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子育て中の我が家に、「時間」のプレゼントをもらった話

子育て中の我が家に友人が来て、料理を作ってくれた。それは、時間の贈り物だった。

友人は料理がうまい。3歳から果物ナイフを使う練習をしていて、小学生のころからは自分で晩御飯をつくっていたらしい。大人になってからは料理をシェフから習ったり、友人をあつめて食事をふるまって遊んだりしているとか。

そして彼は、とある子育てメディアの編集長をしている。情報を通してたくさんのママパパを励ましている。学生時代から子育てをめぐる情報に触れ、子育て家庭に足を運び、子どもと遊ぶ経験をたくさん積んでいる。

そんな彼が我々夫婦へ出産祝いとして、美味しい料理というモノだけでなく、味わう時間を贈ってくれた。

まず、料理がとてつもなく美味しかった。そして、それらがすべてオーダーメイドだった。

妻は乳腺炎になりやすい体質で、食事に敏感になっている。母乳のためにたくさん食べたいのだが、食べられないものが多い。だから、一週間の献立をルーティンにして、体調にあわせて微修正しながら生活をしている。

そんななかで、ぼくたちにはない料理のレパートリーを持つ彼は、事前に食べられない食材を聞いてくれ、そのうえで最良のメニューを判断してくれた。

5cmほどに切った小松菜とカブの葉を茹でてからじっくり火を通す料理やら、千切りのキャベツを弱火で時間をかけてしんなりさせてワインビネガーでさっと味付ける料理やら。それはそれは美味しかった。

有賀薫さんのスープ・レッスンを読んでいて思ったことにも通じるのだが、バターとかコンソメを無理に使わなくても、しかるべき手順と時間によってしっかりと旨味が出るのだ。食の熟達者はそういうことをよく知っている。

ぼくもやってみたいとおもうけど、育児中は時短を重視してしまう。まるでミヒャエル・エンデの『モモ』に出てくる時間どろぼうに踊らされているように。「時間を貯蓄しよう!」と。時短は悪ではないしむしろ善だが、それでも寂しい気分になるときもある。

そんな暮らしのなかで、丹精込めてつくられたヘルシーで滋味深い料理のプレゼントは、こんなにも嬉しいものなのか。

昼前に家に来た友人はさっそくキッチンに立つ。ぼくや妻はほとんど食事の準備を手伝うことなく、レストランの客のように、盛り付けも、リゾットのお代わりを装ってもらうことも、オリーブオイルをかけてもらうのも、彼にやってもらう。食後に、彼は皿を洗って拭いて、コンロの周りまで掃除してくれる。キッチンは以前よりも綺麗になっていた。

なんというか、彼は子育てサポートの熟達者だ。しかも、料理も半端なくうまい。これは、彼にしかできないプレゼントかもしれない。

だけど「時間を贈る」という心を持つことはぼくにもできる。

子育てをしていると、友達に会いたくなる。だが、料理をつくったりお茶やお菓子を準備したりしてもてなそうとすると、正直な話、どっかり疲れてしまうこともあるのだ。そんなとき、「料理持ってきたよ」とか「皿を洗うよ」と言ってもらい、甘えさせてもらうだけで、本当に嬉しい。

洋服や食器やおもちゃ以外にも、子育ての負担を減らし、息抜きをし、良い風を吹き込ませる時間のプレゼントという方法があるなんて、知らなかった。

晩御飯、妻とさっと焼いた赤魚の干物と、大根と布海苔の味噌汁を食べながら、『モモ』を思い出した。モモは盗まれた時間を解き放つだけでなく、「時間どろぼうさえも愛されているのだよ」と語る。

友人は、こんな人です。


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