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「頼ること」について考える② (ラブレターと要望書)


みんな、\盆ボヤージュ!/(だいぶ気に入ってる)

このインタビューをきっかけに、「頼ること」問題についての思考を深めている。

前回はこれね


こないだね、かなり精神的に余裕がない事態に追い込まれたときがあった。


「あ、俺ちょっとヤバイかもしれない」とおもったとき、その状況をなんとかするために、誰に声をかけたいとおもったか。

その思考過程をおもい出しながらつぶやいたものがこれ。


「この状況はよくない」「誰かに頼なければ」とおもったとき、じぶんの頭の中に思い浮かぶすべての知り合いの中で、「総選挙」のようなことが行われているな、とおもった。


その結果として、「今は、まずこの2人に相談しよう」という結論を出したのだけど、実際に名前が挙がったときに感じたのは


「ああ、このひとたちは、ぼくの人生の真ん中に近いところにいるのかもしれない」


ということだった。


そこで最終候補者に名前が挙がるということは、相手の能力や経験への信頼だけでなく、そのひとに寄せる人間性への信頼感や好意もとても重要になってくる。



言うなれば、俺AKBにおける、センターポジションへの任命。それは、

"You are very important person for me."
 

という単純で強力なメッセージでもあるな、とおもった。
「頼られて嬉しい」というひとが多いのは、そういうメッセージを受け取るからなんだな。


そう考えると、「あなたに頼りたい」というオファーを出すことは、そのひとをじぶんの心のまん中の、脆い部分に招き入れる権利を与えることでもあるな、とおもった。
RPGの基地潜入系ミッションだと、ボス前の扉が開く「レベル4のセキュリティカード」を渡すようなもの。(わかりにくいか)
恋人に合鍵を渡すような、そういう心理に近いのではないかと。

「私のこころの中心部に、あなたを招待します」というラブレターを渡すことに等しいのかもしれない。そう考えると、行為のメッセージ性はけっこう変わってくるなあとおもった。


「頼る」ことはラブレターにもなりえる。
そう考えると、違うモチベーションをもって「頼りたい」という欲求が生まれるかもしれない。

もちろん、「ラブレター的な援助希求」と「ただのあつまかしい要望」の見極めは必要だ。
差し出されたものが、「ラブレター」なのか、ただそのひとを利用したいだけの「要望書」なのか、巧妙にラブレターに見せかけた要望書なのか。(けっこう多いw)
それを見抜くには、援助希求のやり方(ラブレターの文面)にLOVEを感じるかどうかで判断したらいいとおもう。


相変わらず頼ることは得意じゃないんだけど、「頼る」ことが親密性を高める手段になりうるとなれば、話は違う。「親密な人間関係の構築こそが、豊かな人生である」という仮説のもとにひたすら親密な人間関係を追求する愛余り人間のぼくとしては、己の人生をリッチにするナイスな手段であれば、もっともっと積極的に使っていってもいいのかもしれない、という、ちょっとしたパラダイムシフトが起きたのでした。


おしまい。

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