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黒い羊の絵

パンデミー以前、時々某老人ホームに軽度認知症の住人を訪ねて絵を描く時間を設けていた。

「あなたはいつもの日本の人?」と瞳をこちらに向けて答えを待っている灰水色の目はとても大きいのだけれど見えていない。
「そうですよ。今日は何の絵を描きたいですか?」と訊ねる。
「今日はアイディアがない」と言いながらもモティーフは何でも良い訳ではない。
「ここにひまわりがあるのだけれど。。。」と言うと「ひまわりは前に描いたから。。。森を描くわ」と言う。
どんな森ですか?森には何がいる?花は咲いている?と聞けば、しばらくの沈黙の後に「黒い羊」という。
「イエス様の肖像に白い羊が描かれるけれど、あれは間違っているのよ。本当は黒い羊なのよ」というのだ。
私の記憶の中でもイエス様のそばにたむろすのは白い羊だ。
黒い羊と言ったら異質で目立つ「厄介者」的存在だと言うことになっている。確かにイエスキリストは厄介者で弾き飛ばされる存在をも救い上げるのかもしれないなあ、と思いながら森の絵の中に黒い羊を二頭描き込んだ。
「さあ、黒い羊が二頭、森の中で遊んでいますよ」と言うと、彼女はもう一度「黒い羊が正しいの。白じゃないのよ」と繰り返すのだった。


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