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禍話リライト「朧猿(おぼろざる)」【怪談手帖】

「少年自然の家」ではなかったはずだという。

当時Eさんの所属していた子ども会では、前年度まで合宿で使用していた施設が老朽化による建て直しのため借りられなくなったため、その年からの新たな宿泊先を検討していた。
その時に、会員の一人が人伝に探してきてくれたのが、”K”という施設だった。
あまり新しくはないものの、去年までの場所に比べると非常に安価で利用できる、という点が決め手だったそうだ。

「その時点でちょっと怪しいでしょ?今ならもう少しちゃんと調べると思うんだけど…私たちのころはまだ、そういうところがいい加減だったから」

早々に話が纏まり、夏場の二泊三日で子ども会は”K”を訪れた。
小さな廃校を再利用した施設ということで相応の古さはあったものの、予想していたほどの不便もなかった。
Eさん達は、スタンプラリーや球技といったオリエンテーションやバーベキューなどを楽しんだ。
スタッフも手慣れたもので、しかも当時としては珍しく、だいぶ子ども達に甘かったから、Eさん達からは評判が良かったという。

ただ、一つだけ難点があった。
猿が出るのだ。
バーベキュー用の野菜や積まれていた果物、はてはお菓子などが目を離した隙に度々盗まれる。
放置していた施設の玩具や縄跳びなどが持っていかれることもあった。
”K”は山近い場所にあり、恐らくその山から来るのだろうとEさん達は話し合ったが、大人も含めて皆そこまで深刻に受け取ってはいなかった。

「これが今なら、もっと問題になってるでしょうけどね。あの頃って地域にもよるけど、例えば学校に猿が入ってきてもそこまで大事にはならなかったから」

もう一つには、スタッフが「臆病なヤツなんですよ」と笑うとおり、主に出てくるのは一匹限りで、しかも人が集まっている所までは寄ってこなかったからかもしれない。

「ただ、記憶が確かならね、その時点からおかしくはあったんですよ」

遠目に見かける灰色がかった、腕の長いその猿。
その姿が常にぼやけて見えたというのだ。
こちらが離れた隙を狙って物を盗っていく猿。
遠い庭の端を駆けていく猿。
それが、距離だけでは説明がつかないくらい、ひどく不明瞭に見える。
粗いガラス越しのような、あるいは眼鏡を外して見た時のような。
それは彼女だけの感覚ではなく、目の良い裸眼の友達や友達のお父さんお母さんに聞いても同じような答えが返ってきたというのだから、皆にもそう見えていたのではないかという。
思い返せば明らかに異常ではあったのだが、詰め気味の行程に押されてそれどころではなかったのか、二日目が終わるまでそれ以上猿について突き詰めることはしなかった。

そして、三日目の午前のこと。
Eさん達はその日の準備当番だった。
彼女はお昼前に、部屋の隅に放置していた自分のリュックサックを漁っていた。

「私、昔から整理整頓が苦手で。その時は”合宿のしおり”を探してたんだったかな」

遮二無二漁る彼女が、折れ曲がった目的の冊子をようやく引っ張り出した時、角に引っ掛かって、紐の付いたものが転がり出た。
お守りだった。
書かれている文字から察するに、厄除けだったはずだという。

「それ、祖母が入れてくれたみたいで。お寺とか神社とかよく行く信心深い人だったから」

同じ当番の友達がそのお守りを見て、「それ可愛いね」と笑った。
そう言われてみると、意外と悪くないデザインかもしれない。
そう思ったEさんは、何の気なしにズボンに括り付けて部屋を出た。
廊下で友達のお母さん───体格がよく、介護の仕事をしているおばさん───と合流して、彼女にもお守りを自慢したあと、三人で庭に面した入口の一つへと出た。
その時庭の向こうには、施設で用意したらしいお菓子がテーブルの上に積んであったという。
「おやつがもう用意してある」と手を叩いて喜ぶEさんと友達を見て、おばさんが「食いしん坊やなあ」と言って二人の頭を撫でた、その時。
猿が出た。
視界の隅っこからかなりの速さで、ぼんやりした灰色の影が走り出て、お菓子のテーブルへと向かっていく。

「「あ!」」

Eさんは思わず声をあげた。

(おやつが盗まれてしまう!)

しかし、その焦りは次の瞬間、まったく別の感覚に変わった。
ぼやぼやと不明瞭な灰色の塊に過ぎなかった猿の姿が、まるでカメラのピントが合うように急速に鮮明になっていったのだという。
輪郭がくっきりして、手足の形が分かってきて、背格好も顔も細部の露わになったそれは、猿ではなかった。
全身が灰色で髪の毛だけが黒い、瘦せ細った男の子だった。
裸ではない。
シャツやズボンは着用していた。
しかし、顔や手足を含めて髪以外のすべてが灰色だった。

「「うわ!」」

Eさんが声を漏らすと同時に、友達が鋭い悲鳴をあげた。
背後のおばさんも「なんやあれ!?」と叫んだ。
その瞬間、男の子はお菓子を漁っていた手を止めて、初めて顔をこちらへ向けた。
どんな顔だったかは、ほとんど憶えていないという。

「無表情だったような…笑っていたような…ただ、とにかくものすごく嫌な顔だったってことだけは憶えてる」

恐怖のせいか、歯抜けとなってしまった彼女の記憶に残っているそのあとのシーンは断片的だ。
声にならない息を吐きながら、おばさんの大きな体がEさんと友達を守るように前に出たこと。
ほぼ同時に、「こら!」という声がして施設のスタッフが数人出てきたこと。
続けて彼らが、なにやら難しい言葉を叫びながら各々が持った長い棒のような物を男の子へ突きつけ、汚い言葉で恫喝していたこと。
男の子がお菓子をぶち撒けて逃走し、異様な動き───がくりがくりと首が左右に暴れて、まるですっかり首が折れているかのような───を続けながら、向こうの建物の陰、そこにあったぼろぼろの小屋へと逃げ込んだこと。
スタッフを問い詰めつつ駆け寄るおばさんに置いていかれないように、泣きながら追い縋ったこと。
そして、その先で見てしまった小屋。
それはどういうわけか、建物の裏の壁面に描かれたひどく拙い家の落書きになっていた。
ただ、窓にあたるところに、ぼろぼろの子どもの遺影のような写真が乱雑に釘で打ちつけられていた。
名前と思しき文字列付きだった。
まるで、管理の杜撰な動物の檻にでも添えるように。
そのあとの合宿の顛末も曖昧ではあるが、どうやら三日目の行程はかなり早目に切り上げられたらしい。
帰宅したEさんは、”K”で体験した悪夢のような体験を泣きながら両親に訴えた。
上手く説明できなかったこともあり、すべてを分かってもらえたわけではなかったが、両親は真剣に話を聞いてくれて、子ども会に何某かの意見をしたようだった。
友達やそのお母さんも恐らくその話をしたのだろう、”K”がその年以降合宿先に選ばれることはなかった。
Eさんが長じてから”K”について調べてみたところ、どうも過去に子供の死亡事故があったらしい、ということまでは突き止めることができたが、直接の因果関係は分からなかった。
それよりも一番怖かったのは。

「その施設、あのあとに”猿との触れ合い”みたいな企画を立てて、やたらと宣伝していたみたいなんです……」

結局、程なくして施設自体が閉鎖され、その場所も更地にされたそうで、今はもう何もないのだという。




この記事は、毎週土曜日夜11時放送の猟奇ユニットFEAR飯による禍々しい話を語るツイキャス「禍話」から書き起こし・編集したものです。

禍話インフィニティ 第四十二夜 余寒三本立て!(2024/5/4)
「朧猿」は29:17ごろからになります。

『怪談手帖』について
禍話語り手であるかあなっき氏の学生時代の後輩の余寒さんが、古今東西の妖怪(のようなもの)に関する体験談を蒐集し書き綴っている、その結晶が『怪談手帖』になります。
過去作品は、BOOTHにて販売されている『余寒の怪談帖』『余寒の怪談帖 二』又は各リライトをご参照ください。

電子版はいつでも購入可能です。
禍々しい怪談、現代の妖怪譚がこれでもかと収録されていますので、ご興味のある方はぜひ。

※「朧猿」については、まだ収録されていません。

参考サイト
禍話 簡易まとめWiki 様

ヘッダー画像
ぱくたそ 様


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