「きみはそう思った」と確かめることから ーアートから人間関係まで
「つい子どもに口出しをしたくなる。でも本当は子どものありのままを受けとめたい」と思っている人は少なくないと思います。子どもだけでなく、パートナー、上司や部下、友人でも。
今日はそんな人間関係の構築にも有効なアートの鑑賞方法「ヴィジュアル・シンキング・ストラテジーズ」を紹介します。
目次
・ありのままを受けとめるシンプルなストーリー
・ヴィジュアル・シンキング・ストラテジーズ
・一枚の絵をめぐる対話
・ありのままを言い換える「パラフレーズ」
・アートが「宙ぶらりん」だからこそ
・「メタメッセージ」が場を左右する
・意味は決まっていないもの
ありのままを受けとめるシンプルなストーリー
前回のnoteで「他人にダメ出しをしたくない人は、コントロール幻想を手放すために、新しいストーリーを選ぶべき」という話を書きました。
ダメ出し的思考のストーリーは、他人が「Aだと思う」と言ったとき、自分の考えと違えば「本当にAかなぁ?」「Aじゃないんじゃない?」「Bだと思うけどな〜」「こういうときはBだと思ったほうがいいよ」というふうに、AではなくBであるという考えを相手に植えつけようとします。
今日ご紹介するストーリーはとてもシンプルです。他人が「Aだと思う」と言ったら「きみはAだと思ったんだね」と確認することからはじまります。そうしてありのままを受けとめるところから、相手と一緒に「どこからAだと思ったのか」「他に発見や考え方はあるか」をさぐっていくことで、相手とともに思考を深めていきます。
その具体的かつ効果的なトレーニング方法に「アート作品を人と一緒に見る」という方法があります。
「アート?」と疑問に思うかも知れません。どういうことか、見ていきたいと思います。
ヴィジュアル・シンキング・ストラテジーズ
美術鑑賞の1つのメソッドである「ヴィジュアル・シンキング・ストラテジーズ(以下:VTS)」をご紹介します。
今回ご紹介するこのメソッドはこちらの本(『学力をのばす美術鑑賞 ヴィジュアル・シンキング・ストラテジーズ:どこからそう思う?』)を参考にしています。
VTSとはニューヨーク近代美術館の元教育部長フィリップ・ヤノウィンさんが中心となって開発したメソッドです。「アート作品を鑑賞し、教師(ファシリテーター)の問いかけから、鑑賞者同士でグループ・ディスカッションをする」というものです。
教師はファシリテーターとして、子ども(鑑賞者)がまず作品をよく見て、次に観察した物事についての発言をするように促します。さらに、発言の根拠を示すようにします。そして、同じように発言した他人の意見をよく聞いて考え、話し合い、さまざまな解釈の可能性について考えるように促していきます。
このなかで教師は基本的にシンプルな3つの問いをしていきます。「この作品のなかでどんな出来事が起きているでしょうか?」「作品のどこからそう思いましたか?」「もっと発見はありますか?」という3つです。
さらに、教師は3つの技法を組み合わせて対話を構成していきます。それが「指差し」「パラフレーズ(言い換え)」「リンク(発言をつなげる)」です。
実際には、こんなふうなラリーが続きます。
このような言葉のラリーを通して、そこに集まった人たちと共に絵の意味を見出していきます。そこで考える意味とは、アーティストが考えたものでもなければ、展覧会の企画者の解釈をさぐるものでもありません。集まった人たち(ここでは子ども)がその場で意味や解釈をつくりあげていく場であると言えます。
一枚の絵をめぐる会話
具体的に、どんなふうにディスカッションが進行していくのでしょうか。ぼくが教師になって妄想でファシリテーションをしてみます。小学校4年生ぐらいの子どもたちを想定しています。少々長いですが、お付き合いください。
下の作品を見てください。これは、とある画家が描いた絵です。
ぼく:さて、みなさん、まずはじっくりと作品をみてみてください。
<静かに作品を見る時間を設ける>
ぼく:この作品のなかで、どんな出来事が起きているでしょうか?
子1:カニがいる。カニの周りは緑色。海の中にいたカニが、葉っぱの上に乗せられているのかも。これからこのカニは食べられちゃう。
<発言を聴きながら、ぼくは言及された箇所を指差す。ここでは「カニ」「緑色」の順番>
ぼく:まんなかに描いてあるものに注目して、これがカニだと考えてくれたんだね。しかも海の中にいたカニが、葉っぱの上に乗せられて、これから食べられようとしている。どこから、蟹が食べられると思ったのかな?
子1:だって、カニが逆さまになってるから。カニのハサミはふつう大きい部分が上でしょ?
ぼく:「カニがこれから食べられそうになっている理由」を考えてくれました。カニは大きいハサミを一番上にもっているけれど、このカニはさかさまになっていると、言ってくれました。なるほどね。もっと発見はありますか?
子2:ぼくはこのカニが死んでると思います。傷がいっぱいついている。
ぼく:きみもカニについて考えてくれたね。カニに傷がいっぱいついているというのは、どこからそう思ったのかな?
子2:ハサミのところとか、お腹のところに線がいっぱいついてるから。
<発言を聴きながら、「ハサミ」「お腹」の順番に指をさす>
ぼく:ここはカニのハサミとお腹で、ここに書かれた線は、つけられた傷だと言ってくれました。もっと発見はありますか?
子3:わたしは宇宙人だと思う。すごく大きな宇宙の怪獣が、地球に遅いかかかってきた。
ぼく:ここに書かれているのは宇宙人で、地球に襲いかかっている。地球に襲いかかっているというのは、どこからそう思ったの?
子3:緑色のところが、地球の草原。
ぼく:この緑色の部分が、地球の草原で、そのうえに巨大な宇宙怪獣がいるということを考えてくれたんだね。さっきとは別の意見が出てきましたね。カニというのも、宇宙人というのも1つの見方ですね。もっと発見はありますか?
子4:ぼくはただのカニだと思う。カニをひっくりかえしてるだけ。ちょっと普通のカニとちがうから宇宙人とかに見えたんだと思う。
ぼく:この絵の中に描いてあるものについて話してくれました。絵の中には、ひっくりかえったカニが描いある。普通のカニとちがうから宇宙人に見える、というのはどこからそう思ったのかな?
子4:カニをこんなふうにみたことないから。
ぼく:ひっくりかえったカニを見たことがないから、宇宙人に見える人もいるが、本当はカニだと考えてくれたんだね。ありがとう。
ありのままを言い換える「パラフレーズ」
こんな感じです。ここでぼくのファシリテーションがうまいかどうかはさておき、今日のポイントは子どもの発言をありのままに受けとめ、「受けとめたよ」という合図として「パラフレーズ(言い換え)」をしているという点です。
ここで「カニがいる」と言った子1の発言に対して、どう返すのが良いのかもう一度考えてみます。4つほど選択肢があります。(「カニじゃないんじゃない?」などの否定の言い方は外します)
やってしまいがちなのは①「そうだね、カニだね」とあっさり肯定すること。一体何がよくないのか。
この言い方だと、絵に描いてあるものが「カニ」になってしまうんです。この言い方は「そう、ぼくもカニだと思っていました。ぼくの考えと一致しているので正解です」みたいなメッセージを発しており、絵の意味するものを固定しようとしています。子どもはこのような言い回しにとても繊細なので、もしこの言い方をしていたら子3の「宇宙人」という意見は出てこなかったかもしれません。
②の「カニに見えた?いいね!」は、発言した子は「いい!」と肯定されて嬉しいのですが、宇宙人だと思っていた子3は「カニ以外はいいねって言われないんだ…」と思ってしまうかもしれない。
③の場合はどうでしょう。「なるほどね…」というふうにしてぼくが考えているように見えます。「本当はカニじゃないんだけどカニに見えたということか…」とか「正解はカニだが、すぐに当ててしまってどうしよう」とか、発言の裏になにか含みがある言い回しになってしまいます。子どもはすかさずその「含み」の部分を詮索しようとします。その詮索は鑑賞の目をにごらせてしまいます。
ぼくが選んでいるのは④。いろんな意見を受けとめるために、「カニがいる」という発言を「きみはここに描いてあるものをカニだと考えたんだね」と言い換えています。この言い方は「きみはそう考えた。他の子はそうは考えないかもしれないし、同意してくれる人もいるかもしれない」というメッセージになります。
子どもは「カニがいる」とだけ言っていますが、言葉を補えば「(ぼくはここに)カニがいる(と思う)」と言っているのです。そのように「ぼく/きみ」や「と思う」などの言葉を補って言い換えをするように気をつけます。
そうすることで、発言した子の意見だけを肯定することもなければ、他の子の考えを否定することもありません。このあとの子3の「宇宙人だと思う」という発言に対して、「カニだという考えもあれば、宇宙人だという考えも出てきたね」と言って、どちらも否定しないかたちで発言の対比をさせることができます。
アートが「宙ぶらりん」だからこそ
アート作品がこうした思考のトレーニングにとして有効な理由をVTS開発者のヤノウィン氏は下記のように語っています。
深淵でしかも一筋縄ではいかない発見のプロセスを立ち上げるのに、アート作品が有効な理由は、作品が、明確に読解できる情報と、多義性と多様な主題・技法の組み合わせで成立しているからである。
言い換えると、いろんな解釈ができるように価値が「宙ぶらりん」になっているからだと言えると思います。宙ぶらりんというのは、価値があるようにもないようにも見えるようにしているということです。アーティストによってはすぐに価値が判断できないように細心の注意を払って作品をつくっている人も少なくないでしょう。
上記の絵はフィンセントファン・ゴッホという人が描いた『裏返しの蟹』という作品です。描かれたカニは、生きているようにも死んでいるようにも見えます。ひっくり返っているがゆえに、カニであるようにも別の生き物であるようにも見えます。ただ生きているカニに見えるだけでなく、いろんなふうに見えるからこそ、ゴッホは裏返しのカニをモチーフに選んだのかもしれません。
人には人の考え方があります。驚くほど違う個々人の考え方を、完璧に理解せずともまずは受けとめあうところから、対話をはじめたいものです。アートはその考え方の多様性を映し出す鏡のような存在であるとも言えそうです。
メタメッセージが場を左右する
これまでのことを今日のテーマにつなげて考えてみます。今日のテーマは「他人へのコントロール幻想を手放し、ありのままをうけとめること」というものでした。
「カニがいる」と言った子に対して、ぼくがもし「そうだね、カニだね」と言っていたとしたら、「この絵をカニだと思うべき」という「べき論」がその場を支配してしまいます。
こうしてみてみると、言葉というものは常に2つのメッセージを発していることがわかります。1つはぼくの言葉がその通りの意味。もう1つは言葉に表れない別の意味。この2つめの意味のことを「メタメッセージ」と言います。
「きみはここに描いてあるものをカニだと考えたんだね」という言い方は、「きみの考えをうけとめたよ。他の子も同意してくれるかもしれないし、違う意見の子もいるかもね」というメタメッセージを発信します。
「他人のありのままをうけとめる」ということは、「あなたはそう思った」という事実をうけとめると同時に「賛成する人もいるかもしれないし、違う意見の人もいるかもしれない」というメタメッセージを発し、いろんな人の考え方の可能性を保ち続けることのようです。
VTSではNGですが、会話やミーティングに応用するときには、このような事実の確認をふまえたうえで、その意見を肯定するのであれば「ぼくはあなたの意見をとてもすてきだとおもう」、別の意見を言いたいのであれば「ぼくはこう思う」などと伝えます。
「ぼくは」が主語になっていることで、「他の人は違うと思うかもしれないけど」という暗黙の前提を含みます。これは「アイメッセージ」というものです。「アイメッセージ」でポジティブなことを言われるととても嬉しいので、ぼくは心がけています。
意味は決まっていないもの
まとめです。
ぼくたちはつい自分の「べき論」を他人に押し付け、他人をコントロールしようとしてしまう。だから手出し口出しをしてしまう。でも本当は他人のありのままをうけとめたい。
そのためには、自分の「べき論」を保留しておいて「あなたはそう思ったんだね。同意してくれる人もいれば、違う考え方の人もいるかもね」ということを確認することが最初の一歩のようです。
物事の意味は、それがおかれた状況や流れ、その人の見方によって変わるものです。
今日ご紹介したアート作品を見て解釈を無限に広げる方法は「クリエイティブなイマジネーションを養う」と思われがちですが、実は日常のささいなコミュニケーションにも生きてきます。
子どもだけでなく、恋人、上司、部下、友達の様子をよく観察すること、発言を丁寧にうけとめることから、良い対話が生まれることもあります。前提となる事実確認をふまえたうえで「アイメッセージ」で自分の意見を伝えることで、誰がどう思っているかということが整理されます。(VTSではファシリテーターが自分の意見を言うことは推奨されていません)
ちなみに本の中では、VTSをいきなり他の領域に応用するよりも、まずはアートを一緒に鑑賞し、ディスカッションを楽しめるようになることが推奨されています。このVTSのメソッドに則った鑑賞のあり方は非常に楽しいゲームです。ぜひ休日のレジャーに試してみてはいかがでしょうか。
(note美術部みたいな感じで、みんなで鑑賞するならぜひファシリテーター役を買って出たいです。)
そして実はこのメソッド、赤ちゃんの観察にも、赤ちゃんとの遊びにも有効です。そのことはまたの機会に。
この記事のまとめ
1. 「べき論」を他人に押し付けてしまいがちなことに注意する
2. 「あなたはそう思ったんだね」ということを確認する
3. 物事の意味は、置かれた状況や、人の見方によって変わる
4. 前提を確認したうえで、アイメッセージを伝える
5. 意味が決まっていないもの、つまりアートの鑑賞からはじめよう
6. みんなで美術館に行こう
長文におつきあいいただき、ありがとうございました!ツイッターで感想をつぶやいていただけたら、とてもうれしいです。
赤ちゃんの観察と理論に基づく拙著『意外と知らない赤ちゃんのきもち』はこちら。
VTSについてより詳しく知りたい方は、日本語で出ている貴重な文献をご参照ください。
VTSの研修、プログラム実施へのサポートをしているNPO『Visual Understanding in Education (VUE)』のサイトはこちら。
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