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「遊んでもらう」から「遊んであげる」へ ー遊び方の学び方

こんにちは。ワークショップデザイナーの臼井隆志(@TakashiUSUI)です。このnoteでは、1つのテーマを前後編に分けて、前半ではテーマを概説して、みなさんからの「おたより」を募集します。後半では「おたより」を紹介しながら、テーマを深堀していきます。

今回のテーマは「遊んであげる」ということについてです。子どもは「遊んでもらう」のをいつも期待するけれど、やらなきゃいけないこともあるし、同じことを繰り返すだけなので、大人のほうが飽きてしまう…。大人にとって子どもと「遊んであげる」ことが少しでも楽しくなれば、子どもも大人もハッピーなわけです。

今回はこの「遊んであげる」という大人の態度について、ちょっと遠回りしながら問い直してみます。

目次
・「遊び」とは「遊んであげること」
・「遊んでもらった」経験が次世代につながる
・「遊んでいる」のはむしろ大人
・「遊ぶ」という態度の学び方
  - 第一段階:もっぱら大人に遊ばれる
  - 第二段階:大人に対して「遊んであげる」
  - 第三段階:仲間とともに「遊び/遊ばれ」

「遊び」とは「遊んであげる」ことである

まず「遊び」について、今回は発達心理学者の麻生武さんの定義を引用します。

遊びとは何か。それは「哺乳類の成体(親・年長者)が幼体(子ども)に対してとる態度」である

*引用:『「学び」の認知科学辞典』p.128-p.145「遊びと学び」麻生武[()による補足は筆者]

通常「遊び」というと、「みんなで夏、海に行く」とか、子どもの遊びなら「ごっこ遊び」などをイメージします。しかし、麻生さんは「遊び」とは「遊んであげる」という大人の態度が原点なのだというのです。「みんなで夏に海」とか「ごっこ遊び」というのは、「遊んでもらう」という体験を十分に味わった子が、成長した後にできるようになるものだと。

「遊んでもらった」経験が次世代につながる

たくさん「遊んでもらう」ことで、他者に対して「遊んであげる」もしくは「仲間とともに遊ぶ」ということができるようになる。

麻生先生の理論では、大人が子どもに、あるいは仲間同士がお互いに「遊んであげる」という態度は、哺乳類が次世代を育てていくために、ぜひとも「学ばなければならない」ことであると言います。

いったいどういうことでしょうか。大人から子どもへ「遊ぶ」という態度が伝わる過程を考えてみます。

「遊んでいる」のはむしろ大人

哺乳類は、母乳で子どもを育てるので、大人は子どもを「保護の対象」としてケアする必要があります。とりわけ人は、独り立ちするまで20年近くを要するわけです。そのために哺乳類の子どもは「かわいい」と思わせる特徴(頭がおおきい、顔のパーツが中央に集まっている、声が高い)を持っていると考えられています。

その「かわいい」という気持ちから、子どもを笑わせたり、楽しませようとしたりしてニコニコと「プレイフルな態度」をとり、「これから遊んであげちゃうよ~!」というメッセージを全身から発する。この大人のふるまいこそが「遊び」の原点であるといいます。

たとえば、電車のなかで赤ちゃんを見つけて、じーっと見つめられたとき、ついつい「いないいないばあ」や変顔をしてしまったこと、あるいはそういうことをしている人を見たことがありませんか?あの時の大人は赤ちゃんがかわいくてついつい関わりたくなってしまって「遊んでいる」ということだというのです。

また、このとき、小さな赤ちゃんであれば、大人の遊びに対して無反応に見えることがあります。きゃきゃきゃ!と笑ってくれれば、遊びが成立している感じがありますが、無反応な時は、まったく興味がないか、思考しているかのどちらかです。泣いたり怒ったりして不快感をあらわにしているときは、大人の遊びが失敗していると考えられます。

「遊んでもらう」から「遊んであげる」へ 役割の逆転

哺乳類の大人は子どもを育てるために、子どもに対して「かわいい!関わりたい」と思い、たくさん「遊んであげる」。これは「大人」ではない場合もあります。赤ちゃんに対して5歳児が「遊んであげる」ことや、1年生に対して6年生が遊んであげるということもありますよね。


小さな子どもは、大人や年長者に「遊んでもらう」という喜びをたくさん体験することで、いつしか役割を逆転させ、他者に対して「遊んであげる」ということを始めるといいます。大人が自分に対してやっていたことを、今度は自分が他者に対してやってあげる、ということです。

たしかに「昔先輩によく飲みに連れて行ってもらったから、今度は自分が後輩をつれていくんだ」という感じで「遊んでもらう」から「遊んであげる」への役割の逆転って、大人でもありますね。

*このような「他者の態度・ものごとへのまなざし」を学ぶ過程については、こちらをぜひご参照ください。

「遊ぶ」という態度の学び方

子どもの場合、どのようにして「遊んでもらう」から「遊んであげる」に変わっていくのでしょうか。それは以下の3つの段階に整理できそうです。

「いないいないばあ」を例にとってみましょう。ここでは「いないいないばあ」は「かくれんぼ」に進化すると仮定します。

第一段階:もっぱら大人に「遊ばれる」

大人による「いないいないばあ」で喜ぶ段階です。遊んでいるのはむしろ大人です。年齢は0歳から1歳半頃まででしょうか。

第二段階:大人に対して「遊んであげる」

次に、1歳前半頃からだんだんと遊ぶ大人の「いないいないばあ」を真似し、大人に対して仕掛けるようになります。

「いないいないばあ」だけでなく「おいかけっこ」や「かくれんぼ」のような遊びにも発展していきます。同時期に、積み木を電車に見立てたり、人形遊びをしたり、友達同士でもじゃれ合うようになります。

このように子どもが「遊んであげよう」として働きかけてくるとき、大人がプレイフルに反応することで子どもの「遊んであげている!」という充足感が増幅するということです。その充足感が、仲間に対するホスピタリティを育むのでしょう。

第三段階:仲間とともに「遊び/遊ばれ」

3歳頃になり、言葉でのやりとりができるようになると遊びの中にあるルールを理解し、仲間同士で鬼が交代する「かくれんぼ」ができるようになってきます。このときは仲間に対して「遊んであげている」状態と、仲間から「遊んでもらっている」状態が混在していると言えるでしょう。またルールの理解を調整するために、大人/年長者の介入が必要な場合もしばしば

繰り返しになりますが、ここでもまた大人もしくは年長者がいかにプレイフルな雰囲気でサポートするということが大切です。「どのようにサポートすれば、子どもはどのようなに変化するか」を考えることは、子どもと関わる楽しみの1つです。このことを「発達の最近接領域」などと言ったりしますが、そのあたりのことは次回以降に書いていきたいと思います。

おたよりのテーマ

そんなわけで「遊びとは何か」という非常に深遠なテーマに対して軽々しくも書いてきたわけですが、1つの見方として「遊んでもらっていた自分がいつしか遊んであげるようになる」という役割の逆転を引き起こすもの、それが「遊び」であると考えられるかもしれません。そして、それは何歳になってもありうることですよね。

さてそんなわけで、今回からはじめる「おたより」の募集。

子どもの頃でも、大人になってからでも、あなたの思い出に残っている「遊んでもらった人」について教えてください。

ということで、「こんな人に遊んでもらった」「こんな遊び方を学んだ」「遊んでもらったことって記憶になくて、いつも遊んであげてばかりだった」など、「遊んでもらう/遊んであげる」ということにまつわる皆さんのエピソードを募集します!

ちなみにぼくは、剣道3段の父と闘いごっこをして遊んだことをよく覚えています。しかし、父は強すぎてぼくの本気パンチをかわしまくるので、ぼくがいつも悔しくて激昂して大泣きして終わるという展開でした。上に書いた「遊びの失敗」の典型ですね。

そんな父に教わった遊び方でいまでも続いているのは「映画館に行く」ということです。幼稚園児の頃からよく映画に連れて行ってくれた父は、映画を観て、パンフレットを買い、帰りの車のなかで感想を語ったり、予告編で気になったものを話したりするという、今もぼくが妻とやっている遊び方を、幼い頃に教わったな〜と思いますし、子どもと一緒に映画館に行くのが楽しみです。

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次回の投稿は1週間後の8月30日を予定しています。

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