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「対話型鑑賞」の可能性について

今日は「対話型鑑賞」について書く。対話型鑑賞のは、「対決」を乗り越え、ひとびとが1つの事象をめぐって意味を探索し、協同しながら意味をつくりだしていく「対話」の練習方法だと考えられる。この魅力について書く。

対話における「意味づけ」とは

ぼくとあなたは、同じものを見ても「異なる意味づけ」をしている。

たとえば、「寿司」を見て「好きだ!食べたい」と思う人もいれば「生魚、お腹壊しそう…うげぇ」と思う人もいる。同じように「好きだ!」と思っていても、「夜ご飯にたらふく食べるのが好きだ」という人もいれば、「おやつに3〜4貫してサクッと食べるのが好きだ」という人もいる。

この「意味づけが異なる」ということを前提にしなければ、他者との対話はなりたたない。

「対話」と「対決」の違いと共通点

「対話」は「対決」とは異なる。

対話が対決になってしまうのは、「意味づけ」が「べき論」に変わるときだ。「べき論」は、他者に「Aをすべき!」を押し付けるものだ。ともすれば「Aをしていない者はバカだ!」という攻撃性をはらんでいる。一方的にべき論を押し付けるのはハラスメントや暴力になり、双方向で押し付けあうようであれば「対決」になる。

(ただし、べき論は必ずしも悪いものではなく、相手の合意のもとで使えば「教育」になる)

一方、対話と対決には共通する点がある。それは、多少なりとも「対立」を前提とする点だ。

ただし、「対決」は「べき論」で対立し、双方を攻撃し合う。他方で「対話」は「意味づけ」の違いで対立するものの、その後おたがいの意味づけを探り合う。

対立を乗り越えて、お互いに心地よい「意味づけ」を探し、新しい意味を創発するプロセスが「対話」であるとかんがえられる。

対立から生成へ 対話のU理論

最近教えてもらった「対話のU理論」というものがある。オットー・シャーマのU理論を、Willam Isaacsと言う人が図式化したものだ。

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