反省と、反省の色
"反省"を見つめ直す
かつて小泉進次郎は言いました。
「反省をしていると申し上げましたが、反省しているんです。ただ、これは私の問題だと思いますが、反省をしていると言いながら、反省をしている色が見えない。というご指摘は、私自身の問題だと反省をしております。」
自分は「反省している」、でもそれが態度に出てなくて伝わってなくてごめん🙏
それも反省...
という意図ですよね(そうですよね?)
この「反省文」がネタとして各所で散見されるたびに、そもそも"反省"ってなんだったっけ?という疑問が大きくなっていきました。
一種のゲシュタルト崩壊です。
Wikipediaにはこう書かれています。
反省(はんせい、英: self-reflection)は、一般的には自分がしてきた行動や発言に関して振り返り、それについて何らかの評価を下すこと、あるいは自分の行動や言動の良くなかった点を意識しそれを改めようと心がけること。あるいは自己の心理状態を振り返り意識されたものにすること。中心的な考えである自分の過ちを認めることと改善を誓約する意味、文化。(Wikipedia)
「反省しなさい」と言われたとします。どうしても叱られているシーンが思い浮かびますね。
そこで私のとる行動はというと、
しゅんとする、ごめんなさいと言う、テンションを下げる
です。
割と反射的に私の思う"反省"アクションをします。なんというかその場しのぎで建設的ではありません。。
ではそこから何も学ばないのかといえばそんなことはなくて、怒られるというマイナスのフィードバックを受けてそれを避けようとするムーブが生まれ、行動が改善されます。
私の観測の範囲内では、世の「反省する」という行為は私の反射的行動に似通っているように見えます。
小泉進次郎の言う「反省の色を見せる」行為が「反省する」ことだ、という共通認識があるんじゃないかと。
でも、いま一度Wikipediaを見てみると、"反省する"ということは、実は謝罪することやテンションを下げることという文脈で説明されてはいなくて、よくなかった自分の振る舞いを振り返って改善する動きを誓約することだと説明されています。
ビジネスライクというかPDCAちゃんと回そ!みたいにも捉えられます。
つまり、そこに感情的な要素はあまり必要ないみたいなんです。
子供の頃から反省する=しゅんとする、ごめんなさいと言う、テンションを下げる、だと信じて徹底的にそれをやってきましたが、本来の意味での反省はできていなかったんじゃないかと気づきました。
ちょっとショックです。
私は"反省"を履き違えていたわけですが、大人になった今の今までそれでまかり通っていたのは、いつくか理由があるなと思いました。
ひとつは先ほど触れたとおり、周囲の人もそう勘違いしているので、しゅんとすることに違和感を感じ取れないこと。
ひとつは反省すべき行動を回避するようになるので、行動に変化が起きていること。つまりプロセスは違うけど本来の反省に期待される効果はあるということ。
そして最後にひとつ目と重なり合うところがあるんですが、しゅんとすることで反省を促した相手が感情的に納得すること。
この3つがあわさって「反省」はまかり通っていた、ということなんだと思いました。
"反省"の副作用
私のしてきたエセ反省でも、まかり通る以上そこまで問題視する必要はないのかもしれません。
行動が改善されているのであれば、プロセスは問わないというか。
しかし、恥ずかしながら30歳を超えた今になって、このエセ反省には副作用があるということに気付きます。
反省すべきシチュエーションで、私はことごとく「しゅんとする、ごめんなさいと言う、テンションを下げる」を繰り返してきました。
この行為の狙いとしては、相手に納得してもらうという意図を多分に含んでいます。
相手に納得してもらうためには、信憑性が大事です。どれだけ心からしゅんとしているか、謝罪の気持ちでいっぱいで申し訳ないか、テンションの振り幅を限界値まで下げるかというのが、ここでの信憑性のバロメーターです。
私は反省すべきシチュエーションに遭遇すると、フリーズしてしまって、ただひたすら平謝り状態になり、思考を放棄してマイナス感情に存分に浸るというモードに入るカラダになってしまっていました。
テンションが急降下し、しかも平常に戻るまで時間を要するので、その間少なくとも生産性は皆無ですし、周りのことは目に入っていないので、本当にただのポンコツになっています。
仕事中は取り繕っていてまだマシですが、プライベートだと本当に悲惨です。
その時間はただ辛く、そして改善へ向かうわけでもないので、本当にただ辛いだけです。
ここはしゅんとするべき、というジャッジでそうしていたはずなのに、本当にこころからしゅんとしてしまってメンタルにダメージを食らってる状態です。
よくないです。
"反省"をアップデートする
最近やっとそういうことが起きていると認知できたので、"反省"を捉え直し、変にテンションを下げることをやめたいと思います💪
あ、今しゅんとしなくちゃ!とカラダが反応し始めたとき、何を意識したらよいかを挙げていきます。
①反省と反省の色は違う
まずはそのように切り分ける意識を持つこと。
よくなかった点を改める、よくなかった点について謝罪する、それが真の反省!
②本当に相手は反省の色を見せることを期待しているかよくよく考える
相手が期待しているのは本来の反省なのでは?という視点を持つこと。
相手が期待しているのは反省の色だ!というのは思考停止だし、なんなら失礼なんじゃないか?と思うこと。
③しゅんとするという行為は結局のところ防衛反応
この場を収めたい、逃げたい!という原始的な感情があるのは否定できません。。
一歩踏み出してなぜ反省すべきに至ったかに着目すること。
④テンション下げても誰も得しない
繰り返しになりますが、そもそもしゅんとすることを求められていない可能性はおおいにあるので、いやメソメソしてんじゃねーよと相手は思い、自分は本当にダメだ...と悲嘆に暮れる、という状態は本当に誰も得しません。
⑤反省の色を求める人に反省の色を提供する必要ある?
仮に反省の色を見せることを相手が求めていたとして、果たしてそれに素直に従うことがお互いにとって価値あることでしょうか?(犯罪をしたとかは除きます)
単に私のように反省とはそういうものだという思い込みが相手にもあるかもしれないです。
あるいは、反省の色を見ることで報酬を得ているのかもしれない。そこにはなんらかの歪みがあると思ってもいいんじゃないでしょうか。
攻めの反省
反省すべきシチュエーションってつまりよくないことをしたときなので、よくないことをした→誰かが被害を被った→謝るというプロセスはもちろん大事です。
ただ、今までの私は、そういうプロセスを経てしゅんとしていたというより、防衛反応としてしゅんとしていた、の方が正確だと思います。
もう怒らないで!はやくこの場から逃げたい!
という"逃げ"の姿勢です。
これからは、よくないことに対してどうしたらよかったのかにきちんとその場で向き合っていけたらなと思います。
そして、自分のためにも辛い時間をどんどん圧縮していきたいと思いました。
後日談
ここまで書いてみて、自発的な内省においては、特段意識せずとも「よくない点を改めること」はできているな、と気付きました。
他者との関わりの中で発生する反省というコミュニケーションについてアップデートしたい、ということでした。
相手が謝罪を求めているのか反省を求めているのかの見極めは大事だなと思いました。
謝ってほしいと、凹んでほしいは、ニュアンスが違うし、もしそこに認知のズレがあるのなら、解消するアクションは取るべきだなと思いました。
何かを害したのであれば、誠意を持って謝るべきという見解です。
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