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「変われるひと」は、どういうひとか。(マイナーチェンジとフルモデルチェンジ)


ハロー。こんちわ。


今日は、「変わりたい」という気持ちのはなし。


先日、あるイベントで、「変われるひとは、どういうひとか?」というテーマについて話した。
「変われるひと」とその振る舞いについて、おもうところを書きながら考えていきたい。


ちょうどいま、ぼくの周りで、急激に変化を遂げているひとたちがいる。
そういうひとたちの振る舞いには、いくつか共通があるようにおもう。


彼らは、つらい状況に傷つきながらも、自らを「フルモデルチェンジ」させようとしている。
それには、絶望的だったり危機的な状況に立たされているということが無関係ではないとおもっている。


以前、こんなつぶやきをした。


人生がうまくいっているときは、フルモデルチェンジなんて必要ない。

基本的に今まで積み上げてきたものを守りながら、周囲の変化に合わせてじぶんをちょっと軌道修正させるだけで問題ない。

でも、人生のあるタイミングで、そういう「マイナーチェンジ」では乗り越えられない局面がおこってくる。
それは遅かれ早かれ、必ずやってくるものだとおもっている。


様々な変化が、そのきっかけとなる。

じぶんの真骨頂だと思っていた能力が衰えていくこと。
今までのやり方が、周囲の変化により通用しなくなること。
じぶんの土台になるようなひとや場所を、失ってしまうこと。


うまく回っていたはずのじぶんと「世界」との接続が、変調をきたす。
何をやっても、うまくいかなくなる。
そうしたとき、積み上げてきた自らのセルフイメージは破壊され、絶望的な気持ちになる。

過去の成功のストーリーを手放し、新しいストーリーを探し、じぶんと世界を再接続させるためには、セルフイメージを再構築させる必要がある。
過去の「わたし」と決別しなければいけない。


これが、もう本当に苦痛を伴うしんどい作業なのね。


これまでの自分の人生を見直し、認めたくない現実(たとえば、容姿や体力の衰えだったり、大切なひとの喪失だったり)を素直に受け入れた上で、過去のこだわりや成功体験にすがりつくのではなく、その変化をポジティブに受け入れて「これまでとは違うやり方でチャレンジをしてみよう」という前向きな気持ちをもつこと。

でも、これまで自らが拠り所にしていた「誰か」や「成功体験」が大きければ大きいほど、それをじぶんから切り離すことの難しさは筆舌しがたいものがあるよね。


過去の輝いていた頃の「わたし」のイメージが、それを邪魔する。
「わたしはもっと、素晴らしいはず」という過去のセルフイメージが、いまのじぶんを苦しめる。
「早くあの頃に戻らないと」と焦らせる。


でもね、積み上げてきた過去のセルフイメージを守りながら、フルモデルチェンジをすることはできない。
(少なくとも、ぼくにはできなかった。)


もしかしたら、いままで身につけてきたもの、やってきたことは、全部無意味だったのかもしれない。
いま必死で守ろうとしているものが、実はじぶんを本当の幸せから遠ざけているのかもしれない。


そうおもって初めて、ぼくは「実は、たいしたことのないじぶん」を受け容れることができた気がする。


山田ズーニーさんがこう言っていた。

自分は、より立派で、もっと賢く、もっと素晴らしい人で
あってほしいという「願望」
願望を通り越して「欲」があると、自分以上に自分を良く見せようとする


まずは、じぶんに対して、虚勢を張るのをやめる。

等身大のじぶんを受け容れる。
そいつの声をていねいに聴く。

そうやってはじめて、絶望的な状況のじぶんを、愛してあげられるんじゃないかな。


もちろん、将来はもっと素晴らしい人間になれるかもしれない。
その可能性は、あきらめなくていい。
でも、今の時点では「それなり」だ。
それでいいじゃないか。

いまの絶望的なじぶんが、最新のじぶんだ。


いまは、とことん内省的になっていい。

等身大のじぶんを喜ばせるものはなにか。
悲しませるものはなにか。
ほんとうに大切にしたいものはなにか。


そういうじぶんとの対話があって、余計な「べき」や「虚飾」を手放せる。
等身大のじぶんのことをわかって初めて、世界との再接続点がみえてくる。

それはね、ものすごい変化のエネルギーなんだよ。



もうひとつ、「絶望もそんなにわるくないよ」という話を。


以前、「他人の絶望に寄り添うにはリテラシー」がいる、と書いた。

絶望の真っ只中にいるひとに、やさしい言葉をかけても、寄り添いきれない部分がある。
誰かの絶望をほんとうに理解するには、じぶんも「深い絶望」を知っているということが必要だとおもう。


絶望は、「人間を理解する」という知性を、一回りも二回りも大きく成長させる。


人間を深く理解するとね、人生の面白みは格段に上がる。
それは、今後出会うかもしれない大切な誰かの悲しみを癒やしたり、そのひととより深い絆をむすぶ力になるかもしれない。


「人間しての深みが増す」というのは、そういう過程のことなんじゃないかとおもう。



変わることができるひとは、とても真摯で美しい。
傷つきながらも、その内面からすさまじい輝きを放っている。
そういうひとたちの近くで生きていたい。
それは、ぼくにとっての変化や成長の、なによりのきっかけになる。


果たして、あのひとたちは、世界とどんな再接続点をもってくれるのかな。
それが楽しみで仕方がない。




***


この内容は、「月刊・自己肯定感」マガジンに入れようと思ったんだけど、「読んでほしいな」っていうひとの顔が何人も浮かんだので、オープンにすることにしたよ。


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それじゃ、また。

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