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さくら虫

桜の生き様は美しい。何も言わず押し付ける訳でもなく、ただ同じ場所で咲き誇りその後は木に戻る。
どの木とも見分けがつかない頃に根を張って、
翌年にまた美しい花を咲かす。

その一節を切り取って「綺麗だ」と喜んでいるだけだ。

僕には好きな風景がある。
ただ花が咲いたからと集まる人になりたくなかった。
大きな感情が欠落している気がして嫌になる。
本当は心から楽しめる人が羨ましいんだろう。

桜並木にはそうして人が集まる。
人を避けて歩いているとポツンと一本の桜が咲いている。冬には気付けなかった。
桜が一番美しい瞬間は季節のいつだろうと思う。

同様に初夏の虫が生き生きと見えるのは木の根と同じに「草の根の時間」があったからだ。
桜とはなにが違うだろうか。数週間、数日の為に一生懸命生きる虫も美しい生き様に思えないか。

そう思うと自分の命はちっぽけだ。
桜や虫のように美しく生きられたなら。人の美しさとはなんだろうか。いまだに分からない。自分の言葉、文章、表現など実は持ち合わせていないのだろう。忘れてるだけ。今はそれがとてもさみしい。
本当はわかってたような事ばかりな気がする。桜や新緑は優しく美しく咲き、触れることで元気をもらう。それだけで充分なのです

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