身体知からデザインへ ー「他人の身体を借りる」という方法

こんにちは、ワークショップ・デザイナーの臼井です。「ミミクリデザイン」というコンサルファームが「ワークショップ・デザイン・アカデミア(以下:WDA)」という学びのコミュニティを主宰しています。ぼくはそのなかで「WDA身体知ラボ」という部活のようなものに参加することになりました。

なぜ、ぼくが身体知に興味を持っているのか。一言で言えば、他人への想像力を限界まで引き上げるためです。身体から他者を想像する技法を研究するラボをたちあげる、そのステートメントをここに書きます。

言葉をわかりやすく整理するよりも、今考えていることをひとまず全部盛りにして書きます。5000字ほどなので、5~6分お時間をいただきます。

目次
- 身体知とデザインの関係
- わかりあえないことから「わかったつもり」の質を考える
- 赤ちゃんのきもちになってみる
- ダンサー砂連尾理さんの言葉
- わかりあえないモノをみて、それになる
- 身体の想像力
- WDA身体知ラボの参加方法と今後の予定

身体知とデザインの関係

このWDA身体知ラボの活動で考えたいことは「デザインに身体知を応用する」ということです。モノ、体験、システムなどさまざまなデザインがありますが、それは身体への配慮から生まれると思うのです。

「身体への配慮」とは、座り心地のいいイスをつくるとか、空気清浄機をつくるということではありません。結果的にそうなることもあるかもしれませんが、なによりもまず「他人の身体を借りて考える」ということです。

他人の身体に「なったつもり」になることで、他人への新しい配慮やコミュニケーションの回路が開かれる。それはデザインだけでなく日常のコミュニケーションを豊穣なものにする。

そのためにまず自分たちの身体への理解を深めることが必要です。言語化はうまくできないが、身体は知っている「コツ」や「カン」のことを「身体知」といいます。(詳しく知りたい方は慶應義塾大学の諏訪正樹先生のいう「からだメタ認知」などもぜひご参照ください。)

このような「身体知」について様々な実践や文献をひもときながら、ものづくりや体験づくりなどの「デザイン」について考えていくラボをつくりたいと考えました。

そもそもは「赤ちゃんについて考えることは、実はデザインにも役立つのではないか?」と考え始めたのがきっかけでした。

一体どういうことか。順を追って書いてみます。

わかりあえないことから「わかったつもり」の質を考える

「他人のきもちに共感しよう」とか「顧客を観察し、理解しよう」といった言葉をよく聞くようになりました。こうした言葉が広がることで、「ユーザーファースト」を掲げた開発者によって使い易い商品が生まれ、ぼくたちの生活が豊かになったり、「顧客の目線で商品やサービスを開発をしたい」という人がふえています。そして、他人をわかろうとしたり共感しようとしたりすることは、人間が社会を形成するうえで必要なことです。

しかし、完全な他者理解・共感は不可能です。他人の話を聞いたり観察したりするとき、ぼくたちは少なからず「わかったつもり」「共感したつもり」になり、それはどこまでいっても「つもり」なのです。

だからといって、他者のきもちへの想像を諦めることはしません。その「つもり」にも質があります。「つもり」の質を限界まであげることはできます。

そのために何ができるだろうかと考えた結果、ぼくは「他人の身体を借りる」という方法にたどりつきました。他人を完全に理解することは不可能ですが、他人のきもちになってみることはできます。自分と異なる他者の身体を想像し、そのなかにはいりこんだような気分で過ごしてみると、他人のことを自分なりに解釈できるようになります。

赤ちゃんのきもちになってみる

「他人の身体を借りる」ような気分で過ごしてみると、他人に対する完全な理解ではなく「自分なりの解釈」がひろがる。それは、新しい配慮、新しいコミュニケーションを生み出します。

ぼくは拙著『意外と知らない赤ちゃんのきもち』のなかで「Baby View」という方法を提案しました。(第7章参照)

Baby Viewとは、赤ちゃんのからだのなかに入り込んだような気分で、赤ちゃんの行動を観察し、さらには赤ちゃんの行動を自分の身体を使って真似してみることで、赤ちゃんの感覚-運動をトレースするというものです。

そうして「赤ちゃんが何に興味をもっているのか」を「腑に落ちる」までやってみる。「もしかしてこういうことが楽しいと思っているのかもしれない」「なるほどそれは楽しいかも!」と、赤ちゃんへの共感が芽生えてくるまで試して見る、という、いわば遊びです。

ちなみにこれは子育てにも有効です。ぼくはよく妻と、娘(0歳3ヶ月)の動きを真似して遊んでいます。

たとえば、おっぱいが欲しくてもがいているときに、まだ運動系が制御できない娘は、自分で自分の顔に裏拳(手の甲で殴打するカンフーの技)をバシバシかましてしまい、泣いてしまいます。それをみて思わず笑ってしまった妻が、仕事帰りのぼくにそのものまねを披露してくれます。(なにせ顔が似てるので、ものまねの精度が必然的に高いので笑えます。)

ところがそのふざけたモノマネによって、娘がまだ運動系を制御しきれていないことへの想像と理解が深まり、娘への新しい配慮ができるようになります。全身を動かしたそうにしているときは、ハイローチェアではせまいので、ベビーベッドやソファのうえに移動してあげて、思う存分動かせるようにするというのを心がけるようになりました。

このようにして、遊びとして「他人の身体を借りる」ということをやってみると、自分の中に新しい感覚が芽生え、はからずして配慮が生まれたりします。そのような配慮をベースに、サービスやプロダクトを考えることも可能。だからこそ、身体知からデザインを考えたいと思っています。

ダンサー砂連尾理さんの言葉

「他人の身体を借りる」ことは、新しい身体感覚を手にいれることでもあります。そしてそのためには、自分の身体に対する素朴で基本的な理解をもっておくとよいと思われます。

ここでもうひとつの補助線を引いておきたいと思います。ここから登場するのは、コンテンポラリーダンサーの砂連尾理(じゃれお・おさむ)さんです。

砂連尾さんは、老人ホームでのワークショップの経験を綴った著書『老人ホームで生まれた<とつとつダンス> ダンスのような、介護のような』を書かれています。

砂連尾さんの幼少期のエピソードや、大学卒業後にニューヨークに渡り学ばれた事、国内外でのコンテンポラリーダンス界での活躍、ベルリンでの滞在制作などを経て、舞鶴にある老人ホームで出会った高齢者たちと作品をつくりあげた軌跡が描かれています。

そのなかで、ベルリン滞在時に、障害をもつパフォーマーのダンスカンパニー「劇団ティクバ」と行った共同制作の体験をこのようにふりかえっています。

例えば、足の自由が利かない人の這うような動きをなぞってみると、自然と僕のポジションも下がる。すると想像もしていなかったような低い視点から広がる風景が、僕の目の前に広がった。また、四肢の動きに制限のあるかれらと同じゆっくりとしたペースで動いてみると、彼らのスピード感をはじめて感じることができて、目に入る風景が変わるような気がした。彼らの身体との関わりは、こうして僕自身の新しい身体感覚を得ることにもつながった。

<とつとつダンス>では、他者とわかりあえないことを前提にしつつ、身体によるコミュニケーションを試みた砂連尾さんの実践が語られています。そのなかで「わかりあえなさ」について発見したり、想定外の共通項を発見したり、わかりあえないながらに他人と「揺れ合う」身体を発見する。そのような「身体のひらめき」について語られているとぼくは読みました。

わかりあえないモノをみて、それになる

他者とわかりあえないことは前提。それでもコミュニケーションするとは一体何か。そんなことを考えるヒントになる『とつとつダンス』は素晴らしい著作なのです。

さらにありがたいことに、身体を通した発見やひらめきがぼくたちにも得られるように、巻末に「砂連尾メソッド 8つの事例集」というものがついています。そのなかの「何かをみて、それになる」という事例をご紹介します。

① 部屋のなかで気になるものを見つけます

② 例えば、柱や机だったら、それをじっと見続けながら、自分自身が柱や机になっていくことをイメージします。

③ イメージ化が進んだら、こんどはその柱や机が空間をどう見て、何を感じているかを想像して、そこから見えたり感じたりしているものを身体で探ります。そうすることで周りの空間や時間にどんな変化が生まれるかも感じてみます。

④ その感覚に慣れてきたら、さらにこんどは照明の光や、エアコンの風など形として捉えにくかったり、一点にとどまらず流れているものにもなるようイメージを広げていきます。

ワンポイント・アドバイス
カメレオンが、触れるものの色に自分の身体の色を変えるように、なろうとするものの色や形に身体を徐々に変化させ、同化させるようにイメージしてみてください。そして自分とモノとの境界があいまいになる感覚を味わいます。

「え?壁や柱になる?」「どういうこと?」と思われたかもしれません。でも、ちょっと一回やってみてください。

たとえば、いまぼくはリビングのパソコンに座ってこの文章を書いていて、さっき食べたアクアパッツァにかけたオリーブオイルのボトルが置いてあるので、そのボトルになってみます。


① じーっとみつめます。気になるのは、そこの方に溜まったオイルのたゆたいと、すぐにでも外れそうなキャップです。キャップがどこかにいかないようにとりつけてある紐部分には弾力がありそうです。

② ボトルの底に溜まったオイルをみつめながら、自分の身体を容器に見立て、足先から膝ぐらいまでの高さにオイルが溜まっている状態をイメージします。

膝から肩までは、オイルが入っていない空の部分です。空気がたまり、そこにオリーブオイルの香りが漂っているのをイメージします。

顔の部分は白いキャップです。頭頂部にとんがった栓がついています。

③ ぼくはオリーブオイルのボトル。いつか逆さになって足元にたまったオイルが、お腹や肩を通ってオリーブオイルが頭頂部から流れ出るのだ、いまはそのときを待っている・・・

真面目にふざけてやれば、だんだんとこういう気分になってきます。

やってみて気づいたのですが、ぼくは今このオリーブオイルのボトルになりながら、足にはオイルが溜まっていて、膝から肩までは空っぽ、頭にはキャップ、という3つの状態を同時にイメージします。頭で思い浮かべると同時に、身体に意識を向けます。

普段座ってキーボードを叩いたりしていると、足元から頭頂部はあまりイメージしなくなります。手先と、目、耳ぐらいでしょうか。全身をくまなく同時に意識し、かつ「オリーブオイルのボトル」というイメージを行き渡らせるというのは、なかなかに意識のバランスが必要な行為です。

つまり、「他人(ここではモノ)の身体を借りる」ということのためには、まずは自分の身体への意識・イメージの行き渡らせ方を知っている方がいいということになります。そのうえで、他人の身体の内側で起こっていることを想像し、自分の身体の内側にそれが起こっていることを想像する。

自分の身体への意識・イメージの行き渡らせ方というのは、ヨガや武道、あらゆるスポーツやボディワークなどに通ずる話です。

身体の想像力

ふぅ、やっと辿り着きました。WDA身体知ラボで探りたいことがようやく見えてきました。この「身体への意識・イメージの行き渡らせ方」を知っていると、自分への観察感度が上がり、同時に他人への観察・共感の感度が上がる。そういったことからデザインと身体知はつながっていくのではないか、ということです。

ぼくが『赤ちゃんのきもち』で書いたように、他人の行動心理を理解しようとするとき、その人の身体を真似してみて、真似した自分の身体から気づきを得るという方法があると言えます。砂連尾さんのメソッドは、わかりあえないということを前提にしつつ、想像することを提案しています。こうした身体からの想像力を養うことは、すくなからずデザインやユーザーリサーチでも役にたつでしょうし、生活のなかで場面で意味があると思います。

ただ、重要なことは、ここで目指したいものは「他者を理解しやすくなるメソッド」ではないということです。むしろ「どんなに想像してもわからないことがある」ということを自覚すると同時に「思っていたことと違ったけど、自分にも共通する感覚があることがわかる」といった発見をすること。いわば、他者と自分とのズレ・差分・不一致を見つける作業でもあるといえます。

WDA身体知ラボの参加方法と今後の予定

というわけで、ファシリテーションやワークショップデザインだけでなくユーザーリサーチや商品開発などを実践している方々、「わかりあえない他者」と暮している方々とともに、身体知をデザイン、サービス、プロダクトに応用していくとは?ということを目指して研究会をたちあげたいと思います。

こちらのWorkshop Design Academiaは、大変人気なコミュニティで随時募集しているわけではないようですが、気になる方はぜひ随時チェックしてみてください。

ツイッターアカウントも動いているようです。

そして、この身体知ラボの成果報告とも言えるワークショップを、2019年3月24日(土)に開催予定です。こちらは一般の方もご参加いただけますし、赤ちゃんやお子さんとも一緒にご参加いただける仕組みもご用意する予定です。ぜひご精査ください!

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最後まで読んでいただき、ありがとうございます。いただいたサポートは、赤ちゃんの発達や子育てについてのリサーチのための費用に使わせていただきます。

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アート/ワークショップコラム

臼井隆志のコラムをまとめています。アート、ワークショップ、ファシリテーションについて書いています。
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