表紙

不安をやわらげ力を与える「多感覚コミュニケーション」の話

心理的に不安を抱えている人に対して、目を見て、触れながら話をする「多感覚コミュニケーション」を積み重ねることで、相手に活力を与えることができる、という話を書きます。

たとえば「握手をしながら目を見て話す」といったように、複数の感覚を用いたコミュニケーションを「多感覚コミュニケーション」といいます。このような方法は、赤ちゃんや子どもと関わるときにとても役に立ちます。

ユマニチュードの思想と技法

今回は『家族のためのユマニチュード』という本を参考にしています。

「ユマニチュード」という認知症のケアの技法では、多感覚コミュニケーションを用いて、相手と良い関係を結び、持っている力を奪わず引き出すことを目指します。「あなたのことを大切に思っている」「私は大切に思われている」という安心に満ちた関係を構築することがユマニチュードの目標です。

たとえば、認知症の人の体を引き起こす時、手首をぎゅっとつかんで、無言でいきなり引き上げてしまっては、相手も驚き、怖さを感じるでしょう。

目を見て、「体を起こしましょう」とゆっくりしたトーンで話しかけ、相手の肘の下に手を入れ、腕全体で相手の腕を下からささえるようにし、同時に、背中にしっかりと手をまわす。

このようにして、目線、言葉、そして動作全体から「あなたを大切に思っている」というメタメッセージを届け、相手にも「自分は大切にされている」という気持ちをもってもらう。これが、ユマニチュードの思想であり技術であるといえそうです。

視覚的・聴覚的・触覚的「優しさ」

病気などで体が自由に動かせなくなった時、ぼくたちは心身ともに不安になります。認知症の人や、あるいはまだうまく動けない赤ちゃんなども、似た状況があると言えます。そんな心と体が不安な状態のとき、介助をしてくれる人の動作や言葉がけに対して、敏感になります

ユマニチュードでは、相手のなかに「自分は大切にされている」という気持ちが芽生えるためには「知覚の連結」が必要であると考えます。単に複数の感覚から情報を入力するだけでなく、それらの情報から「優しさ」「安心」「楽しさ」といったポジティブな意味が「知覚」され、統合されることが必要であるというのです。

たとえば、いきなり視界に入るのではなく、相手の正面からゆっくり近づき、自分の目線と水平になってくれること。

大声で話しかけるのではなく、落ち着いたトーンで声を発し、ポジティブな言葉をかてくれること。

いきなり相手の体に触れるのではなく、広い面積で、優しく、下からゆっくりと支えるようにしてもらえること。

このようなふるまいによって、不安な状態にあるわれわれは、ゆっくりと距離を縮めてもらい、ポジティブな言葉のトーンに安心を感じながら、支えられるような触れられ方によって動作をナビゲートしてもらえる。視覚的・聴覚的・触覚的「優しさ」が連結することで、自分が大切にされているという気持ちが芽生えるのです。

心身ともに不安な時、人の知覚は敏感になります。「優しさ」を曖昧な感情としてではなく、さまざまな「知覚」から受容できるような敏感さを手に入れているとも言えます。

ユマニチュードの4つの柱

そんなふうに優しさを相手に届けるために「知覚の連結」を生み出す基本技術として「見る」「話す」「触れる」そして「立つ」という4つの項目があげられています。

見る :相手の認識している視野を想像し、遠くからだんだんと正面・水平に目線を向ける
話す :ポジティブな言葉を使う。ケアする人の動作の実況中継。マルチモーダルコミュニケーション。いつもの3倍話す。
触れる:体の部分を動かすときは、広い面積で、優しく、下から支えるように
立つ :1日20分間立つ時間をつくる

上の3つは介助者の技術です。認知症の人からみれば、介助者から見られる、話しかけられる、触れられる、ということをされます。上記の例のとおりです。

とりわけ重要だと感じるのは、4つめの「立つ」です。

認知症の人でも、1日20分立つことができれば、寝たきりにならず、生涯立つ機能を維持できるといいます。連続で20分でなくても、着替えに2分、トイレまで3分、髭を剃る5分、体を拭く10分、歯をみがく3分・・・というように、断続的にでも合計20分を維持すれば良いそうです。

見る、話す、触れるという行為を通して優しさを届けることで、相手の中に「大切に思われている」という喜びと安心感のきもちが生まれる。このきもちが「立つ」ための力になるのだと思います。その安心感と喜びがなければ、立つ気力は簡単には湧いてこないのでしょう。

その介助者との「良い関係」のなかでなら立ってみようじゃないかと思ってもらえる。こうして不安を抱える相手に自分の力を出してもらえるというメカニズムのようです。

介助者の遊び心が尽きぬために

ユマニチュードのような「多感覚コミュニケーションを用いて相手に優しさを届ける技術」は、育児にも仕事にも応用できる考え方だなと思います。同時に、この技術と思想を両立するには並々ならぬ努力だけでなく「心の余裕」が必要です。

育児をしていても、親の心に余裕がないと、子どもと楽しく関わる時間は生まれません。仕事をしていても、上司の心に余裕がなければ、部下の気持ちに気を配ることもできなくなるでしょう。保育士や心理士、児童養護施設で働く職員などが心に余裕をもつためのメンタルケアも社会的な課題になっています。

人をサポートし、大切に思うだけでなく、サポートする人も常に大切にされたいと思っているはずなのです。こうした介助者の心を回復するために、ある種の「遊び」が有効なのでは?ということを考えましたが、この点はまた今度。

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