「芸術に触れている人は赤ちゃんと対等に関わる」という仮説について

ぼくは赤ちゃんの気持ちについて日々リサーチをしたり記事を書いたりしていますが、「赤ちゃんの気持ちは本人にしかわからない」と思っています。本人もよくわからないかもしれません。(というかそもそもぼくたち大人も自分の気持ちを寸分の狂いなく言語化できているのでしょうか)

しかし、想像することはできます。仕草や表情から「こんな気持ちなのかな?」と仮説を立て、働きかけてみて、良い反応が得られたら赤ちゃんの気持ちにフィットしていたのでしょう。思わしくなければ仮説が間違っていたのかもしれません。

このとき、自分の仮説が間違っていたことを認められなかったり、そもそも赤ちゃんを自分の意のままにコントロールしようとして関わっていたりすると、イライラするでしょう。ぼくも油断すると「自分が正しく他者が間違っている」という考えに陥りがちです。自分の不利益ばかりを主張したり、愚痴ばかり言うようになってしまっているときは気をつけたいものです。

赤ちゃんという存在は、大人の常識とは異なる世界を生きています。そのことは過去のnoteの記事にも書き連ねてきました。

自分が培ってきた価値の判断基準を括弧に入れて赤ちゃんの仕草や表情を見ることができれば、赤ちゃんとの時間が少し豊かになるだろうと考えています。そして、それは芸術を鑑賞することとよく似ていると思います。

日用品をおもちゃに変える

先日、こんなツイートをして実際に子育てをしているお母さんたちからいくつかコメントをいただきました。

ぼくもそれなりに美術や演劇が好きで、年に10回以上は展覧会や劇場に足を運びます。子育て中の友人にもそういう人たちがいて、会って子どもと関わり方を見ていると、共通点があるように思えてきたのです。

とくに顕著なのは遊び方です。既製品の玩具を買い、説明書にあるような正しい遊び方を促そうとするのではなく、身の回りにあるお菓子の空き箱や缶、石ころやどんぐりなどをささっと遊び道具にする。というより赤ちゃんがそうしようとするのを面白がって見ている人が多いように思います。なんだか、マルセル・デュシャンが言う「レディ・メイド」を連想してしまいます。

レディ・メイド」とは大量生産された既製品から日常的な意味を剥奪して「オブジェ」として陳列したものを指す概念だそうです。デュシャンが男性用の便器に『泉』という題名をつけて美術館に提示したのは有名な話です。

柄谷行人という人が、芸術を鑑賞することは「美しい/善い/役立つ/癒される」といった日常的関心を括弧に入れることだというようなことを言っていました。その「日常的関心を括弧に入れた」状態で、感覚をひらいて目の前の物事(作品)を見ていると、言葉がうまく出てこなくなります。そこから今の自分の気持ちとその作品の間で言葉を紡ごうとすると、考えたことがなかったようなことを考えます。芸術とはそういう知的興奮をもたらしてくれるものだと思います。

日常的関心を括弧に入れる訓練

おそらく、即興的におもちゃをレディ・メイドにできてしまう人たちは、芸術を見ることを通して「日常的関心を括弧に入れて見て感じて考える」という訓練をしてきたのだと思います。

芸術には正解がなく、赤ちゃんの気持ちにもまた正解がないと思います。正解のないものとの関わり方を学んでいる人は、本人も正解が分からなくて困って葛藤している赤ちゃんに対して「わからないよね」と共感しながら「こう考えてみたら?」と提案し、提案が受け入れられなければ別の提案を考える、というような関わりをすることができているのでは?と思っています。

実際にアンケートなどで調査をするのは難しいかもしれませんが、芸術鑑賞経験と子どもとの関わりの間に、何かしらの関係性が発見できると思っています。ぼくは引き続き自分の主観で観察・記述し、この仮説を検証していこうと思います。

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