コミュニケーションの中で「正解」を探してしまうことについて
ハロー。あついね。
落ち込みやすい季節だけど、みんな無事かな?
調子が悪かったら、適度に「梅雨だからな」で済ませしてみようか(笑)
こないだね、友人のMさんが、こんな話をしてくれたのね。
「私、リツイートするのも恥ずかしんですよね」
「私なんかがリツイートしたり、リプライを送ってもいいのかなって」
ほうほう、なかなかの控えめさだねえ、と面白く聴いていた。
会議のときとかでも、意見を求められた時に、「誰かを不快にしないか」とか「いい意見を言わなきゃ」とかいろいろ考えすぎて、結局発言できなかったりするんだって。
たしかに、「スピード感のあるコミュニケーションが苦手」ってひとがいるけど、かなりこの成分が入っている印象がある。SNSのようなライトなコミュニケーションであっても、ついブレーキがかかってしまう。
おそらく、そこでブレーキをかけるのは、コミュニケーションにおける「正解」をさがしてしまうからだとMさんは言っていた。
たとえ誰かに対して、「良い行動がしたい」という気持ちがあるときでも、なかなか踏ん切りがつかないことがある。「コミュニケーションで決定的な失敗をしたくない」という恐怖を抱えていることが多いのよね。
「正解」をさがしているときに、頭をよぎる不安はだいたいこんな感じだろう。
面白くないやつだとおもわれるんじゃないか
批判的なやつだとおもわれれるんじゃないか
無知なやつだとおもわれるんじゃないか
空気を崩すやつだとおもわれるんじゃないか
こういう類の不安って、脳内で自動的に発生してくるやつだから、実にてごわい。
とくに、相手が尊敬するひとだったり、怖い上司だったり、あとは初デートの相手だったりすると(笑)「ミスできない」という気持ちが強すぎて、ブレーキにますます拍車がかかる。
いつも読んでくれてありがとうございます。 文章を読んでもらって、サポートをいただけることは本当に嬉しいです。