一体になっているのだ、と思ったけれども、めちゃくちゃ寒い。ココアが全然温かくないのと、風が本当に冷たいのでめちゃくちゃ寒くなってきた。

黯黒

 海の見たさと寒さとを天秤にかけて、寒さの方が勝ったのでおとなしく帰ることにした。もうなにも見えないしね。
 帰りながらおれは海が好きだったんだなということをしみじみと感じる。いままで逆に、そんなに好きだというふうに思ってなかったのは本当に意外だ。
 将来的に、海沿いに住むのはいいかもしれないなとさえちょっとだけ思った。本当に海沿いに住むと津波の時に大変そうなので海から何駅か離れたところあたりに住むといいのじゃないか。
 それで小説の執筆に行き詰まったら海まで行って海を眺めるのだ。素敵だね。