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生き方見本市を通して思ったこと。

『生き方見本市@石川 』が終わり、4ヶ月くらい??ちょびっとだけ振り返り、自分の気持ちをまとめようと思った。
担当セッションだった、「大切な人のカミングアウト-LGBTだと知った日から-」について。

このセッションの内容は、「カミングアウトした側・された側」つまり、LGBT当事者とその周囲の人との関わりについて(親子と友人同士)、ゆるっと話すのを想定したもの。タイトルをLGBTQにすべきなのか、はたまたプラスアルファで何かすべきなのか。今回はLGBTでも説明がついたので、このタイトルにしたけれど、総じて自分はまだまだ知らないことばかりだなあと思ったのを覚えている。

当日まであまり時間がない中、結局どんなセッションにしようかと決めあぐねていて、「そもそもどんなセッションにするかって決めるべきなの?決めるならどういう基準で??」とか難しく考え始めていた。

そんなとき、以下記事について、同じセッション担当のむっちと話す機会があった。

僕がゲイだとカミングアウトする理由2019|広瀬 尚哉|note
https://note.mu/sfboy28/n/n1805e40a0dac

▽むっち
家族と友人で受け止め方が全く変わるね。それって未来に対する期待なのかもとなんとなく思った。もちろん人によるけども。
なおちゃんが言ってくれている「好きにしたらいいやん」も意味合いが全然違ってくるように思えるなー。
セッションの着地点(必ずしも着地する必要はないとも思う)をどう設定するかで展開の方法が全く変わる気がするね

▽なお 
そうなんやって〜全然ちがう、うう。
むちむちの言う未来の期待について詳しく聞きたいでござる
セッションの着地点は強いてゆうなら、って感じで、美しい綺麗なトークイベントにするならかっちり固めるべきではある気がする。ただ、個人的に正直そういうの決めるのはあんまり好きじゃないから、なくてもいいなあとは思ってる。あとは、ゲストが話しやすいようにするためのちょっとしたトークの方向性というか、ざっくりとした道筋は見えててもいいかなと、そこからイレギュラーな展開があっても楽しいしねえ

▽むっち
未来への期待→「あー、孫の顔見れないんだなー」とか「バージンロード一緒に歩けないんだなー」とか。
そういうの飲み込んだ上での「好きにしたらいいやん」までの葛藤ってめちゃくちゃ大変だったろうなー。
自責もしただろうし、でも本人の好きにしたらいいし、あ〜〜〜どうしていいかわからぬー!!!みたいな

▽むっち
友人にはそういった要素はほとんど皆無かもなーと

▽なお
たしかに。ある種"関係がない"からね。
家族だとどうしても期待してしまうものがあるし、そこに折り合いつけるのすごいことやし、思いやりっていうのかな。
話ちょっと飛ぶけど、違いを受け入れられないひとを、ちがうっていうのもなんか嫌だね。難しいけど。

▽なお 
なんかさ、社会に距離が近ければ近いほど
善悪で考えられてしまうことが多くて、たぶんそれは世界がスムーズに動くためには、きっと自然なことなのかもしれないけど。
ただ、そこにただあることが誰かにとってのプラマイで考えられることなく、自然とそこにあって馴染んでゆける世界ならいいなあ。そんな景色が見られたらいいなあ、それが尊重なんじゃないのかなあなんて、いま思いました。
あと、どうでもいいけど顔めっちゃ乾燥する

▽むっち
LGBTは身近にいるんだ!だから受容しろ!
みたいな着地点にはならないようにしたいよね。
「きっかけ」づくりがしたいなー。知るきっかけ、考えるきっかけ、想像するきっかけ、行動するきっかけ、、、
きっかけゲシュタルト崩壊

*
今思うと、この議論をゲストと一緒にできたらもっと違う時間になっていたのかもしれないななんて。わたしたちが見えていないものを知っている人たちだと思うから。

そして、こうやってむっちと議論しているあたりから、「当事者と当事者でない」ということを区分すること自体に違和感を持ち始めた。そのことをゲストにも伝えると、「SOGI」という考え方があると教えてもらった。

「SOGI」とは
SOGIとは、Sexual Orientation and Gender Identityの頭文字のことで、性的指向/性自認のことをいう。LGBTがレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーという「誰」を指すのに対して、SOGIは「どんな性別を好きになるのか」、「自分自身をどういう性だと認識しているのか」という「状態」を指すので、私たち全員が含まれる。
(引用:https://ideasforgood.jp/glossary/sogi/

いろんなものに名前がい〜っぱいついていく世の中を目の当たりにして、少しびっくりしていた最中だったけれど、それらはただ単に増えているのではなく、元あるものが形を変えてどんどん最適化していっているのだなあと。

偶然隣り合わせた人の”しっくり”と、わたしの”しっくり”を、なにも臆することなく共有できるような空間を自分が作れたらいいな。

そんな風に思った、イベントでした。


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