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素晴らしい死に様をみせてもらった


盆ボヤージュ!(お盆の挨拶)


お盆っていうのは、死者が帰ってくるシステムらしいね。
「天気の子」という映画を見て最近知った。
今年のGWに、父が亡くなったから、「初盆」ということで、通常よりも念入りにやるものらしい。
知らなかったし、バイト当直中なので実家には帰れないんだけども、父が亡くなった5月に書きかけたnoteを放置していたから、これを機に整理してみようかとおもう。



・・・


GW中に、父が亡くなった。
末期の癌で、2年半の闘病生活の末のことだった。
最後は、自宅のベッドの上で特段大きな苦痛もなさそうに、ゆっくりと息を引き取った。


深夜に父の状態が悪くなったときは、クリニックから点滴や鎮痛薬を打ちにいったりなどして、内科の医師としてのケアにも関わることができた。
なかなか医師冥利につきる体験をさせてもらったし、そこそこ親孝行っぽい感じだったんじゃないかな。


父は真面目で頑固一徹な「昭和の堅物親父」という感じで、ゆるノリで社会性に乏しいぼくとは衝突が多かったようにおもう。
大人になってからも、普段話すことがあるわけでもない。
勤勉さを尊敬はしてはいたが、特段仲の良い親子という感じではないし、一緒に酒を酌み交わすようなことも、とうとうなかったな。

そんな父が、六十数年の人生をしまう姿をそばで見ていて、感じるものがあった。
結論から言うと、「とても良い死に様を見せてもらった」とおもう。


父は「自己決定のひと」であった。
京大卒のインテリで、がんに侵されたことを知った後も、病状をじぶんが納得ゆくまで調べつくしていた。
素直に言うことは聞かないし、主治医にも何度も質問しまくったり、逆提案をしたりする患者で、相手の主治医からするとわりと「やりにくい患者」だったようにおもう。

ただ、その主治医の知らないような新薬の治験プログラムを探し当てて、紹介状まで書いてもらってまんまと治験に滑り込んだ。
結果は、残念ながら新薬の群ではなく、偽薬のグループに当たってしまったのだが。

年始に一時的に状態を崩し、緩和病棟に入院したときに、家族で今後の方針を話し合ったときにぼくが

「父さんは、じぶんで決めたいんだよね。」

と言うと

「そうなんだよ。私はずっと、じぶんで決めて生きてきたんだ。」

と言った。

なんとなく、(わかってくれたか)という表情をしていた。
たぶん、あの時が、ぼくたち父子が最もわかりあったときだったのかもしれない。


父はじぶんで物事がわかるうちは、徹底して決めていた。
その意思決定は、医学という観点では必ずしも合理的ではなかったところもあったし、

かかっていた主治医や治験担当医の言動は、ぼくから見てもいささか不誠実だと感じることもあり、医療環境としては決して恵まれてはいなかったとおもう。
それでも、じぶんでコントロールできる範囲のことを、最大限決めていた。


脳の転移が広がり、徐々に思考することを侵されていく中でも、じぶんで考えて決められるうちは、それをやりきっていた。

そして、「考える」ということが出来なくなってから、わりとすぐに亡くなった。

そうした父の死に様に、とても考えさせられるものがあった。


もうひとつとても印象的だったのは、死を間際にして、より日常を大切にしていたということだった。

食べることを愛し、本を読むことを愛する。

とてもシンプルな幸福観をもっていた。


読めなくなるまで、本を読む。
食べられなくなるまで、食事を楽しむ。


残された命が短くなったときに、「勉強なんかしても仕方ないや」とおもいそうなものだけど、その知的好奇心が衰えることは全くなかった。
驚くほど生活スタイルが変わらなかった。
その知識を誰かに伝えたり教えたりするるわけでもなく、じぶんだけのためのインプットを楽しんでいた。


「命がもたなくなってくる」
「できることが減っていく」

そういうものに対する恐怖は、想像を絶するものがあるだろうと察するけども、父はそこのシンプルな幸福軸をぶらすことはなかった。


何がじぶんの人生を栄養しているのかを熟知しているかのように、読めなくなるまで毎日、ずっと本を読み続けていた。


その姿勢は、素直にカッコいいものだった。
「ぼくも同じようにできるだろうか」と、つい考えてしまう。

それほどに、父の幸福観に「つよさ」を感じた。
シンプルであること。自己決定を重んじること。


自己決定とは、ひとが幸せに生きる上でものすごく重要な要素だ。

他人は善意や心配から、「こっちのほうがいいよ」と、相手が動く方向を規定してしまうような関わり方をしてしまうことがある。
ぼくもそういう手痛い失敗を何度かしてきた。
とくに相手が弱い立場になったりすると、より無頓着になってしまう。


自己決定を奪うことは、幸せを奪うことに等しいのだな。


病者という「弱い立場」になりながらも、己の限界までそれを守り抜いた父の「つよさ」と「気高さ」に、善く生きる(=善く死ぬ)ことの示唆をいっぱいもらったようにおもう。


なんか、いい感じの「親父の背中」を見せてくれてラッキーだった。

あんなふうに死ねるかなあ。


ゆるく気合いが入る感じ。

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