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【回想】カルチャーショックの3段階目、その少し先にいる

これは数ヶ月前の谷垣の心情で、今はもう少し違うことを考えています。下書きに閉じ込めたままだったので、放流してみます。周りの環境整備のおかげで、今は目次の4の段階に入れています。


フィンランドに来て2ヶ月半ほど経過しました。私の中ではもう少し経ったような気がするのだけど、この辺で気持ちの整理などしていきたいと思います。

【01.WONDER】何もかもが目新しく、大変ながらも新鮮味のある面白い日々

フィンランドに来たのは7月の終わり。日照時間が長く、窓辺から入る日の光の揺らぎと木々が擦れ合う様子を見ると「ああ、素敵なところに来させてもらったな」と思いました。

そこから、カルチャーショックの4段階あるうちの最初の段階に足を踏み入れました。いわゆるWONDER(驚き)の段階です。目に飛び込む風景、匂い、人の流れ、どこの誰かもわからない人の家の窓辺にあるグリーン、なかなか暮れない日、フカヒレみたいな建物、かわいくてお洒落な北欧雑貨、日本のベビーカーではうまく歩けないガタガタの石畳、ハムとチーズをのせただけのライ麦パン、マリメッコのカップで飲むコーヒー。

何もかもが昨日いた場所とは明らかに異なっていて、不安よりは驚きや興味関心が上回り、いわゆる観光客気分。スーパーに行くだけで、野菜が量り売りされているだけで、それだけでもう1日が楽しいのです。

【02.FRUSTRATION】なんでだろ、なんだかもやもやが募っていく

しばらくしてくると、生きることだけには慣れてきました。公共交通機関の使い方、スーパーでいつも買う食材の棚の場所、駅から家までの道筋、ペットボトルや缶のリサイクルボックスの使い方、それらが少し身体に染みついてきた頃。フィンランドで何年も暮らしている日本人の方や、いつもハッピーな雰囲気で接してくれるフィンランド人、出会うはずのなかった国の人々と出会いました。その時点で、フィンランドに来てまだ1ヶ月も経っていなかったですが、流れ込んでくる情報の多さ、考えねばならないものの雪崩にすでに飲み込まれていたのかもしれません。

ああ、野菜の量り売りだって、難なくできるようになったのに。こっちのスーパーより、あっちのスーパーの方がじゃがいも安いって知っているのに。こっちの草むらに食べられるベリーがなっていることを教えてもらったのに。シナモンロール焼けるようになったのに。なんだろうなあ、このモヤモヤは。

FRUSTRATION(欲求不満)の段階です。毎日育児をしながら、働かない頭にどうにかして油をさす日々が続きました。なんかしたい気持ちはあるけど、何もしたくない波がその砂文字をさらっていってしまう。本音かどうかも疑わしくなってきた自分の思考が、さらに自分をずんずんと追い詰めていきました。

【03.DEPRESSION】私は何のために存在するのか

また少し時が過ぎました。何かを恋しく思う時間が増えました。モソモソしていないお寿司のシャリ。ぬるくない熱々のラーメンのスープ。薄くスライスされた豚肉。入浴剤を入れたお風呂。シェアハウスのこたつ。一日中PCとにらめっこして何かを書いていた私。

この頃の私は毎日イライラしていました。何か一つのことに集中してイライラしているわけではなく、すごく漠然とした何かにムカついているのです。作っても床に落とされる離乳食、パサついた髪の毛、カサカサの手、似合わなくなってしまった服、曇りゆく天気、中途半端な英語と理解不能なフィンランド語。これらは確かにその要素ではあるのだけれど、一体怒りの根源はどこにあるのだろう。少しずつ溜まってゆく澱みを除去できないまま。

そして、極め付けに家で二人きりの私たち。息が詰まるというよりかは、なんだか子に申し訳ない気持ちで仕方がありませんでした。異国の地、焦る気持ちがありつつ、新しい何かを見つけ出そうとしていない自分。「忙しい、疲れている、何もしたくない」全部本音で事実ですが、やはり後ろめたいのです。

「私はなんでここにいるんだろう」そう思うと、過去に頑張った自分も、これからの自分の道筋も、すべてを否定したような気持ちになりました。涙と自己中心的な思考が止まらなくなり、どう起き上がっていいのかわかりませんでした。

「今の自分がとても大嫌いだなあ」

フィンランドも夏を越え、日が短くなり、木々も元気がなくなってきたみたい。DEPRESSION(憂鬱)のフェーズに突入しました。

【04.ACCEPTANCE】受け入れるかはわからないけど、溶かしたい

今は、3段階目から半歩ほど進んだところにいるような気がします。ACCEPTANCE(受容)の領域にはまだ入れていません。ただ、DEPRESSIONの山頂から少しずつ下山しているような感覚です。

一番辛かった夜、べったりと張りついた虚無感や絶望感を剥がす気力も失っていたものの、心の隙間でこの憂鬱はいつか必ず終わると、今が山のてっぺんなんだとなんとなくそう信じていました。

いつの日か、同じように沈み込んだときの感覚を覚えていたからです。ずずん…と埋まっていった後の自分が結果どうなったか、半分願望が混ざりつつも今と昔の感覚を照らし合わせて(そう信じたい)大方見通しがついていたような気がします。

暮らすだけなら誰だってなんとかなる気がする。けれど、そこからより良いものに工夫していくのには結構パワーが必要なのだと、そしてそれは必要で前向きなストレスなのだと、すでに知ってしまっていることにも気がついているのでした。

そして、それは私にとっては一抹の希望とも言えるのでしょう。

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