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(just like )starting over

ここは私が育った町。昭和の工業都市で、子どもの頃は公害問題が酷く、薄汚れた街中には荒くれた人達がたくさんいた。洗練もおしゃれも希望もない、田んぼと工場を抜けて自転車で土手を登ると、目の前には河口から広がる黒い海。いつでも強い風が吹くその河口では、コワモテな雰囲気のお兄さん達がサーフィンをしていた。

私は、幼い頃にこの町に引っ越してきた。田んぼの間を走り回り、薄暗い神社で花の匂いを嗅ぎ、路地裏で酒だかクスリだかで酔っ払ったような大人たちを覗き見し、姉や隣家の三姉妹といつも走り回って遊んでいた。この町では光化学スモッグのおかげで、曇りの日の空は灰色と黄色が混ざったような色になり、異臭がして、喘息になったり、皮膚がカサカサになるような子どもも大勢いた。入ってはいけないと差別されたエリアもいくつかあり、用水路には妙なあぶくが立ち、河口の方にまでヘドロと呼ばれる汚泥の匂いがしていた。けれど、それを補って余りある美しい日も、まだあの頃はたくさんあったのだ。稲の青い匂い、真っ白な入道雲、夕立の後の虹。ままごとでは、百舌餌にされたカエルは干物に、ハルジオンは目玉焼きに、どんぐりの帽子はコップになり、花の汁を絞った色水はフルーツジュースになった。きれいな水も、汚れた水も、私たち子どもたちは使い分けしていた。

けれど同室の姉がローティーンになると、私の興味は一変する。きっかけは姉が中学2年の時に聴き始めたFENだった。テレビを禁止されていた昭和な家庭の私達姉妹は、それがために部屋でこっそりラジオを聴き始め、世間の10代が初期ジャニーズに夢中になっている時に、欧米の音楽に目覚め、そちらの方向に一気にのめり込んでいったのだ。FENは在日米軍のためのラジオ放送で(1997年頃からはAFN)アメリカのニュースやスポーツ中継もやっていたが、なんといっても音楽が良かった。

クラスでも一番のチビで、ダサいおかっぱ頭の私が英語の放送を聴いて、英語の響きと洋楽にしびれまくり、ビーチボーイズを大好きになり、ポリスのスティングに初恋するなんて、クラスの子にはとても言えなかったし、チグハグすぎて笑っちゃうしかないんだけれど、でも、ラジオが私を最初のドアに立たせて、外の世界に連れて行ってくれたことは間違いない。(そのほんの数年後に、さらに沢木耕太郎にかぶれて18で初めてインドネシアを旅してから、私は数年かけて海外を放浪するようになるのだ)それはもう、空から音楽が降ってくるようなものだった…まったくね、未知の音がガ〜〜ン!!と鳴り響く。あるいは、フワッと舞い降りる…その強烈な体験たら…。

そして、私達姉妹は、ラジオから流れてくる曲に衝撃を受けると、必死に曲名をメモするようになった。そのうち、世の中には、音楽雑誌ってものがあると知り、お小遣いをためて、音楽雑誌を買うようになった。ラジオはいつも私と姉の机の間にあり、そこから溢れてきた音は、今でも、初めての出合いと同じように、私の胸を打つ。音楽は、既知の芸術だと言った人がいるが、まさにそんな感じ。今では、その曲と共に得た経験やそれに続くいくつかの意味付けを抜きに、その曲は聴けないのだ。

そんな日が過ぎていく中、姉の試験勉強に付き合って、遅くまでラジオを聴いていた12月のある日。DJがジョン・レノンの死を告げた。多分、アメリカ本国でのニュースから1日遅れての報道だったと思う。(聴いていたのは国内放送ね)

番組の内容などはもうすっかり忘れてしまったけれど、ジョン・レノンが射殺された報道のすぐ後に、流れてきた曲は、(私の記憶のすり替えかもしれないが)レノンの(just like) starting over だった。ダブル・ファンタジーが発売されて間もない時期であったし、私はともかく、その時初めてこの曲を聴いたと思う。ビートルズ時代のパンチの効いたボーカルからは想像のつかない、ナヨっとした声のジョン・レノン。その歌詞が、明らかに(ヨーコでなく)ポールに向かって歌われていることは、後々知ったのだけれど、幼かった私にも、その曲の意味するところはなんとなしに伝わったのだ…と思う。

その曲のイントロを聴くと、姉は録音して!と叫んだ。私は、録音ボタンを押した。ジョンの女々しい声が響く。もう一度、最初から始めよう。starting over.

 マジかよ。

私と姉の間に置いてあるラジオは、いわゆるラジカセだった。カセットの「再生」ボタンが目に入った。ジョン・レノンは死んだ。でも、私たちは再生する。彼は、再生される。私たちは、無情なまでにボタンを押し続け、その歌声を聴いた。何度も、何度も、何度も。



追記

それから数年して、片岡義男の「少年の行動」を読み、私は、多くの人が軽視していた片岡義男のかっこよさを再認識することになる。






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