目からビーム。鼻から歌。 第2回「餅と餅屋」(2006年)

 前回、創刊号では杉並について書いたが、私を含めて3人もの人が杉並について書いており、ページ数の割合から言うと「杉並タウンガイド」と見られてもおかしくないことになってしまった。この冊子は杉並タウンガイドではないし、このコラムもまた、有益な杉並情報を紹介するものではない。ちなみにこのコラムのタイトルは、編集長に冊子のタイトルを聞いた3秒後に浮かんだもので特に意味はなく、ここから先、目からビームの出る少年が出てくるSF小説に移行する予定もない。内容に詰まったらビームのひとつも出してやろうと考えてはいるが、当面ビームは出ないと思います。

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 「コンサート会場や展示会などで配られるアンケート用紙に挟んである、平たいクリップ状のペン」といえば、おそらく誰もがあの形状を頭に思い浮かべるだろうと思う。そのぐらい浸透しているであろうペンを作っているのが豆腐屋だと知人に聞かされた時は、その二品の結びつきの弱さに、にわかに信じがたいものがあった。餅は餅屋。餅だけ、この場合なら豆腐だけ作っていろとは言わないが、これがまだ「豆腐と餅」なら「ああ、食べ物だし。白いし」と、それはそれで間違っているなりに何となく合点もいくというものだが、豆腐とちょっとユニークな文房具ではにわかに信じがたい。

 調べてみれば、創業者の生家が老舗の豆腐屋だ、ということなのだそうで、別に豆腐屋のおっさんが店先でペンを作っているわけではないらしいと分かり安心した。さらに調べれば詳しいなりたちが分かるのだろうが、「豆腐 →ペン」という一見何の脈絡もないつながりに創業者のロマン、というとおおげさだが、何かそれなりのドラマがあるはずだと感じ、具体的に調べるのをやめた。

 公式ホームページには、創業者がこの便利なペンを発明するに至るプロセスが書き記してあった。

「ゴルフ場の休憩所で、牛乳瓶のフタを取ろうと栓抜きを手にした時でした。『この栓抜きの釘を鉛筆の芯にしたら、 スコアをつけるのにちょうどいいのでは......』」

 豆腐屋が豆腐も作らずにゴルフに興じている場合か。豆腐屋の朝は早い。ゴルファーの朝も早いそうだが、それ がどうした。失礼を承知で無責任に想像するとこうだ。老舗豆腐屋のこせがれが仕事もせずゴルフに興じている。 親父が汗水流して豆腐のことを考えている時間に息子は、ゴルフ場の鉛筆が「ポケットに入れて持ち歩くには、ちょっと不便だ」などと考えているのだ。とんだ道楽息子である。母親がざるを使って丁寧に豆腐をすくい分けている時間に、だらしない姿勢で牛乳を飲んでいるのだ。

 しかし人間、どんな才能が眠っているか分からない。国民的野球選手の息子が、ふとした拍子にバラエティ番組でオトボケを演じる才能を開花したりするように、豆腐屋のせがれもまた、突飛なアイデア商品を思い付いたりするものだ。アイデアの種がまた「牛乳を開けるのに便利なアイデア商品」であったというのも、この話の牧歌的なムードに拍車をかけるが、この豆腐屋のせがれが、ただの道楽息子で終わらなかったのは「さっそく、金型を起こ し」た、その行動力であろう。この行動力が、凡百の道楽ゴルファーと発明家の道を分けたのだ。

 そうして豆腐屋は、ペンを売るに至った。走り出さなければ何も始まらない、といった教訓をここから得るべきな のかも知れないが、そもそもの「豆腐→ペン」というどこか間の抜けたムードが、また別の何かをここから教えてくれるような気がしてならない。気のせいかも知れない。餅屋は餅を捏ね、豆腐屋はペンを売る。車掌は笛を吹き、郵便 局員は二度ベルを鳴らすのだ。ハッピーメディアクリエイターは最近メディアで見かけないが大丈夫か。おそらく私なんかが心配するまでもなくハッピーに暮らしているんじゃないかと思う。世界人類が幸せでありますように。

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