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人形の公爵(プリンス) 【小説】

      一
 明治三十八年の夏の京都では、日露戦争の最中で世情何かと落ち着かない中でも、都の旧い仕来りがおろそかにされることはなかった。
 二条通を東に進んで鴨川に行き着き、右手に見える小路から南に折れると、その角から築地塀がしばらく続き、塀が切れたところで黒い冠木門が森閑と扉を閉ざしていた。門前には円錐形の屋根を載せた巡査の警備のための小屋があって、この家に出入りする者は、巡査の誰何を経た後に、門の脇の通常口から塀の内に進むことになっていた。
 紺絣の着物を着た、毬栗頭の小学生が、風呂敷包みを胸の高さに奉持する女中に付き添われて、門に近づいた。
 女中は巡査に、
「梧桐の君様、ご帰館あそばします。」
と告げると、巡査は右手を制帽の庇に挙げて敬礼した。
 梧桐とは、この少年のお印として定められた、いわば別名であった。お印とは、御所や公家の仕来りで、貴人の名前を直接呼んだり記したりすることを敬して避けるために定められるもので、たとえばその貴人の持ち物には、そのお印の意匠が施されるのであった。その仕来りどおりに、この少年は本来の名前である常望という名を直接呼ばれることはなく、「あおぎりのきみさま」と呼ばれていた。女中の風呂敷包みには、紫の地に白抜きで梧桐の枝の絵柄が描かれていた。
 少年と女中とは、通用口から入ると、正面玄関の式台から屋敷に上がった。
 少年は、小学校から帰ると、必ず祖父の部屋に通って、挨拶をすることになっていた。
 祖父の夏の座敷は、鴨川に面した東南の角にあり、障子を開け放たれた縁側越しに、紫色の東山が遠望された。
 祖父は、入室して正座した少年を前にして、口を開いた。
「祇園さんのお祭で表は賑やかなことやろうな。そろそろ学校も夏の休みやろう。夏の間に、漢詩の作り方を教えましょう。」
 少年は、祖父である貞望と共に暮らしていた。貞望は、すでに当主を少年の父である義望に譲り、隠居していた。父の義望は海軍の軍務に就いており、東京に在住していたが、常望は、祖父の貞望のたっての望みによって、祖父の手元で育てられていた。
 貞望は、深草宮家の四男に生まれた。母君は、賀茂の神社に仕える社家の娘で、宮家に家女房として出仕していて、深草宮のお手がついた側室であった。深草宮家では、長男が宮家を相続し、その他の男子は門跡として僧侶になる慣例となっていて、貞望は九歳になると伯父君にあたる醍醐寺の門跡の付弟として寺に入った。
 あたかも時は幕末であり、十九歳の時に伯父君を継いで門跡になった貞望は、公武合体論を唱える岩倉具視を援助し、一時は尊王派が主導をとった朝廷から疎んぜられ、禁裏への出入りを禁止された。貞望が島原遊郭に微行を重ねて、幕府の朝廷への目付役である京都所司代に睨まれたのもこの時期であった。貞望は、後になって、当時の乱行はあえて政治的野心のないことを朝廷および幕府に示すために、心ならずも行ったものであったと述懐した。やがて岩倉具視が朝廷で復権すると、彼の禁裏への出入りも前の通り許されることになった。彼は、王政復古の時に復飾還俗するよう勅旨を受けて、臣籍に降下し、古歌から「いつかし」という言葉を採って、厳橿公爵家を創設するに至った。
 貞望は、思うところあって、東京奠都には随行することを謝絶して、京都に残った。彼は復飾還俗したとはいえ、深く仏教に心を入れ、一族の義務とされた軍務に就くことを厭ったのであった。彼はいつも和服で袴を着けて暮らし、生活に西洋風の文物が混じることを嫌った。彼は毎朝看経し、天地神祇を拝し、書道、歌道、雅楽、茶の湯を嗜む日々を送った。
 貞望は正室を置かず、島原で馴染んだ花魁を身請けして側室とした。彼は側室との間に三男二女を設けたが、うち男子二名と女子一名は夭折した。残った男子の義望の成人を待って、貞望は隠居した。
 義望は明治五年の生まれで、六歳になると東京の駿河台にあった伯父君の深草公爵の屋敷に寄宿した。深草公爵も、厳橿公爵同様に、宮家から臣籍降下した家であった。高房はその屋敷から学習院に通い、十六歳になると海軍兵学校に入学して軍務に就いた。成人するまでの義望は、厳橿公爵家の将来の当主と定められてはいたが、東京では親戚の家の居候であり、京都の父親からの仕送りで生活する身の上であった。彼は、普段の食事は深草公爵家とは別に摂った。当時神田錦町にあった学習院へは、学年が彼より一つ上であった深草高房は人力車で通ったが、彼は徒歩で通った。高房は、社交的な性格で、いつも取り巻きの華族の子弟に囲まれて賑やかに遊ぶことを好んだが、義望はいつも取り巻きの中に溶け込めず、高房とも会話をすることが少なかった。彼は中学生になるとドイツ人の宣教師夫人からドイツ語を学んだ。彼は植物学に興味を示し、ドイツ語が多少身についた頃になると、丸善で取り寄せたドイツの植物図鑑を読んで過ごすのが楽しみであった。彼は学習院を終えると海軍兵学校に進学した。海軍兵学校は、義望の入学の年から江田島に移転したので、彼は一足先に入学していた高房と共に、深草家から江田島の宿舎に移った。彼は海軍兵学校を卒業すると、海軍軍人として艦隊勤務となった。
 義望が成人して厳橿公爵家の当主となって二年後、旧摂家の九重公爵家の三女梅子との縁談が持ち上がった。彼が初めて九重公爵家を訪れたのは、五月の終わりの陽気のよい日であった。江田島から鉄道の駅のある広島に出て、二日間列車に揺られて上京した彼は、深草家から新橋駅に馬車を回してもらうことはできず、彼は新橋駅に着くと、駅前で客待ちしていた人力車を雇って、赤坂氷川台の公爵家に向かった。
 旧幕の京都では、宮家は無官であり、公家の最高位にあった摂家には一歩遠慮する立場であった。九重公爵夫妻は、その仕来りのとおり、銅の壺に立華の活けられた床の間の前に、義望と同列で対座した。公爵はややずんぐりとした血色のよい体格で、フロックコートを着用し、夫人は細面で髪を束髪に結い、朱鷺色の京友禅の和服に金糸で燕の文様を散らした帯を締めていた。義望は、艦隊勤務で黒く日焼けした細身の体格で、海軍の蛇腹の制服であった。彼は、当時上流婦人に流行していた金縁の眼鏡越しに自分の品定めをする夫人の視線に、居心地のよくない思いをしながら、大きな牡丹の紋が織り出された金襴の座布団に端座した。
 九重公爵は、左の掌に載せた茶托から、右手の指先で九谷焼の華奢な煎茶碗をつまみ上げながら言った。
「閣下は、海軍でお船に乗られて家をお空けになることが多いのではと拝察いたしておりますが、婚儀がまとまりましたらば、海軍大臣になるべく陸上のご勤務となりますよう、申しあげねばなりますまい。」
 義望は、九重公爵が若い義望を、厳橿公爵家の当主として、閣下という敬称で呼ぶことに、面はゆい思いがした。
 九重公爵は貴族院副議長の要職にあり、海軍大臣に頼みごとをすることは、雑作もないことであった。義望の父の宮中席次は九重公爵より高いものであったが、九重公爵のように政府の要人に直接物事を頼むことのできる立場ではなかった。
 ベルリン留学が長かった九重公爵は続けた。
「閣下は、海外留学遊ばされますよう、ぜひお勧めいたします。婚儀の後、しばらくいたしましたならば、ドイツかイギリスにご渡航遊ばして、できれば梅子も伴っていただきたいですな。渡航の費用は、宮内省からの分だけでは到底足りますまいから、九重家からも些少ながら支出させていただきます。」
 公爵夫人が言った。
「梅子は、本来であれば然るべき見合いの席でなければ閣下にお目にかかるわけにはいかないところではございますが、今日はその襖の向こうで様子を伺っておりますから、少しだけお目通りを願いましょう。」
 夫人の合図で、女中が竹に虎の絵柄の襖を開けると、次の間に、矢絣の着物に女学校に通う海老茶の袴を着けた、小柄な若い娘の姿があった。
 夫人は言った。
「今日は内々でのお引き合わせで、他言無用にいたしましょう。どうぞ、お声をおかけくださいませ。」
 義望は、軽く会釈すると、
「義望です。」
とだけ言って、それ以上の言葉を続けずに沈黙した。
 梅子はいかにも社交慣れした様子で言った。
「梅子でございます。以前、深草公爵家の蛍狩りの時にお目にかかったことがございますが、覚えておいででいらっしゃいますか?」
 義望は、ひと呼吸ほど間を置いてから、ゆっくりした口調で答えた。
「蛍狩りは覚えていますが、どの年でしたでしょうか。毎年、大勢のお客でにぎやかでしたので、梅子さんがおいでになっていたのは気づきませんでした。」
「閣下が高房さんと藤棚の下におられた時に、うちわでお二人のお膝の蛍を追ったのを覚えておいでではございませんか?」
「たしかに、洋装のご婦人がおられて、そのようにされたのは、朧げに覚えていますが、夜分でしたので、お顔をしかと拝見したわけではなくて、失礼いたしました。」
「さようでいらっしゃいますか。それならば、以後よろしくお見知り置きくださいますよう、お願い申しあげます。お船に乗られて屋敷を開けられることが多いと承っていますが、どうか私のことは気になさらず、公務に精励されますようお願い申しあげます。」
 義望は、自分より三歳若い梅子の口からこのような言葉がすらすらと出て来るのに驚いた。しかし、彼は、相手を選り好みする勝手は自分には許されないことを十分承知していたので、この権門の娘には何とか自分が合わせてゆくしかないだろうと思った。
 納采の儀を経て、婚儀は明治二十九年五月に京都の厳橿家本邸で古式のとおりに執り行われた。義望は束帯を着用し、梅子はおすべらかしの髪に十二単を着用して、御座所にひな人形のように並んで着座した。京都在住の旧公家の夫人や娘が出仕して、有職故実の通りに銀盤に三日夜の餅が盛られた。
 二人はいずれ東京に新邸を構える予定であったが、予算の都合から、当面は駿河台の深草公爵家の離れで起居することになった。
 深草公爵家では、九重公爵の令嬢の梅子を歓迎し、折にふれて義望と梅子とを本邸での食事に招いた。まだ独身であった高房は、横須賀の軍港での勤務であったため、東京の本邸に帰っていることが多かった。彼は幼少の頃から梅子とは遊び仲間で、義望が軍艦に乗って留守にしている間、梅子にテニスを教えたり、自分の演奏するチェロをピアノで伴奏させたりしていた。義望が離れにいるときにも、梅子だけが高房に呼び出されることもしばしばで、そういう時は、義望は趣味の植物学の洋書を読んで過ごした。
 義望は、いつも深草公爵家の食事に招かれるのは心苦しいので、たまには離れで深草公爵家の人々をもてなすことを梅子に提案した。梅子は、その食事会の当日は、朝早くから準備を始め、実家から伴った三人の女中を使いながら、西洋料理を作った。
 食事会は、十月の十六夜の月の明るい晩に行われた。出席者は、深草公爵夫妻、高房、高房の妹、深草公爵当主の妹の一家四人、そして義望夫妻であった。午後八時前には、食事会も無事終わり、出席者は離れの食堂から応接間に移動すると、ソファでたばこを吸ったり、食後のリキュールを嗜んだりした。
 義望は、いつもそうであるように、一族の会話の輪からは一歩距離を置いて、静かにほほえんで会話に耳を傾けていたが、気が付くと、梅子と高房が、いつのまにか洋間からいなくなっていた。
 義望は、そっと応接間を抜けると、食堂を探したが、二人はそこにはいなかった。彼は、秋の夜のしじまのなかで、かすかにきいきいという金属の擦れる音に気が付いた。彼は、それは庭の藤棚の傍のブランコの音であろうと察した。
 彼は、音を立てないように食堂から庭に出る扉を開けて、庭に降り立ち、足音を立てないように藤棚への道をたどった。
 はたして、藤棚の傍の白いペンキで塗られたブランコに、彼は高房と梅子との姿を認めた。十六夜の月が照らすなか、二人は対面でブランコに座っていた。二人はどちらもうつむいて、一言も言葉を交わさず、ただブランコをゆっくりと揺らしているのであった。
 義望は、目を鋭く細めてその有様を見ていたが、やがて踵を返すと、食堂の扉から離れに入って、応接間に戻った。応接間では、義望が席をはずしていたのを誰も気が付いていない様子であった。
 明治三十年十一月、義望は豪州親善のための遠洋航海に出発し、家を三か月の間留守にした。彼が一月末に帰国して間もなく、梅子が懐妊していることがわかった。梅子のために、九重家から、医師と看護婦が二人の起居する離れに派遣されて来た。医師の診断によると、早産が心配されるとのことであり、手厚い看護体制が敷かれた。梅子は、その年の十月末に男子を出産した。
 義望は、生まれた赤ん坊を初めて見た時、早産にしては体格がしっかりしていることに気付いた。
 九重家から梅子に付き添ってきた京育ちの女中は、義望に、
「早生まれのやや子さんやのに、大きなお産声さんで、おめでたい限りとお祝い申しあげます。」
と、喜んでみせた。
 義望は、植物学を始め西洋の科学に親しんできたので、本件についても確かなところを知りたいと考え、上流階級の信頼の厚い、ドイツ人医師シュトルツ博士の邸宅を訪ねた。
 義望は、ドイツ語で、つぎのように尋ねた。
「ドクトル、懐妊して十か月満たないで生まれる子供は、体格に何か特徴がありますか?」
 シュトルツ博士は、この質問に、流暢な日本語で答えた。
「特徴と申しあげるべきものは、ございません。体格の大きさはさまざまです。」
 義望は、内心で、博士の言葉を信用しようと自分に言い聞かせながら、博士の邸宅を辞去した。
 義望の父の貞望は、義望から書状を受け取った。書状には、赤ん坊にとり祖父である貞望が染筆してあらかじめ東京に送った命名のとおりに、常望と名付けられたことが記されていた。その書状に添えられた私信には、義望によるシュトルツ博士の見解の要約が添えられていた。
 貞望は、幕末の騒乱の中を自分の才覚を頼りに生き抜いてきた人だけに、勘がきわめて鋭く、私信にわざわざシュトルツ博士の見解が書き添えてあることにすぐに疑問を持った。彼は、義望に仕えている家令に、事情を最大もらさず書いて知らせるように、親展の封書によって命じた。
 貞望は、家令の返信によって、昨年十一月以来の東京の厳橿家の人々の動きを知ると、家令にさらに返信して、深草公爵家と梅子との関係を、なるべく以前まで遡って調べるように命じた。
 家令の再度の返信には、つぎのように始まる文章がしたためられていた。
「閣下御下問の儀、梅子様かねて御幼少にあらせられたまひし時分以来、深草公爵家にては園遊会等の都度何かと催し事のあるたびにお召し遊ばされ、若様におかせられましては実の妹君のごとく思し召され、下つ方にては伊勢物語の筒井筒さながらとの噂も耳にいたし候。」
 貞望は、この一文で事情が呑み込めた。伊勢物語の筒井筒の話のように、幼馴染の関係があって、その微妙な事情がシュトルツ博士の見解の話につながっていると理解した。
貞望は、伊勢物語の冊子を開いて、筒井筒の章を久しぶりに再読した。

筒井筒 井筒にかけし まろが丈 過ぎにけらしな 妹見ざる間に
くらべこし 振り分け髪も 肩過ぎぬ 君ならずして 誰か上ぐべき

 彼は、定家流の手跡で書かれたこの有名な歌の応酬を確かめると、さて、どうしたものか、と考え始めた。自分を粋人であると認識していた彼は、今更、確かめる術もない憶測で兄の深草公爵にねじ込んだりするつもりは毛頭なく、ここは王朝の流儀で雅に納めたいと思った。
 貞望は、常望を義望から引き離して、自分が養育することを考え付いた。義望と梅子とは家の都合でなった夫婦であっても、お互いに嫉妬したりされたりということは、あるかもしれないので、その火種は自分の目の黒いうちは自分の手元に引き取っておこうと思ったのであった。
 彼は、再び義望に書簡を送り、常望に国学と漢学を修めさせ、神道に通じさせて、我が国の伝統を受け継ぐ者として育てるべく、常望を自分のもとに引き取りたい旨を伝えた。
 義望は、この書簡から、父が自分の懸念に気が付いていることを読み取った。自分としては、艦隊の勤務が多く家庭を空けることの多い自分よりも、祖父の貞望が養育に当たった方がよいのではという気持ちもあった。彼は、父の申し出を承諾する腹積もりをしてから、梅子に相談した。梅子は、あっさりと、
「ご隠居様のおっしゃるとおりにいたします。」
と答えた。義望は、彼女が躊躇なく答えたことに内心驚くとともに、自分の懸念を裏書きされたような気がした。
 それから二か月ほど後に、常望は乳母の胸に抱かれて鉄道に乗り、京都の祖父の本邸に引き取られた。彼の上洛には、父親の義望も母親の梅子も付き添うことはなく、乳母と義望の家令の二人が付き添うだけであった。
 常望の毎日の養育は、貞望の側室であるイトがあたることになった。
 イトは、常望を京都まで連れて来た乳母は東京に返して、京都で新しい乳母を雇った。
 イトはもともと摂家の警護に当たる武士の娘であった。彼女の兄は、尊王の志士の一人であり、攘夷派の公家であった中山忠光に心酔した。彼は天誅組の義挙に参加するにあたり、まとまった金銭を調達する必要があり、イトは兄のために島原遊郭に身を売ってその金銭を用意した。天誅組の義挙は失敗に終わり、イトの兄は中山忠光に従って長州に落ち延び、そこで忠光とともに暗殺された。貞望がイトの客となったのは、その直後であった。貞望は、イトがただの遊女ではなくて、兄の義挙のために身を苦界に沈めた筋金入りの攘夷論者であることを知り、やがて自分の政治向きの判断に際しては彼女の意見を聞くようになった。
 王政復古の後、貞望が東京奠都への随行を謝絶したのも、イトの意見を容れてのことであった。その時イトは貞望に尋ねられて、つぎのように意見を言った。
「王政復古は、それは結構さんなことでございますな。大砲やら制服やら、軍隊をそろえるのには、えろうおあしがかかりますやろうと思うてますが、異国からたんと借財せんならんとちがいますやろか。お国柄を守るために命を捨てはった方はあの世でどう思いはりますやろか。東京へ宮さんがお下り遊ばされる思し召しとあらば、それは思し召しの通りなさいませ。わてはこの王城の地で兄の菩提を弔わなあきまへんによって。」
 貞望は、自分が東京で陸軍に入れられることになっていて、洋装にサーベルを下げるのが、自分の旧弊な美的感覚に合わないのを気にしていたのであったが、イトの言葉を聞いて決心が固まり、自分はお上が留守にされる京都を守りたいと政府に申し出て、東京行きを謝絶することにした。政府は、まだ幼い天子がおじ君たちの意見に左右されるようなことは未然に避けたいと思っていたので、貞望の希望をさしたる議論もなく受け容れた。
 イトはそれから貞望の実質上の夫人として、本邸内を取り仕切っていた。彼女は、京都の街にも西洋人が訪れるようになり、西洋文化が入ってくるのを見ながら、西南の役が終わる頃までは旧幕時代と変わらない生活をしていた。しかし明治十年二月に、京都から大阪への鉄道の開通式が催され、明治天皇が臨席されることとなり、貞望とイトは宮内省から招待され、二人は初めて、蒸気機関車につながれた列車が京都を出発するさまを目にした。イトは、京都駅から本邸に戻ると、貞望につぎのように言った。
「よう考えれば、日本の漢字も、着物も、太鼓や三味線も、海の向こうから船で渡ってきたものを、こちらで工夫して使うてきたもんどす。そういうもんを使うんは、お国柄をどうのこうのということとは関わりの薄いことやから、ええもんは使うてゆかなあきまへんな。」
 それからのイトは、身なりこそ和服で通したが、ガス灯を手初めとして、新しい文物を本邸で試みるようになった。京都市に電気が引かれると、イトは市中の邸宅としては真っ先に電灯をともした。
 しかし、イト自身は、常望には、折あるごとに、自室の小さな仏壇にある兄の位牌に燈明を上げながら、つぎのようなことを言うのであった。
「西洋の学問は、なんでも好きなように、身におつけあそばしませ。ただ、お忘れあそばしてはならないことは、このばばが生きているうちは、何度でも繰り返して申しあげますによって、よう肝に銘じとくれやす。お国というもんは、そのために死んだ人のお蔭さんがあってはじめて立ってゆけるもんどす。大砲や汽車はお国を助けますが、それだけでは立ってはゆけへんのどすえ。」
 常望が乳離れしてから、乳母は帰され、それからの養育は、イトの監督のもと、女中のハナが担当した。ハナは寡婦であり、三十代半ばを過ぎであった。彼女は、京都の室町の小さな商家の娘で、音曲や書道に親しんで育ち、長じるに及んで内科の医師の妻となったが、子供のできないうちに夫に先立たれ、一旦は実家に戻っていた。それをイトに紹介する人があり、イトの眼鏡にかなって、女中として厳橿家に住み込みで勤めることになった。
 常望にとって、ハナは母親代わりであった。彼女は、常望と起居を共にし、彼の身の回りの世話をした。彼女はイトの指示で、毎晩、桃太郎や金太郎を始め、子供向きの絵草子を常望に読んで聞かせた。手に入れた絵草子は十数冊であり、彼女は、同じ物語を、少し日にちを置いては、何度も常望に読んで聞かせた。物心のつき始めた常望は、ハナによくなついた。常望は、寝る前にハナに絵草子を読んでもらうのを楽しみとし、自然にその筋や書かれた文字を覚えて行った。
 常望を京都の貞望に預けた東京の義望は、それから一年後に、ドイツに旅立った。義望はドイツの軍港キールの大学校で二年間学び、その後ベルリンの日本公使館で外交の現場を体験した。妻の梅子は、義望がベルリン勤務となった時に、渡欧して義望と暮らした。
 当時三歳の常望のもとには、義望から、プロイセン軍の兵隊を象った人形や、オルゴールが送られてきた。ハナがオルゴールのねじを巻いて、音を出すと、貞望が珍しく常望の部屋に顔を出した。
「義望の送ってきた土産か。なかなか涼やかな音のするものであるな。」
 オルゴールの裏には、ローマ字で、フランツ・リスト作曲リーベストロイメとあった。貞望は幕末に蘭学をかじったことがあり、ローマ字はある程度は読むことができた。
 ハナが言った。
「義望様からのお手紙を先ほど拝読いたしましたが、この曲の名前は『愛の夢』というのだそうでございます。」
 貞望は、その言葉に、常望の誕生の時の「筒井筒」の一件を思い出して、独り言を言った。
「ひとときの愛の夢であっても、一人の子供の命となって、永く続いてゆくものであるな。常望への土産にふさわしい曲名であるが、あわれやな。」
 貞望はそのように呟いた後、常望の頭を撫でた。貞望が常望の体に触れることは、滅多にないことであった。
 貞望は自室に戻ると、即興でつぎのような和歌を作り、手元の和紙に書き付けた。

筒井筒 上ぐべき髪のいとながく 玉の緒むすぶその夢枕
      二
毎年三月の下旬には、厳橿公爵の京都本邸の地主神である、桜木稲荷社の祭りが行われた。その「おうぼく様」の祭りの日には、本邸の庭が近所の住民に開放されることになっていた。
祭りの日の昼下がりには、赤いしだれ桜の下に、土俵がしつらえられて、十歳以下の近所の子供たちによる相撲の会が開かれた。
相撲の会といっても、取り組みはせいぜい十組程度で、優勝を決めたりするものではなかった。行司は毎年貞望が勤めた。勝者には、熨斗のついた包みで干菓子が与えられた。敗者には、熨斗のついていない包みで、勝者に与えられるのと同じ干菓子が与えられた。
相撲の会には、常望も毎回力士として参加した。彼は御所人形のようにくりくりと太っていて、体格が良いこともあって、毎回勝つのであった。
祭りの日の晩には、この土俵で、花相撲の会が開かれた。
これは、島原や祇園や宮川町や上七軒から、代表となる芸妓を出させて、緋桜色の襦袢姿で相撲をとらせるというもので、貞望は京都府知事を始めとした地元の名士を三十人ばかり呼んで、料理を振舞って見物させた。
土俵の周りには、篝火が焚かれ、見物人は土俵に近い座敷の縁側に緋毛氈を敷いた席に着座し、銘々に膳が配られた。
この相撲も優勝を決めたりするものではなく、行司は、呼ばれた名士が代わる代わる勤めた。
力士となる芸妓も、あらかじめ、自分も相手も無作法な姿になったり怪我をしたりしないよう、稽古を重ねていた。
芸妓が土俵に上がる時には、それぞれの付き添いの芸妓が音曲を付ける約束事になっていて、賑やかな催しであった。
子供の常望や、イトたちも、庭先でその様子を見物することが許された。
八分咲のしだれ桜の下で、篝火に照らされながら胡蝶のように様々な姿勢でひるがえる芸妓の有様は、常望の印象に残った。
義望夫妻は、明治三十六年の六月に日本に帰国した。二人は神戸で下船して、京都本邸に帰国の挨拶に立ち寄った。
常望にとっては、実の親に会うのは、夫妻が洋行の前に京都に挨拶に来て以来、初めてのことであった。前に会った時は赤ん坊であったので、物心がついてから会うのは初めてであった。
その面会の日、義望は海軍略礼装、夫人は洋装で京都本邸に人力車で到着した。常望は、紋服に袴姿であった。
義望夫妻は、床の間の前に座った貞望に挨拶の言上をした後、出入り口の襖近くにイトに抱かれて座った常望に向き直った。義望は、
「大きくなられて、まことに結構です。」
と声を掛けた。梅子は、
「イトさんのお蔭で、元気に育って何よりです。」
と、イトを労う言葉を口にしたが、常望には何も話しかけることはなく、自分の方に招き寄せることもしなかった。
常望、義望夫妻、そして常望は、昼食をはさんで二時間ほど席を共にしたが、五歳の常望にとっては、義望夫妻のドイツの土産話は何一つ理解できない退屈なものであった。
義望夫妻は、宿所に充てられた離れに退出して、その日の午後は休息の時間に宛てられた。
その日の夕食は、義望夫妻と常望とで摂ることとされた。
常望はイトに手を引かれて、離れの表座敷に向かった。
渡り廊下を通る時、常望は廊下のすぐ傍に植え込まれたあじさいの花を見て、イトに尋ねた。
「ばばさまは、あじさいは好き?」
「はい、好きですよ。」
「今日のお客様も、お好きやろか?」
 イトは、渡り廊下の途中で立ち止まって、常望と同じ高さにしゃがんで、頭を撫でて言った。
「今日来られているのは、おもうさんとおたあさんどす。梧桐の君様はかわいらしうに静かにお座りやして、お行儀ようご膳をお上がりやして、楽しうお過ごしなさいませ。」
 おもうさん、おたあさんとは、父と母とを指す京言葉であった。常望は、来客が父母であるということはわかったが、父母とはどういうものか、理解できなかった。
 イトは、常望を表座敷に連れて行くと、自分は襖の向こうに正座で一礼すると、渡り廊下を戻って行った。
 食事の席では、梅子が自分の膳の鮎の身を箸ではがして、汁椀の蓋に盛って、常望に与えた。
梅子が義望に唐突に言った。
「常望の顔立ちは、よく殿様に似ておいでです。」
 殿様とは、梅子が夫を呼ぶときの敬称であった。
 義望は、つぎのように答えた。
「今更言うまでもない、あたりまえのことではないか。」
 彼は何も気にしない風で、自分の鮎を箸の先で口に運んだ。そして彼は続けた。
「いずれ、常望を東京に呼び戻すことがあるのではないかと思う。その時は母親としての務めを果たしてほしい。」
「ご心配はご無用に。その時は、九重の実家に、女中を増やしてもらいます。」
 食事の時間が終わって、イトは再び渡り廊下を通って常望を迎えに来た。
 帰りの渡り廊下で、常望はイトに言った。
「ばばさま、ぼく、静かにしていた。」
「よう辛抱なさいましたな。ええお子や。」
「あじさいがお好きかどうかも、聞かへんかった。」
 イトは、渡り廊下から手の届くところに咲いていた、一輪の紫色のあじさいを摘むと、常望に渡した。彼はあじさいの花を目の高さに持って、イトに手を引かれて自分の寝所に戻った。
 翌朝、貞望は自室に義望一人を呼んだ。
 貞望は、和服の義望を前にして、尋ねた。
「義望に一度尋ねてはっきりさせておきたいと思うことがある。常望のことだ。」
「よい子にお育ていただいて、感謝いたしております。」
 貞望は、低い声でつぎのように和歌を朗詠し始めた。
「筒井筒 井筒にかけし まろが丈・・・」
「何でございましょうか、伊勢物語のなかの歌のようでございますが?」
「単刀直入に尋ねる。常望の父親は高房なのか?」
「そのことでございますか。自分はシュトルツ博士を信用していますので・・・」
「博士は、本当のところは決め手がないと言っているのではないか?」
 義望は、ため息をついてから、それまでの東京の軍人風の言葉遣いの中に、京育ちの若様の言葉遣いが次第に交じる言葉になった。
「おもうさん、常望は御所人形のようにふっくらして、自分のあの時分とはえろう違うように思います。」
「それは、義望は骨と皮ばかりやったな。桜木稲荷の相撲でも、勝ったこと一度もあらへんかったやないか。常望は負けたことがないによって。」
「ほんまのところ、たぶん高房さんの子やろうと思うてます。それはもう、自分は気にはしておりません。こっちは梅子さんとは常望の懐妊の後は部屋も別やし、梅子さんは自分を避けているようです。」
「義望はそれでよいのか?九重の家にものを言うたほうが、ええんちゃうか?」
「梅子さんはこっちがどこでどう遊んでも、何とも思うてしまへん。それはかえって気が楽や。九重のおもうさんのことも、おそろしおす。おもうさん、このまま、事を荒立てんと、するすると済ますのがいちばんやと存じております。」
 貞望は、平安朝以来、このようなことは政略結婚にはつきもの、という古い常識をもっており、自分の本物の子孫が家を代々継いでゆくことには関心がなかったので、義望の言う通り、そのまま事を表沙汰にするにも及ばないと思った。
常望は、就学年齢になると、京都の地元の小学校に通うことになった。厳橿公爵家であれば、家庭教師を雇って小学校教育をさせることも許されるところであったが、貞望は、自分が幼少の頃、妾腹の四男として、宮家の家臣の子たちと一緒に、特別扱いのない生活をした経験があり、常望も市中の子弟と交わることが大切だと考えて、地元の小学校に通わせることにしたのであった。
 貞望は、常望には京都では最先端の教養を身に着けさせることを望んだ。国学や漢学は、貞望が教え、外国の教養は、京都で美術を研究しているフランス人の学者や、京都に東方教会を開いたロシア人の聖職者を家庭教師として雇って、語学、美術、音楽を教えさせた。
貞望は、もともと雅楽や市井の音曲に通じていて、音楽を好んだ。彼は、義望から常望にオルゴールが贈られたのをきっかけとして、自らオルゴールの収集を始め、彼の書斎の棚は、それまでの漢籍や歌集が蔵に移されて、代わりにベルリン勤務当時の義望に依頼して入手した十数台のオルゴールが並べられた。また、彼は、ドイツ製のアップライト型のピアノを購入し、常望の部屋に備え付けた。常望はピアノを好み、ロシア人の家庭教師の指導のもとに上達して行った。
明治三十八年の夏の日、常望は小学校から帰り、いつものように挨拶のため祖父の夏の座敷を訪ねた。
 祖父は、少年を認めると、口を開いた。
「祇園さんのお祭で表は賑やかなことやろうな。そろそろ学校も夏の休みやろう。夏の間に、漢詩の作り方を教えるさかいにな。」
その時、東山から一陣の風が座敷に吹き通った。
それと同時に、京都本邸の家令が、血相を変えて入ってきた。
「御前様、たった今、電報が届いて、義望様のご病状が重いとのことでございます。」
 義望は、日露戦争に従軍して巡洋艦に乗船勤務中に肺炎に罹患し、佐世保の海軍病院に入院していた。貞望は数日前にその連絡を聞いて、憂慮していたところであった。
 貞望は、眉間に皺を刻んで、常望に言った。
「お前の父の病気が重いらしい。」
 義望は、帰国以来、年に一、二回は京都本邸を訪れることがあったが、常望には、何度義望に会っても、この人が父親であるという実感が持てなかった。しかし、常望は、義望の「跡を継ぐ」立場であるということは、祖父母から毎日のように聞かされていて、子供心ながらに理解していた。常望は、義望の病気重篤の報に接して、自分の身の回りに大きな変化が起こるかもしれないと予感した。
 八月の大文字焼も終わり、あちらこちらで蝉時雨の聞こえる地蔵盆に入った日に、義望の薨去が京都本邸に伝えられた。
 義望の葬儀は東京で行われることになり、貞望は常望を連れて上京した。葬儀は深草公爵邸の庭に幔幕を張り巡らした屋外で行われ、残暑の中、大礼服の一族や将校が多く列席した、まだ名残の蝉時雨の中、神式で執り行われる儀式の間、常望は梅子の隣に座っていたが、長時間の儀式で列席者がうとうとし始める頃、こっそり白木の床几から降りて、幔幕の下をめくって、斎場の裏に出てみた。
 そこには、小高い築山があって、頂上の藤棚の近くに白いブランコがしつらえてあり、ブランコには常望よりも少し年齢の小さい兄と妹が座っていて、一人の女中が籠をゆっくり揺らしていた。
 女中は常望の姿を見とがめて、
「あんた、どこの子?ここはあんたなんかの来るところじゃないのよ。あっちへお行き!」
と一喝した。
 常望は、自分の姿を珍しいものを見るように見送る兄妹の視線を感じながら、もとの幔幕の下にすべり込み、自分の床几に戻った。
 葬儀が終わって、参列者が退席することになり、常望は京都から付き添って来たイトに手を引かれて、斎場を後にした。
 しばらくして、常望は、帽子を斎場に忘れてきたことを思い出した。そして、彼はイトの袖を引いて言った。
「ばばさま、帽子を忘れました。」
 イトは、帽子がこれからの参列者を見送る挨拶の小道具として必要なことを知っていたので、急いで常望と床几まで戻った。
 斎場では早くも幔幕の撤去の作業が始まっていた。
 金モールの巻かれた小学生の帽子は、あちこちを確かめたが、見当たらなかった。
 イトが言った。
「梧桐の君様は喪主でいらっしゃいます。厳橿公爵を間もなくお継ぎになられます。これはええ練習の機会や。これから、お客様をお送りするご挨拶に臨まれますが、お帽子なしで、堂々とお振舞いくださいませ。何があっても堂々としてあらしゃるのが、梧桐の君様のこれからのお務めでございます。」
 常望は、イトの言葉の意味はよくわからなかったが、帽子がないからと言って、こそこそしていてはいけないということだと合点して、屋敷に戻った。
 一族は、参列者の客の格に応じて、玄関の式台まで、あるいは玄関の内側の小座敷の銀紙の屏風の前に並んで、見送りの挨拶をした。大礼服の男性の大人は、みな帽を脇に抱えて挨拶をしたが、常望は、あるべき帽子を抱えないで、自分に深々と挨拶する参列者ごとに、首をこっくりと縦に振り続けた。彼の挨拶は、玄関先の玉砂利を出立する最後の人力車の音がしなくなるまで、二時間ほど続いた。
 一連の儀式の後、二日ほど経ってから、貞望は常望を深草公爵家の離れの自室に呼んだ。
「おまえは公爵の爵位を継がねばならぬ。九重公爵からは、厳橿公爵は東京で、お上のお傍にお仕えするべきではないかとの意見が伝えられている。そうしないと、梅子一人が東京に住むことになって、世間体がまことによくないからな。梅子も常望を引き取って一緒に住むと言っている。おまえは、これからは東京でこの家の当主として暮らすのだ。」
 貞望はそう言い渡してから、京言葉で言った。
「自分は、ばばと京に戻るによって、つぎはいつ会われるかもわからへんな。うちには、自分の勝手いうもんはもともとあらへんさかい、せんないことや。おまえは当主やから、ようわきまえて、お神輿から振り落とされへんように、家の衆にかついでもらうんやで。」
 常望は言った。
「学校も変わらなあかんいうこと?」
「そうや。今度は学習院やな。おまえのおもうさんも通うてたんや。」
「ピアノやフランス語は続けてもええの?」
「それは続けられるように梅子に言うとくわ。女中のハナは東京に来ておまえの世話を続けられるよう、なんとか算段しよう。見ず知らずの人ばかりの中に入るのは、自分も寺に入ったときもそうやったが、心細いもんやさかいな。」
 常望は、初めて梅子の部屋に呼ばれた。梅子の部屋は、洋室で、ベッドの脇に応接セットが置かれていた。この洋室には、靴をはいたままで入るようになっていた。
 常望は、梅子付きの女中に手を引かれて、お客のように応接セットに座らされた。
 梅子は、喪中ということで、黒に近い濃い紫色の洋装に、真珠のネックレスをして、常望の向かい側に座った。梅子が言った。
「梧桐さん、おじいさまからお聞きになったでしょ。今日からは、わたしと暮らすのよ。あなたには、京都から女中が来るらしいわ。それから、暮らし向きのことは、九重から連れて来た家令の林が受け持っているから、後で挨拶に伺わせます。わたしのことは、ここは京都じゃないから、おたあさんでなくて、お母さんと呼んで。あなたのことは、お印の梧桐さんで呼ぶわ。外向きには『当主』と申しあげますからね。あなたは、これまで、食事はいつもおじい様と一緒?」
「女中のハナと一緒です。おじい様やばば様は、お正月やお祭りには一緒です。」
「そうなの。ここでは、なるべく私といっしょに朝食を摂るようにしましょう。日中は、あなたは学校があるでしょうし、私もお付き合いで外出が多いから、夕食の時間も決まっていないし、せめて朝だけは顔を合わせましょう。」
 常望は、京都でも、御所人形のように扱われて、まわりのお膳立て通りに、お行儀よくしているのに慣れていたので、梅子の話を聞いて、自分の暮らしは東京でもそんなには変わらないのだろうと思った。
「それから、深草公爵に、あなたと同じ年恰好の、良房さんと公子さんがいるから、時々遊んであげるといいわ。外国のおもちゃをたくさんお持ちなのよ。二人とも、パリで生まれたのよ。」
 深草公爵家は、四年前に先代が薨去し、高房が当主になっていた。高房は、当主になる前年に梅子の従妹にあたる桃子と結婚しており、良房と公子の二人の子を儲けていた。二人は、梅子の言うように、高房夫妻がフランス滞在中に現地で生まれた。良房は四歳、公子は三歳になっていた。常望は七歳であったので、梅子の言うような、同じ年恰好というには、少し歳が離れていた。
 常望は、義望の葬儀の後、改めて深草公爵家に挨拶に行くこととなった。
 彼は家令の林に連れられて、応接間に通された。部屋にはグランドファーザー・クロックが重い振り子の音をたてて時を刻んでいた。壁には、畳二畳分ほどの大きな油絵がかかっていて、銀色の長い鬘をかぶった西洋の貴族と思われる肖像が描かれていた。
 常望は、振り子の音を聞きながら、身動きをしないで、革張りの椅子に浅く腰をかけて、御所人形のように座っていた。彼はそうしていることに幼少から慣れていた。ただし京都では和室で正座であったが、ここでは洋間であることが相違であった。
 常望が十五分ばかり待ったところで、高房と夫人の桃子、そして良房と公子が、女中に先導されて応接室に入った。
 一同着座すると、まず家令の林が口を開いた。
「このたびは当主上京につきまして、ご挨拶に参上いたしました。来年公爵邸が関口に完成いたしますが、それまではこの離れで梅子様と暮らします。」
 高房は、林の口上を聴きながら、ずっと常望の顔を見ていたが、口上が終わると、うんと頷いてから言った。
「友房君が亡くなったうえで、知り合いのいない東京に転居とは、心細いことであろうと察します。常望さんは、当家をぜひ我が家と思って、日々尋ねられますよう。」
 桃子が言った。
「良房と公子のよいお友達になっていただきたいわ。梅子さんはお出かけが多いから、お留守の時はわたしがお母さんのかわりをいたしますわ。」
 桃子の声は、この広い応接間に反響するような、かん高い大きな声であった。彼女は元大藩の外様大名の家に生まれ、自分の寝室だけで二十畳もある広い屋敷で育てられたので、女中を呼ぶのに大きな声を出していた習いが結婚後も抜けなかった。
 高房は、そのかん高い大きな声を聞いて思い出すことがあった。それは、高房と桃子がパリに滞在中に、生前の義望と梅子と四人で会食した時のことであった。
 その席で、豪放な桃子は、シャンパーニュのグラスを片手に、高房と梅子とを交互に見ながら、義望が同席しているのにもためらう風もなく、かん高い声でつぎのように言った。
「おふたりとも、お互い婚儀やら外遊やらがあって、ここ数年ろくに顔を合わしていないけれど、もうほとぼりは冷めたでしょうね。そうでないと、義望さんがかわいそうよ。」
 その言葉を聞いても、義望は平然とフォークを口に運んでいた。しかし高房は、義望の目が、一瞬ではあるが細く鋭く光ったのを見て、冷や汗を流した。それと同時に、彼は桃子が自分と梅子との関係をとうにわきまえていることをはっきり知ることになって、本当のところかえって安心したのであった。
 その夜、高房は、桃子に、常望が自分の息子と思われる旨を打ち明けた。桃子は言った。
「そのことは、私は婚儀の前から、周りの者の話で、大方そうではないかと察していました。そのくらいのこと、七十万石のお城が落ちるような話でもございませんし、この胸ひとつにしまって、しっかり心得て嫁いでまいりました。お心を悩まされるようなことではございません。」
彼女としては、嫁ぐということは、七十万石のお家のために出陣することであった。その信念は、彼女にとっては、大藩であった旧大名家の財力の限りを尽くした西洋風の育ちと、何の矛盾も来たすものではなかった。
 高房は、このような回想から、再び現実に立ち戻って、常望の顔を改めて見つめた。
 高房は、何事か桃子と小声で話した。彼らは、フランスに三年間住んで、フランス語ができたので、周りに聞かれたくないことを話すときは、フランス語で会話するのであった。
 常望は、フランス語の手ほどきを受けていたので、ごく簡単な会話は聞き取ることができた。彼が聞き取ることのできた彼らの会話はつぎのようなものであった。
「あなたは、彼が私に似ていると思いますか?(エスク・ヴ・パンセ・キル・ム・ルサンブル?)」
「たぶんそうね。(プテートル)」
 常望は、「ルサンブル」という言葉が日本語で「似ている」という意味であることを知っていた。しかし、彼は、それが高房と自分との特別な関係を表していることまではわからなかった。彼は、桃子の言った「ブテートル」という言葉に特に印象を覚えて、頭の中でこの言葉を繰り返した。
 良房と公子は、それぞれ革張りの椅子に浅く腰かけていた。彼らも人形のように行儀よく座っていたが、桃子がパリから直接取り寄せたセーラー服風の子供服を着ていた。常望が御所人形のようであるのに比べて、彼らはフランス人形のようであった。
 フランス生まれの良房と公子は、日本語より先に、子守りのフランス人からフランス語を覚えた。帰国後の高房と桃子は、二人とは日常は日本語で会話したが、朝食を摂るときだけは、フランス語で会話することに決めていた。
 常望は、自分が西洋風にしてみせれば、この人たちに気に入られるのではないか、と幼心に直感した。彼は、いつも周りからもっともかわいく見えるように振舞うことを、無意識に身につけていたのであった。彼にとって、それが言葉の本当の意味で、生きるための術であった。
 常望は、挨拶が済んで辞去する際に、良房と公子に、さようならを意味するフランス語で
「オ・ルヴォワール」
と声をかけた。
 良房と公子は、反射的に
「オ・ルヴォワール」
と答えて、常望に手を振った。
 高房と桃子はそれを聞いて目を合わせて頷いた。高房は呟いた。
「これならば、この子とはうまくやって行けそうだ。」
 常望は、家令の林の先導で、自分の住まいとなった離れに帰りながら、京都でイトが自分に繰り返し言い聞かせた言葉がどこからか聞こえてくるような気がした。
「西洋の学問は、なんでも好きなように、身におつけあそばしませ。ただ、お忘れあそばしてはならないことは、このばばが生きているうちは、何度でも繰り返して申しあげますによって、よう肝に銘じとくれやす。お国というもんは、そのために死んだ人のお蔭さんがあってはじめて立ってゆけるもんどす。大砲や汽車はお国を助けますが、それだけでは立ってはゆけへんのどすえ。」
      三
 彼は上京の翌年、関口に新築相成った新居に移り、深草公爵家との同居はそこで終わったが、最も近い親戚同士ということで、毎月二、三回は、深草公爵家を訪ねた。深草公爵家も、邸宅の敷地を官庁の施設に充てることとなり、関口にほど近い音羽に邸宅を移したので、彼は徒歩で気軽に深草公爵家を訪ねることができた。
常望は、幼少から人形を使った遊びを好んだ。彼は、京都から持ってきた童子姿の御所人形と、父がドイツで購入したプロイセンの兵隊人形一式を始めとして、人形の蒐集を増やして行った。母親の梅子にねだれば、相当高価な人形も買い与えてもらうことができた。梅子は、男の子である常望が人形を欲しがることに懸念を抱くほど、家庭内のことに熱心ではなかった。彼は、公子がフランスから持ち帰ったビスクドールを見て、同じ製造元からビスクドールを何体も取り寄せた。梅子が実家の九重家から持ってきた十一段飾りのひな人形も、彼は自分の部屋に運ばせて、一式のなかで気に入りの三人官女の人形は、ひな祭りの季節ではない普段からビスクドールの隣に並べた。また、日本橋の人形店にハナを差し向けて、藤娘や道成寺といった、舞踊を題材にとった人形を誂えさせた。彼は、小学生の頃は、そのようにして集めた二十体ばかりの人形を、棚から降ろして、錦の敷物の上に、京都から持ってきた童子姿の御所人形を上座に据えて、まわりを兵隊人形に固めさせ、上座の御所人形に内外の人形がつぎつぎに謁見しに来る見立ての遊びを、ハナに手伝わせて何度も何度も行った。
良房と公子が来訪したときは、彼は年下の公子に合わせて、人形を動かして遊んだ。
「プリンス・イツカシ閣下、わたくしはイングランドのお城から来た娘でございます。ハウ・ドゥ・ユウ・ドゥ?」
「ハウ・ドゥ・ユウ・ドゥ?ようこそ、長旅ご苦労さまでした。」
「イングランドで若様のお噂を耳にして、ぜひお目にかかりたいと存じて、船に乗ってまいりました。」
「お召しになった船は巡洋艦ですか、駆逐艦ですか?」
「むずかしいことは承知しておりませんが、黒い大きな船でございます。水兵が大勢いっしょでございました。」
 常望と公子は、人形に成り代わってこのようなやりとりを即興で行いながら、遊びを続けるのであった。
良房は、人形遊びには興味がなく、待っている間は常望の蔵書である、洋書の絵本を眺めていた
常望は、学習院中等部に進学すると、ピアノの腕を上げて、家に帰ると毎日二時間はグランドピアノに向かって、モーツァルトのソナタを一つずつ仕上げて行った。
 語学は、京都に住んでいたとき以来のフランス語だけでなく、初等部五年生からは英語を始めた。
 ピアノも語学も、東京に在住する外国人が彼の教師に就いた。教師はいずれも外交官の夫人であった。彼女たちにとって、日本きっての名門の貴公子であるプリンス・イツカシの家庭教師になるということは、名誉なことであった。
 彼は語学の上達も早かった。かえって日本語の標準語の方が習得に時間がかかり、京言葉がその頃も完全には抜けていなかった。関西弁のアクセントは、学校ではよく笑いものにされたが、国語の教師だけは、京都のかつての御所言葉の研究を続けている人で、常望の言葉に専門的な興味を持った。常望は、その教師には、自分の言葉は主におばばさまや女中から習ったものであるうえ、小学校では標準語で教わっていたので、祖父のような御所言葉とは違うと説明した。それでも、その教師は、常望を時々放課後に職員室に呼んでは、彼の語彙や発音を細かく記録した。
常望は、時々音羽の深草公爵邸を訪れて良房や公子と遊ぶほかは、自室で京都から上京した女中のハナに手伝わせながら、独り自室で過ごすことが多かった。中等部も三年ぐらいになると、彼は思春期に入っていたが、異性への興味はまるで起こらなかった。彼は、書物は何でも購入することを梅子から許されており、大人の読む小説を好んで読んだ。
彼は、学校の友人は多くはなかったが、お互いの屋敷や別荘に行き来したり、一緒に遠足に行ったりという付き合いは相応に行った。
中学になってからは、彼はそれまでのふっくらとした体格から、次第に背が高く伸びて手足が長くなった。彼は敏捷な運動神経で、テニスや乗馬を始めとした、社交に必要なスポーツは人並み以上にできるようになった。彼の人形遊びも年齢に応じて変化し、彼は人形一体一体をいろいろな方向からスケッチブックにデッサンしたうえで、人形の来歴や彼の創作した人物設定を記入した「カルテ」と彼の呼ぶ台帳といっしょに、それらのデッサンを保存した。
 厳橿公爵としての彼は、成人ではないために宮内省にある程度配慮してもらいながらも、重要な宮中儀礼に参列した。彼の参列には、梅子か家令の林が付き添った。彼はもはや帽子を席に忘れるようなことはなかった。明治四十年には、相次いで亡くなった貞望とイトの葬儀の喪主を京都まで出向いて勤めた。
 梅子は相変わらず社交に忙しく、赤十字会の活動や、各国外交官との交際や、学習院の同窓の催し物等で、週のうちまるまる邸宅に滞在する日は珍しかった。彼女の父親の九重公爵が貴族院副議長から議長に就任すると、父親の政治向きの仕事を支えるようになり、九重邸での政治家の会合の準備や、父親の内外出張の旅行手配等、九重家の家令に指図する役目を担った。九重公爵の唯一の嫡男は英国に留学中であり、九重公爵の一族で政治向きの仕事を手伝う能力、ことに社交の能力のある者は、梅子に限られたからであった。やがて、梅子は、貴族院の中の政治会派であった二月会の幹事である吉池子爵と父親との連絡役となった。吉池子爵は、元下級公家の出身で、梅子と同じ明治十年生まれであり、夫人が関西の某財閥の出身で、資金力を背景に頭角を表しつつあった。梅子は、歌会や茶会を口実にして、吉池邸に頻繁に出入りした。
 梅子は、朝食の時には、常望と同席して、常望の学校の様子や、ピアノや語学の上達具合を尋ねた。常望が求められた説明をして、梅子は、そこに特に変わった様子がないかを確かめるという形の会話であり、常望の話す、たとえば学校で友達に京言葉をからかわれたとか、深草公爵家では良房付きの女中が常望の菓子を取り上げて前掛けの隠しに入れてしまうとかいった細かい日常については、梅子は興味を抱かなかった。常望は、
「おばばさまならば、この話を聞けば、きっとお怒りになられただろうに」
と思うこともあったが、諦めるべきことは諦めざるを得ない、ということをよく心得ているのであった。
 梅子は、義望との結婚生活は、形だけのものであったとはいえ、義望が薨去した後の時間を持て余さないよう、社交に打ち込むようになって、やがて父親の政治向きの仕事を手伝うようになったのであった。
 梅子は、貴族院に現われた、華族にとって政界での希望の星ともいえる吉池子爵を、将来の首相に仕上げるという夢を抱いた。貴族院は、旧公家と旧大名と維新の勲功貴族と高額所得者から成る、日本の閨閥の代表であったが、政治的なまとまりがないため、意見が細かく割れがちで、結局衆議院の議決を追認するだけのことが多かった。九重公爵と梅子の夢は、いずれ吉池子爵を衆議院に鞍替えさせて、華族の意見を代表する政治家に仕立て上げることであり、そのために、まずは機会を見て、彼を衆議院選挙に出すことが必要であった。
 吉池は、英国のオックスフォード大学を卒業していて、同級生には英国の政界に入った者もあり、ロンドンの大使館で臨時雇いとして外交を手伝った経験もあった。関西財閥の当主が欧米の視察旅行の途中でロンドンに立ち寄り、自分の娘の婿の候補として吉池に目を付けたのであった。政治の世界では、鉄道や馬車や人力車といった足代や、会食のための交際費や、秘書を雇う費用がばかにならないのであったが、吉池は乗り物も会食も秘書も夫人の実家持ちであり、そのうえ他の政治家の急な出費を気軽に立て替えることができた。吉池の政治活動における経済的な機動性は、旧摂家で資産家であった九重公爵家よりも上であった。
 吉池の書生に、山本という男がいた。
 彼は、島根県の出雲から、つてを頼って上京して、吉池の家に住み込みながら、法律学校に通っていた。
 彼は六尺を超える長身で、浅黒い肌に、しじみのような黒い目が光るのが目立っていた。彼は、吉池の供として新橋や柳橋の料亭の玄関で主人を待つことがあったが、お茶を挽いている芸者衆は、彼のことを放っておかないで、彼に色目を送ったり、話しかけたりした。彼は、普段から無口で、芸者衆に反応することなく、玄関の上がり框に腰を掛けて法律書を読みながら主人の出て来るのを待っていたが、その武骨さには、かえって花柳界の女性を惹きつけるものがあった。
 吉池の書斎に通る客は、書生が茶の給仕をすることになっていた。梅子が吉池を訪ねると、いつも山本が長身に丸盆を持って、白磁の茶碗の載った茶托を梅子の前のテーブルに差し出した。
 山本の武骨な黒い指が、器用に茶托を持ち上げて、中の茶の水面を揺らさないように静かに卓上に置いた。
梅子は、吉池の書斎で山本に茶を出してもらうのは初めてではなかったが、その日は図らずも、山本の武骨な指を見ながら、彼の指が自分の指に触れる感触を想像した。
 九重公爵の名代としての梅子は、山本に給仕の礼に会釈をする必要はなく、まして「ありがとう」といった言葉を掛ける必要もなかった。梅子は、たとえ自分が声を掛けても、この男は自分の立場を心得ていて、自分と目を合わせることはないだろうと思った。
五分刈りに黒い詰襟服の山本は、長身に似合わない小さな朱塗りの丸盆を両手で体の前に下げて一礼をすると、書斎の扉を開けると、まるで蜥蜴のように気配を立てずにするりと外へ出て行った。そして入れ違いに吉池が書斎に入ってきた。
吉池は、頭の回転が速いだけでなく、人の気持ちや場の空気を敏感に読み取る能力にも長けていた。
梅子は、ややうつむきながら、白磁の茶碗を手に取っていたが、その頬にやや紅潮が見られるのを、吉池は見逃さなかった。吉池の勘では、梅子は山本に何かしらの興味を持ったことは間違いなかった。このことは、政治家吉池にとっては、事実であるならば、重要な情報であった。それと同時に、吉池は、梅子が山本に心を動かしたと、にわかに断定することに躊躇を覚え、二人が同じ場に居合わす機会を確認したうえで判断を下そうと考えた。その判断とは、梅子と山本が男女の関係になるよう積極的に工作するという判断であり、それはもちろん、吉池が政治的な切り札の一つを握る可能性を期待してのこと、すなわち自分が九重公爵の操り人形となっている現状を転換して、九重公爵を自分の操り人形にする可能性を考えてのことであった。
吉池は、梅子の本日の来訪の表向きの要件である、厳橿公爵邸で来月開催予定の牡丹鑑賞の園遊会への招待を快諾し、次いで本当の要件である、本年度予算案に関連した二月会の態度について、九重公爵への言付けを伝えた。
「日英同盟の趣旨から、このたびの駆逐艦建造の英国への発注につき、二月会を賛成でまとめること、了解いたしますとお伝えください。」
 吉池は、ふと妙案を思いついた。彼はあたかも些細な事を思い出したかのように言った。
「ああ、もう少しで申しあげそびれるところでした。来月末の牡丹鑑賞の園遊会には、吉池としても彩を添えたいので、先般家内の実家がフランスから取り寄せた、ロダンの彫刻を後日お屋敷にお届けいたします。ロダンの弟子による複製で、金属製ですから、お庭の雨風がかかるところに置いていただいても、問題はございません。そうだ、現物を今持って来させますから、しばしお待ちいただけませんでしょうか。」
 吉池は、そう言って、書斎から出て行った。
 少し時間が経過してから、再び書斎の扉が開いて、山本が高さ二尺ほどの小ぶりなブロンズの彫刻を運んで来た。
 そのブロンズ像は、裸体の男女が岩の上に並んで座り、女が男の膝に自分の膝をもたげ、男は女の顔を上から接吻しているという構図のものであった。
 山本は、一旦彫刻を廊下の床に置いて、書斎の扉を開くと、もう一度彫刻を持ち上げて、並んだ男女それぞれの膝より少し低い位置に両手をかけて、書斎のテーブルに運んだ。
 書斎の扉はそのまま開かれたままであり、吉池は梅子に気付かれないように、長い廊下の曲がり角に身を潜めながら、室内をうかがった。
 山本は、吉池から、客人がこの彫刻を見たときの反応を確認したいから、書斎の扉は空けておくように、それから客人の質問には、「はい」「いいえ」だけでなくて、努めて受け答えするように、あらかじめ指示を受けていたのであった。
 山本が彫刻をテーブルの上に据えると、梅子は山本に声を掛けた。
「ご苦労様。重かったでしょう。」
 山本は、テーブルの前に起立して返答した。
「いえ、だいじょうぶです。」
「わたくしはヨーロッパで暮らしたから、むこうの彫刻でこういうのを見慣れているけれど、日本ではまだちょっと憚られるわね。」
「はあ、・・・運ぶのは正直気恥しいです。」
「おや、やっぱり、そう?」
 梅子は声を立てて笑った。
「自然を丸出しにするのが、今の芸術の流行よ。日本だって、文芸でも、演劇でも、自分の普段を陳列するようなのがもてはやされるのよ。あなた、芸術の方面は興味はないの?芝居とか、見たりします?」
「はい、滅多に参りませんが、お休みをいただくと、下町の芝居小屋に参ります。自分は、芝居を見るのならば、きれいなものが見たいです。人が隠しておきたいようなことは、見たいとはおもいません。」
「あなた、若いのに、芝居小屋の芝居は作り事で嘘くさいとか、思わないのね。」
「たまの休みに小遣いを出して見るのですから、いい夢を見たいです。」
「小説は読んだりするの?」
「自分は、文章を書くのが好きなので、物語の真似事のようなものを書いています。」
「あら、意外ね。見たところ、昔の剣術使いみたいなのに、文章を書くのが好きだなんて。どんなものを書いているのか、読みたいわ。」
「とても人様にお見せできるようなものではありません。きれいな人が、きれいに振舞うだけの、つまらないものです。」
「それでいいから、今度会ったときには、書いたものを見せてよ。」
 そこに、吉池が顔を出した。
「山本、この彫刻は、おまえが厳橿公爵邸にお持ちするんだ。その時に、おまえの書いたものも持参して、ご覧に供するように。」
 山本は黙って吉池に頷いた。そして、彼は梅子に一礼して、書斎から出て行った。
 吉池が言った。
「梅子様、彫刻は明日夕方にお持ちいたしますが、ご在宅でしょうか?」
「午後四時には帰館しているはずです。」
「では、その頃に山本をうかがわせます。」
「山本さんには、品物は女中に預けないでわたくしを呼び出すように、言いつけておいてください。」
「御意うけたまわりました。」
 吉池は、自分の予想した展開になりそうな予感がして、自分の勘のよさに慢心を覚えた。
常望は、四月中旬のある日の早朝、八分咲きとなったしだれ桜を見るために、ハナを伴って庭に出た。彼は、その途中で、梅子の寝室の外の軒下に、銅製の人形のようなものが置かれているのに気が付いた。
「ハナ、あれは何か、知っているか?」
「昨日吉池様のお使いの方が重そうに運んで来られました。今度の園遊会で、お客様にお目に掛ける品やそうでございます。林がそう申しておりました。」
 常望は、その人形のようなものをよく見ようと、軒先に近づいた。黒みを帯びた青色の金属は、男女が接吻を交わしている姿のものであることがわかった。
「これ、着物を着せなあかんな。」
 常望がそう言いかけたところで、梅子の寝室の部屋のカーテンが、さっと引かれた。貞望は、カーテンが閉まる前の一瞬、ガラス越しに、梅子のほかにもう一人、長身の人物の姿があったのに気が付いた。
「こんな朝からお客人が来はったのやな。」
常望がそう言ってハナを振り返ると、ハナの顔色は蒼白であった。四十過ぎの寡婦であったハナは、その光景の意味を悟るだけの分別があった。彼女は、常望に向かって、急に取り繕うように言った。
「しだれ桜、まことにうるわしゅうございました。梧桐の君様は、そろそろ制服にお着替え遊ばして、朝のお食事のお支度のほど願いあげます。」
 吉池子爵の書生の山本は、三月の末に彫刻を梅子に届けてから以降も主人の使いとして、しばしば尋ねて来るようになり、間もなく梅子と親しい関係になっていたのであった。山本は、用向きが済むと、門を出て屋敷を半周し、裏口から庭園に入って、梅子の寝室のガラスの引き戸を合鍵で開けて、中に入った。梅子と山本との関係は、厳橿公爵家に仕える主だった人々の知るところであったが、みな何も知らないように振舞った。しだれ桜のうるわしいこの朝に機転を利かせたハナも、間もなくその事実の詳細を知り、そうした人々の一人に加わった。
 常望は知的には早熟であり、梅子が吉池の使いと恋愛関係にあるということは、しだれ桜のうるわしい朝に独りで気が付いた。彼は、百人一首でよく男女が言い交わしているようなことであろうと漠然と理解した。そして、それはみだりに他人に言うようなことではないということも、書物からの知識で了解していた。しかし、彼には、恋愛とはどういうものなのか、実感がなかった。彼にとって、恋愛とは、茶会や舞踊の鑑賞会と同列の何かの行事としか理解できなかった。
 四月の下旬、牡丹鑑賞の園遊会が華やかに行われた。園遊会は午後二時から開始され、深草高房公爵を主賓として、九重公爵や貴族院の主だった議員やその夫人をはじめ、五十人ばかりの紳士淑女が出席した。
 上野の音楽学校の教師が演奏する絃楽四重奏の流れるなか、常望は梅子の先導で、来賓のひとりひとりに挨拶をして回った。常望はこのような当主としての役割の経験を十分積んでいて、挨拶には慣れていた。しかし、彼は、先導役の林の振り付けに従って、相手の身分に応じたお辞儀や会釈をするだけであり、来賓と会話することはなかった。
 牡丹園はさして広くはなかったが、百株ほどが薄赤や紫の花弁に黄色い蕊を見せて、いずれも見ごろであった。牡丹園の奥の突き当りに、例のロダンの彫刻がさりげなく置かれた。彫刻の前で、ある紳士は葉巻を手にしながら欧州の芸術の風潮を論じ、ある淑女は赤面して早々に踵を返した。
 常望は、一通りの挨拶が終わると、ハナを伴って自室に戻った。談笑に忙しい大人たちの誰も、当主が席を外したことには気が付かなかった。彼は、良房や公子も園遊会に招かれていたならば、ここで一緒に遊べただろうに、と残念に思った。彼は京都本邸での花相撲を思い出して、ハナに持って来させた紐を円形に置いて土俵とし、人形たちを一対ずつ土俵に上げて、相撲をとる見立てを行って、そのデッサンをした。彼は、何気なくプロイセンの兵隊とビスクドールを手に取り上げて取り組みをさせようとして、はっと気付いてプロイセンの兵隊を列に戻すと、ビスクドールをもう一体取り上げた。常望は独り言を呟いた。
「男女七歳にして席を同じうせず。」
 そして彼は、ハナの顔を見て付け加えた。
「ただしハナと公子ちゃんとはこの限りにあらず。」
 彼がデッサンを一枚仕上げるのには十五分程度かかった。取り組み三番ほどのデッサンを終えたところで、園遊会が散会する時間になり、彼は花相撲をそこでおしまいにした。
      四
 梅子は、牡丹鑑賞の園遊会が無事終わってほどなくして、軽井沢に別荘を購入した。そして、七月になると、ほかの上流階級の人々と同様に、軽井沢に本拠を移し、用事のあるたびに東京に出て来るという生活に入った。常望は、学校が夏休みに入ると、梅子の言いつけ通り、九重公爵家の逗子の別荘で海水浴をして過ごしていた。
 八月に入って、逗子の別荘に滞在する常望に、梅子から、軽井沢に来るように連絡があった。深草公爵の一家が軽井沢に行くことになったので、一家と同行するようにとのことであった。
 常望は女中のハナを伴って東京に戻り、上野駅の貴賓室で深草公爵一家と合流した。そして一同は急行の一等車に乗って、軽井沢に向かった。一等車は深草公爵一行のために一両貸切であった。
車中では、常望は良房と公子とトランプで遊んだ。高房は横浜に船便で一か月以上遅れて届くフランスの新聞を読み、夫人の桃子は洋装の写真の掲載されたやはり舶来の雑誌を読んだ。ハナは二等車両に乗っていて、時々常望の世話をするために一等車両に来たが、一同のなかで彼女一人が和装であった。
昼時になると、深草公爵家の女中がサンドイッチの入った籠を一等車に運んだ。
 桃子が高房に言った。
「パンは、うちが音羽に引っ越してから、いいものが簡単に手に入るようになったわね。関口の天主教の教会で、外国人向けに焼いているのが、日本で今手に入るパンでは、いちばんあちらの本物に近いわ。」
「うん、九重さんも、教会から時々取り寄せているっておっしゃっていたな。うちは歩いてすぐで、毎日女中に買いに行かせることができるから、九重さんよりも条件がいい、と言ったら、羨ましがっておられたよ。常望さんの屋敷は教会から近いから、やはりこのパンを取り寄せているんだろう?」
 常望が答えた。
「母がうちに居りますときは、いつも朝はパンですが、うちの者がどこから買ってきているのかは、自分は存じません。」
「そうか、梅子さんも毎朝パンか。うちと同じだな。」
 桃子は、高房の口から梅子の名前が出たので、高房の顔にちらっと冷たい目を向けたが、すぐに元の調子に戻って、高房に言った。
「軽井沢には、外国人向けのパン屋が開業したそうよ。麹町の方のパン屋の出店らしいわ。」
 高房は、桃子の冷たい目に気が付かないふりをして答えた。
「うちは洋食が多いから、パン屋があるのは都合がいいな。」
「ホテルでパンの用意はありますから、町場で買うことはたぶんないわ。」
 一同の乗る急行が碓氷峠を越えて軽井沢駅につくと、深草公爵の一家は馬車で三笠ホテルに入り、常望とハナは出迎えの人力車で厳橿家の別荘に向かった。
 常望を載せた人力車は、唐松林の中を抜けて、兵舎のような簡素な平屋の洋館の前で止まった。
 梅子に従って先に別荘に入っていた家令の林は、いつもの通り、影のようにぴったりと常望に付き添って、応接間へと先導した。
 梅子は先に応接間に来ていて、ソファーに座っていた。
 梅子の後ろの壁際には、背もたれのない木製の椅子があって、そこには長身で色黒の若い男が座っていた。
「梧桐さん、よく来られました。道中はいかがでした?」
「はい、高房公爵のご一族と参りましたので、楽しく道中を過ごしました。」
 常望は、母親の梅子との会話では、いつもこのように、形の上では非のつけどころのない受け答えをすらすらと行うのであった。
「こちらは、吉池子爵の書生の山本さん。わたしが軽井沢にいるものだから、吉池子爵との連絡はいつも山本さんがなさるのです。梧桐さんがお着きになる少し前に到着されました。あす夕方には東京に戻られます。そうだ、明日、雲場池へ行って、山本さんにボートを漕いでもらうといいわ。」
 梅子はそう言うと、後ろを振り向いて、山本に言った。
「ねえ、よろしいでしょ?」
 常望は、梅子の声の調子が、普段聞いたことのない、なまめかしさを帯びているのに気が付いた。しかし、彼は、梅子がたとえ山本とどうあろうとも、自分の立ち入るべきところではないと心得ていた。
 常望は、山本とハナを伴って、翌日の朝九時に別荘を出て、雲場池に向かった。
 小高い山を背にした雲場池は、朝のうちのひんやりした空気がこの時間になっても残っていた。
 雲場池には、あらかじめ三笠ホテルに準備させておいたボートが彼らを待っていた。
 ハナは、舟は苦手だからと言って同乗を辞退して、池の端で待つことになり、常望と山本の二人がボートに乗った。
 山本がボートを漕いで、岸から池の中ほどに漕ぎ出した。
「若様、ボートは初めてですか?」
「いえ、お友達の屋敷の池で乗ったことがあります。」
「ああ、お屋敷に大きな池があるんですね。お友達は大勢おられるのですか?」
「同級生ということであれば、親しくしている者が十人ほどいます。」
 それから山本はしばらく黙ってボートを漕いで、池の中ほどで手を止めた。
「若様は、どんな本を読まれるのですか?」
「まあ、人並みです。洋書も多少は読みます。」
「最近読まれた本で、気に入られたものはありますか?」
「それぞれに教えられるところがあります。」
 常望は、答えを優雅にはぐらかすと、今度は山本に尋ねた。
「今は、実際に作家の生活であったことを赤裸々に描くのがはやりですね。山本さんはどう思われますか?」
「はやりの自然主義のものは、自分は読んで楽しめることが少ないので、あまり読みません。芝居がかっていても、尾崎紅葉や泉鏡花が好きです。」
 早熟な常望は、自然主義の作品も、紅葉や鏡花の作品も、すでにいくつか読んでいた。
「山本さんは文章を書かれると聞きました。当家のありさまなど、小説に書きたくなりませんか?」 
「さしさわりがございますから、そのようなものを書くつもりはありません。」
「でも、興味があるでしょう。普通の家とはよほど変わっているから。ここは幸い周りの者がいませんから、お聞きになりたいことをお尋ねください。」
山本は、しばし言葉に窮したが、考えをめぐらせて、ようやくつぎのような質問を返した。
「それではうかがいます。公爵家であられますから、下々のようにはまいらないことは承知していますが、若様はお母様とお過ごしになる時間はあまり多くはないとお見受けします。お寂しいということはないのですか?」
「寂しいとはどういうことか、自分は研究したことがないので、わかりません。わたしの傍には、林もハナも、そのほか女中もついています。独りでいるということがありません。」
 常望は一旦言葉を切って、山本の表情を確認した。彼は、山本が自分の回答に満足していないことを表情から読み取ると、つぎのように続けた。
「あなたは、今の回答は、もっともらしいけれど、本当ではないと思っているんでしょう。それでは、自分からもお尋ねします。山本さんは、母のことをどう思われているのでしょうか?」
 山本はその質問にぎくりとして、言葉を選びながら、ぎこちなく答えた。
「梅子様は・・・政治向きのことをよく理解された、賢いお方と存じております。」
「ほら、あなただって、聞かれれば、もっともらしく答えるじゃないですか。」
 山本は、声変りしたばかりのこの少年の言葉に意表をつかれた。
「もっともらしいとおっしゃるのは、どうしてでしょう?」
「あなたは、どうして母のところに来るのですか?吉池さんのお使いだってことは、表向きの理由なんでしょう?自分は知っています。」
「知っているとおっしゃいますと?」
 常望はその質問を微笑みで優雅にはぐらかした。
「それで山本さんは楽しいですか?」
「・・・・」
「自分にわからないのは、そんなことが母やあなたが楽しいと思ってなさっているのかどうかです。そういう関係のことは、本で読んで知っていますが、それで幸せになった人の話はありません。どうしてそんなことをするのでしょう?あなたの雇い主のための間諜の仕事だからですか?」
 山本はどう答えてよいものか、しばらく沈黙して考えていたが、やがて常望の目をしっかりと見ながら言った。
「若様、信じてくださるかどうかはわかりませんが、自分は梅子様とご一緒していると、楽しいのです。吉池の言い付けで参上しているのは事実ですが、それだけが理由ではありません。自分の知らない、雲の上の方々のお話や、西洋のお話をお聞きするのは、楽しいです。自分とお話される時の梅子様が、とてもうれしそうにされるのを見るのが好きです。少なくとも、寂しくありません。」
 常望は、その言葉を聞いて、ボートの外の水面の遠くに目を遣って言った。
「山本さん、自分のことで、母から聞かれていることはありませんか?」
「梅子様からは、お小さいときには京都のおじい様のもとでお育ちになったことや、小学校に上がられてから初めて梅子様とご一緒に暮らされることになったことは、伺っています。」
「それだけですか?何か変わった子供だというような話は聞いていないですか?」
「いえ・・・ただ・・・」
「ただ?」
 山本の性格には、大人になりきっていないような正直なところがあって、差し障りがありそうな答えをはぐらかすことはできないのであった。
「ただ・・・男の子さんなのに、人形遊びを好まれるのが不思議だ、といったお話は伺いました。たくさんの人形を集めておられると伺いました。」
「やはり、聞いていたのですね。自分はちっとも恥ずかしいとは思っていません。人様にあえて言うようなことでもありませんが。
先ほどの、寂しくないかというお尋ねですが、自分には、人形たちがたくさんいて、彼らが友達です。彼らは、なんでも自分の言うことを聞きます。勝手にいなくなったりしません。だから、寂しくありません。」
 山本は、その言葉を聞いて、常望の寂しさが、自分の寂しさとは桁の違う深刻なものであることを直感した。
「山本さん、一つだけ、この家の秘密を教えましょう。それは、本当のことを隠さないと、この家では生きてゆけない、ということです。本当のことは、他人だけでなく、自分にも隠すのです。そうでないと、お家に関わり、お国に関わることになります。京都では年寄りからこのことをしっかりと教わってまいりました。」
 山本は、常望の話を聞きながら、この坊やは生まれた時から子供であることを許されないで大きくなったのだ、と思った。大人のように何もかも承知しながら、御所人形のように何も言わないでかわいらしく座っている、そのようなことは、千年以上の家累代の伝統があって初めて可能な芸当にちがいない、と思った。そう思いながら同時に、彼は背筋に冷たいものを感じていた。彼は、それは池の水面を渡って来た涼風のせいではなくて、常望の、人間離れしたといえるほどの深刻な寂しさのせいだと気が付いた。
「山本さん、ボートを岸に返してください。別荘に戻ったら、あなたの書いたものを見たい。」
 山本は、ボートを岸に向けて漕ぎながら、生まれた時から寂しさを独り抱えて生きざるを得ない運命にあるこの貴公子が、自分の書いたものを読んで、何を言うか、興味が起こるのを覚えた。
 山本は、別荘に戻ると、風呂敷包みからノートを取り出して、常望の部屋に持参した。
 常望は、事務所にあるような簡素な執務机に就いていて、机の前の、木製で背もたれのない椅子を山本に勧めた。
 常望の部屋の奥にはベッドがあって、その上にはビスクドールが二体横たわっていた。
「山本さん、自分はこういう人形を集めているのです。この子はサラと言って、スコットランド生まれでパリ育ちです。こっちの子はキャシーと言って、ロンドンの下町の出身です。もっとも、そんな生い立ちは、元々は自分が勝手に作った話ですが、今はすっかりそういう子になっていて、もう作り事とは思えません。このように横になっていると、どちらも目をつぶっていますが、」
 常望はサラと呼んでいる人形にそっと手を添えて、静かに上体を起こした。
「こうやって起きると、目が開きます。姿勢の取り方や、光の当たり方で、いろんな表情になるのを、このスケッチブックに写すのです。秋にはドイツから小型の写真機が届く予定で、今度はそちらも試してみるつもりです。屋内では光が足りないので、いろいろ工夫しなくてはと思っています。」
 山本は、常望の差し出すスケッチブックを開けてみた。
 どのページにも、まだ稚拙さが見られるもののしっかりとした筆致で、大まかな輪郭をうまくとらえた人形の姿がスケッチされていた。ある人形は腰を掛けて両足をぶらんと投げ出していた。ある人形はほかの人形の肩に頭をもたげていた。兵隊の人形同士が格闘しているような図柄もあった。どの絵も、目が活き活きとしていて、これは人形を描いた絵と言われなければ、日本や西洋の子供をモデルにした絵としか思えないものであった。
 山本が絵の一つ一つを丹念に眺めていると、やがて常望が声を掛けた。
「それで、あなたが書いたものは、持ってきましたか?」
 山本は、常望にノートを差し出した。常望は、山本の前で、そのノートを黙読し始めた。
「朝顔も萎れし夕方の路地の、奥から近づく駒下駄の音。清々と洗ひ上げたる白足袋に緋色の鹿の子の鼻緒の駒下駄の主は、本郷弓町なる中里病院の令夫人で、珠子と申し上げる。当年二十五歳、日露激戦の二百三高地に因み額高く結い上げたる髷に鼈甲の簪、江戸紫の涼やかなる紗の単衣の裾を翻しつつ、パラソルを小脇に抱え、今や電車道に華奢の歩みを進めて停車場に向かはむとするところである。」
 このように始まる山本の小説は、大病院の入り婿である中里博士が、柳橋の芸妓を愛人にして密かに神田和泉町の長屋に囲っていて、夫人の珠子は若い医学士の山岡の助けを借りてその事実を突き止めるが、珠子も山岡の親身なやさしさに魅了されて、一線を踏み外さないように日々苦悶する、という筋立てのもので、未完成であった。
 常望はノートを二十分ほどかけて走り読みすると、山本に言った。
「芝居としては、とてつもない悪漢が出てきて、中里病院を脅すとか、観客の驚くようなものを入れた方がいいでしょう。きれいな人がきれいに振舞うだけで終始しては、おもしろくありません。」
「ご指摘痛み入ります。自分でもそのように思案していたところです。」
 常望は、山本のことを、自分の周りの大人とは毛色が違って、自分の話し相手になれる人物だと思った。彼はつぎのように山本に言った。
「これからも、母を訪ねたときは、自分のところにも顔を出してください。またあなたの書いたものを見てみたい。」
「承りました。時間のようですので、本日はこれで御前を失礼いたします。」
 常望は、自分の前から辞去する人にいつもしているように、無言で頷いた。
 山本は、常望の部屋から下がって、自分にあてがわれた客間に戻ったが、今度は梅子に呼び出されて、梅子の部屋に向かった。
 山本が梅子の部屋に入ると、いつものように舶来の香水の香りが彼を出迎えた。
 梅子は言った。
「常望に会ったんでしょう。変わった子よね。人形遊びに付き合わされたんじゃない?」
「いえ、文芸にご興味をお持ちで、自分の書いたものを見たいとおおせになりましたので、ご覧に入れました。」
「ああ、あの小説ね。夫婦がお互いに相手に隠れて愛人を作っている話ね。教育には良くはないけどね。」
 梅子は、そう言いつつも、息子の教育に良いか悪いかはどうでもよいらしく、ふふっと笑った。
「あなた、今から東京に帰って、吉池さんにここで見聞きしたことを報告するのよね。それならば、吉池さんに伝えてほしいことがあるわ。」
 梅子は、再びふふっと笑った。
「山本さんとわたくしとの間には、吉池さんが想像するようないかがわしいことは、何もありません、そう伝えてほしいわ。」
 梅子は続けた。
「だって、あなたとわたくしとは、納得づくで、好き嫌い抜きで、ただ遊んでいるだけですもの。醜聞になるとすれば、それは吉池さんから漏れたということになるわ。それは吉池さんの信用に関わるでしょう。だって、吉池さんがけしかけたということも、明るみに出るんですもの。」
 山本が遠慮がちに言った。
「自分には遊びということがよくわかりません。ただ梅子様のことをお美しいと存じているだけであります。」
 その言葉を聞いて、梅子は口調を強めて言った。
「山本さん、これは遊びということにしないと、お互いつらいのよ。わたくしも、つらくなりかけています。だから、あなたもそんなことをおっしゃらないで。」
 梅子はソファーから立ち上がると、テーブルの向かいに座っている山本の膝に腰を掛けた。そして、彼女は両方の掌で山本の後頭部を包むようにして、自分の頬を山本の頬にこすりつけながら、ささやいた。
「ほら、わたくし、つらくなってしまったわ。ねえ、あなた、どうするの?どうするのよ?」
 山本は、痩せて骨ばった両腕で梅子の肩を支えながら言った。
「自分には、わかりません。自分も、つらくて仕方がありません。」
「東京に帰るの、明日にできない?」
 山本は、努めて冷静を保ちながら答えた。
「御意のとおりにいたしたいところですが、たぶん、明日が明後日と逗留が伸びてしまって、きりがなくなります。また数日後にはこちらにうかがうことになっていますから、今日のところは帰京いたします。」
「そうね。ここは遊びに徹しなきゃいけないわね。あなたも、もっと大人になって、つらくなるようなことは、もう言わないでね。」
 梅子は山本の額に軽く接吻してから、化粧の移った山本の頬をレースのハンカチで丁寧に拭うと、彼の膝を離れた。
 その翌日、常望は、三笠ホテルに滞在している良房と公子と共に、離山までハイキングに出かけた。常望は自転車での遠乗りもよいのではと一旦は思ったが、付き添うはずの女中のハナが自転車に乗れないことに気付いて早々に諦め、徒歩のハイキングとなった。
 一同は三笠ホテルに集合し、常望と良房と公子のほかに、深草公爵家の使用人の男性二名、女中三名、厳橿公爵家からは女中ハナ一名が付き添い、別に現地で雇った駕籠が三丁付き添った。
 ところが、離山の東の入り口に着く頃には、公子や女中たちは慣れない外歩きで相当に疲労していた。一同の中で、駕籠かき以外には、和装で来ているのはハナだけで、ハナは草鞋を履いて、常望の弁当を担いで参加していたが、もうすでに鼻緒から血が滲んでいて、とても山頂まで歩ける状態ではなかった。
 良房は、山頂までハイキングを続行することを希望した。彼は、使用人二名と、山頂に向かうことになった。
 常望は良房に同行を誘われたが、ハナが麓で自分のことを心配して待っているであろうことを考えて、同行を断り、公子と女中たちと一緒に、麓でしばらく時間を過ごすこととした。
 良房は言った。
「常望君がついて来ないのは残念だな。」
 常望は、自分より年下であるが身分は上である良房に敬語で答えた。
「良房さん、自分は遠慮いたします。またいずれ、山頂の様子など、お聞かせいただければ、うれしゅうございます。自分は麓で公子様をお守りいたします。お戻りになるまで、麓でお待ち申し上げます。」
 使用人の一人が良房に言上した。
「山頂までの往復には時間がかかりますので、麓に残った方々は、先に帰っていただいた方がよろしいかと存じますが、いかがいたしましょうか?」
 良房が答えた。
「そうか。それならば、先に帰ってよいぞ。」
 常望は、良房や自分の栄養の状態が、使用人や女中とは異なることをよく知っていた。良房は、たぶん強行軍の早足でずんずん進んでいって、使用人達は、はぐれないでついて行くのがやっとになるであろうと予想した。良房は、普段から、自分に仕える人々の都合には何も気が付かないのであった。常望は、使用人の機転に内心感謝した。
 良房達を見送った一同は、立木がまばらで比較的開けた場所を見つけて、そこで休憩した。
 常望は公子と周辺を散策した。彼らには公子付の女中が付き添った。
 常望が公子に尋ねた。
「公子さんはこういうお外を歩くのはお好きですか?」
「うちのお庭とちがって、本物の野山は広くて、知らないものばかり。」
 公子は、透き通るような白い面長の顔に端正に開いた、ビスクドールのような大きくて丸い目で常望を見上げると、尋ねた。
「常望さんは、お馬はこちらでは乗るの?」
「馬はこちらで借りられれば試してみたいです。」
 常望は、東京の自宅の厩舎に黒磯号という馬を飼っていて、毎朝乗馬の稽古をしているのであった。
「黒磯号はどうしているのかしら?」
「厩舎の職員が世話をしたり運動をさせたりしているから、大丈夫です。」
「お人形は、持ってきたの?」
「サラとキャシーを連れて来ました。別荘の自分の部屋にいます。」
「トレビアン、ジェーム・レ・プーペ・ボークー!」
 公子はフランス語で、それはよかった、私はそのお人形達がとっても好き、と言った。
 常望は、道端に、花弁の小さな赤い百合の花を見つけた。
「百合は花粉が洋服に着くと、とれにくいからね。」
「小さくてかわいらしいけれど、花粉があるから、髪飾りにはできないわね。」
 常望は、百合を摘んで公子にあげるのを諦め、歩きながら花を探して、撫子と薊を両方の掌一杯に摘んで、公子に差し出した。
「公子さん、このぐらいあればいいかな?」
「ありがとう。」
 公子は常望の積んだ花の中から、淡い朱色の撫子の花を選んだ。そして、三つ編みにした自分の髪の額に近い位置にその茎を挿した。そのほかの花は、公子付の女中が常望から受け取って、エプロンの大きな胸ポケットに入れた。
「ほかの花は母へのお土産にするわ。常望さん、サラやキャシーへのお土産はいいの?」
「公子さんと同じ、撫子を持って帰ってやろう。」
「ほら、あそこに咲いているわ。」
 常望は、公子の指さした撫子の一叢から、花を四、五輪摘んで、これは自分の背嚢に入れた。
「常望さんのお母様には摘んで差し上げなくていいの?」
「ああ、そんなことをしてもお喜びにはならないからね。いいんだ。今日はイギリス人と、鳥を撃ちに行くとおっしゃっていました。」
「まあ、かわいそうなことを。」
「まったくかわいそうです。おじい様が殺生はお嫌いだったから、自分も嫌いです。撃った鳥はお食事に上がるのですが、自分はどうも食が進みません。それに、母は鳥を撃つピストルの稽古を別荘の裏庭でされるのですが、その音が馴染めません。自分はこうして鳥の囀りを聴いている方がいいです。」
「兄は自分も早く鳥撃ちに行きたいと言っていました。父も母も、年に何回か、鳥を撃ちに行きます。私は撃った鳥はどんなに羽がきれいでも、見るのはいやです。」
「あしたかあさって、厳橿の別荘にお出ましになれませんか?」
 公子は後ろに付いている女中の方を振り返って言った。
「常望さんの別荘に行けるようにならないかしら?」
 女中は慇懃に答えた。
「ご予定につきましては、母君様にご相談遊ばされますよう、願い上げます。」
 離山の麓に留まった一行は、ホテルが山歩きに都合のよいように気をきかせて作った握り飯の昼食を済ませ、引き揚げることになった。
 連れて来た駕籠三丁のうち、一丁には公子が乗った。
 常望は駕籠を進められたが、自分で歩くと言った。常望はハナが足を痛めていることに気が付いて、言った。
「ハナは駕籠に乗ったらどうか。」
 ハナは、
「滅相もないことでございます。ご主人がおひろいで、女中が駕籠に乗って帰ったならば、お屋敷でお叱りを受けます。」
と言って固辞した。
 常望は、咄嗟に足元の山百合を何本かちぎって、ハナに渡した。
「それでは、この山百合を、花粉のこぼれないように持ち帰りたいので、ハナはこれを持って駕籠に乗るように。それならば、言い訳が立つだろう。」
 ハナは、山百合を顔の高さに持って言った。
「ほんに駕籠に乗らせていただきますのは、若い時分に嫁いだ時に乗らせていただいてから何十年かぶりで、まことに畏れ多いことにございます。」
 そして彼女は駕籠の中に身を縮めて入り、山百合をやはり顔の高さに持った。
 それから四日ほど経って、山本がまた東京から軽井沢にやって来た。
 山本は、別荘に到着した翌日の午後、常望に呼ばれて、常望の部屋を訪ねた。
「山本さん、今日はこの間の小説の続きを見せていただけますよね?」
「はい、あれから幾日も経っていませんので、まだ完成ではありませんが、話は多少展開してまいりました。」
 常望は、山本の差し出した原稿を読み始めた。
 大病院の院長である中里博士の妻の珠子は、山岡と逢瀬を重ねた。ある日珠子は中里博士との夕食の席で気分が悪くなり、中里博士が診察を行った結果、妊娠していることがわかった。中里博士は、珠子と山岡との関係を知っていたが、自分も外に愛人を作っている引け目もあって、腹の子供が自分の子か定かではないにもかかわらず、自分の子として育てる決意をする。やがて男児が生まれ、中里博士夫妻の長男として育てられる。山岡はフランスに三年間留学する。留学を終えて帰国した山岡は、中里病院を挨拶のために訪ねる。中里博士は外出からの戻りが遅れ、応接間には珠子と男児とが現われて山岡の応対をする。珠子は世間的な挨拶を一通り終えると、山岡につぎのように尋ねる。
「山岡先生、この子の顔をご覧なさいませ。とくとご覧なさいませ。中里は、最近折に触れ、この子は自分に似ているか、と、このわたくしの目を覗き込みながら尋ねます。わたくしは、あなたさまはお父様ですからもちろんのことと、答えるにつけ、汗の襦袢にしみわたる冷たさ。山岡先生、あなたさまは、どのようにご覧遊ばしますや?」
 山岡は答える。
「フランス語に、プテートル、という言葉あり。婉曲に肯定を表現するものであります。」
「あなたさまはどちらに肯定をされますのでございましょうか?お答えがわたくしにもわかりますように、あらためてお尋ね申しあげます。この子はあなたさまに似ておりましょうや?」
 山岡は左手に持ち上げたティーカップを皿の上に戻すと、かすれた声を絞るようにして呻くかのように答える。
「プテートル」
 珠子のもとより白い顔から、さらに血の気が引いて、表情が蒼く凍り付く・・・
 常望は、山本らしい美文の気を帯びた文章をここまで読んで、顔を上げた。
「山本さん、母から何か聞いたのですか?」
「聞いたとおっしゃいますと?」
「この筋立ては、何か参考にした話があるのではないかと思ったものですから。」
「参考にした話はございません。自分独りの筆の先から出た話です。」
 常望は、自分が東京に来て、高房夫妻に挨拶に行った際に印象に強く残った、ルサンブルというフランス語から、高房が自分に似ているということの意味をすぐに悟っていた。自分が祖父のもとで育てられていたのは、自分の出生にまつわる経緯があったからだということもすぐに気が付いた。彼は、公子が自分の妹にあたるということも意識していた。
彼は、もしも山本がそのような経緯を下敷きに小説を書いて、それを臆面もなく自分に読ませたとしたならば、彼は大変な無礼を働いていることになる、と思った。しかし、どこか子供のようなうそのつけない純粋さが残っている山本に、そのような芸当ができるとも思えなかった。常望は、山本の言葉を額面通り受け取ることにした。彼は、もしもこの話を山本が独りで考えたのであれば、山本は厳橿家に出入りしてその空気から影響を受けたからにちがいなく、それは山本が芸術家としての勘が鋭いことを意味すると思った。
常望は言った。
「悪いやつが出てくるような、派手な展開を期待していたのですが、現実的に込み入った話になりましたね。」
「そのとおりです。なぜこういう筋立てになったのか、自分でもよくわからないのです。しかし、このように書かないと、自分の気が済まなかったのです。」
「この後はどうなるんですか?」
「珠子と山岡とは心中事件を起こします。」
 常望はその言葉になぜか心臓がどきりとした。
「二人とも死んでしまうんですか?」
「それはまだわかりません。こちらの別荘にいる間には、わかってくると思います。」
     五
 その次の日の夕方、厳橿家の別荘で、同家とごく親しい人を招いた小宴が開かれた。
 小宴の主賓は高房夫妻で、良房と公子も出席した。軽井沢に来ていた九重公爵夫妻、吉池子爵、高房夫人の桃子の兄の加賀侯爵夫妻、現職の内務大臣の城所氏が出席し、山本も末席に連なることを許された。
 宴席は芝生の庭園にしつらえられ、料理は三笠ホテルからコックが出張して調理した。
 出席者は盛夏ということで、平服であった。常望と良房は、学習院の夏の制服を着た。九重公爵は、白い薄絹の単衣に絽の羽織袴をつけ、夫人は藍色の紗の単衣であった。その他の出席者は、男性は白や薄茶の麻の背広、女性は洋装であった。
 篝火が焚かれる戸外は、日没とともにひんやりとした微風が吹いて、梧桐の木の下の、一同の会する大きな食卓のテーブルクロスを揺らした。
 席上、九重公爵と吉池子爵と城所氏の三人は、あたりを憚るような小声で会話を続けた。常望は、時折耳に聞こえてくる言葉から、彼らが貴族院の運営についての話をしていると察した。
 加賀侯爵は、梅子と桃子を相手に、狩猟の話で夢中であった。
「ご婦人方は、ピストルが扱いやすいでしょうが、自分は銃身の長い銃で狙うのが好みです。これは、いざというときに敵を撃つための稽古になっているのですから、どんどん鳥を撃つというのは、お国のためでもあります。田畑を荒らす動物を退治しているから、百姓のためにもなります。殺生がいやという方もおられますが、そういうお方も大抵は魚や肉は召し上がるわけですから、理由にはなりませんな。」
 そして加賀侯爵は、常望に向かって言った。
「あなた様ももうそろそろ、銃の稽古をされたほうがいいでしょう。先日差し上げたピストルはお試しになりましたか?よろしければ、手ほどきをいたします。そうだ、あさっての猟に初陣として出られるというのはいかがですか?」
 常望は答えた。
「加賀さん、お申し出ありがたく存じます。僕は勉学中の身ですから、もうしばらくは遠慮いたします。」
「おや、梅子さんだってピストルの稽古をなさっているでしょう。ねえ。」
 加賀が梅子の方を振り向いたので、梅子が答えた。
「わたくしのは、婦人用の銃身の短いピストルで、ベランダから木の幹を狙って稽古しています。わたくしの部屋に置いてございますから、わたくしが留守でも、いつでもお使いください、と申しあげているんですが・・・・」
「お母様も稽古されているのですから。あなた様はおいやとおっしゃっても、この先、軍務に就かれるようになれば、役に立つかと存じます。もっとも、自分は外人と付き合う方が性に合っていて、軍務は遠慮いたしましたので、あまり偉そうに説教もできませんかな。英国でも、イタリアでも、王家の方々と狩猟をご一緒したことがあります。」
 加賀侯爵はそう言うと、はっは、はっはと、芝居の大名が立てるような笑い声を立てた。彼は、外務省に籍を置き、在外公館の経験が長いのであった。在外公館での生活は、日本とは比べられないぐらい出費がかさむので、本人か夫人が華族や財閥の一員でないと、務めるのは現実的にむずかしかった。その点、幕政時代は外様の雄藩であった加賀家は、外交官となるのにふさわしい条件を備えていた。
梅子が言った。
「外人でも、シュトルツ博士は、誘っても狩猟にはいらっしゃらないわ。なんでも、血を見ると、治療しなきゃいけない気になって、楽しめない、っておっしゃっているらしいわ。」
 加賀侯爵が尋ねた。
「シュトルツ博士は軽井沢に来られているんですな。」
「今、三笠ホテルに泊まっておられるわ。お招びすればよかったわね。」
 このような会話が続くなか、山本は吉池の横に席を与えられて、慣れないナイフとフォークと格闘していたが、始終無言であった。
 食事が終わると、一同は屋内に席を移した。
 常望は、年長者を先に屋内に入れるため、食卓にとどまっていた。山本も、ほかの客に遠慮して、食卓の傍のベンチに座って、他の客が屋内に入るのを待っていた。
 常望は山本に声を掛けた。
「山本さん、ずっと黙っておられましたね。僕もあまり話しませんでしたが・・・」
「このような席にお招きを受けただけで、一生の思い出です。」
「退屈したでしょう?」
「いえ、俳句を考えていましたから、退屈はいたしません。」
「どのような俳句ができましたか?」
「そこの梧桐で蝉がたくさん鳴いていましたので・・・」
 山本は、ポケットから封筒を取り出した。封筒の裏に、鉛筆でつぎのような俳句が書かれていた。

蝉時雨 星の数ほど なみだかな

 常望はその文字を読み取ると、空を見上げて言った。
「なるほど。今日は霧が降りて来ないから、星がよく見えます。空から降ってくるみたいです。」
「そのとおりですね。お集りの皆様はどなたもお空をご覧にならないで、もったいないと思いました。それから、」
 山本はひと呼吸置いてから、続けた。
「皆様には、笑顔がありません。」
 山本はそう言うと、常望ににやりと笑ってみせた。そして彼は続けた。
「よろしければ、この封筒は献呈いたします。」
 常望は、山本に笑顔を作ってみせようとこわばった表情で、受け取った封筒をポケットにしまった。
食事が終わった一同は、迎えの馬車や人力車が来るまで、しばらく思い思いに時間を過ごすことになった。九重公爵夫妻と加賀侯爵夫妻は、ブリッジの卓を囲んだ。桃子夫人はピアノでレパートリーのチャイコフスキーの「舟歌」を弾き始めた。常望は良房と公子を伴って自室に戻った。その他の出席者は、応接でコーヒーを飲んで談笑を続けたり、チェスに興じたり、図書室で書物を覗いたりした。
 食堂の鳩時計が午後八時を知らせて、一同がそろそろ帰る心づもりをはじめたころ、突然、別荘内に銃声が響いた。
 常望は、自室で良房と公子とハナの四人でトランプをしていた。
 そこに銃声が轟くと、公子はきゃっと言って、常望にしがみついた。
 良房は言った。
「今の音は銃声だ。強盗が入ったのかもしれない。」
 常望は、咄嗟の判断で、手元用のランプを残して、部屋の灯を消した。
 食堂では、日露戦争で陸軍中将として師団長を務めた経歴があって、修羅場に慣れた城所が、銃声に驚く一同に、命令調で言った。
「静かに。賊が入ったかもしれない。ご婦人方は食堂にいてください。そこの女中、君は電話で警察に連絡してくれ。そっちの女中は、従僕の控室に言って、全員を食堂に呼んでくれ。今から自分と加賀侯爵とで、邸内を確認します。」
 城所は、食堂の暖炉の火かき棒を握ると、ランプを持った加賀侯爵と連れ立って、銃声の聞こえたあたりをめざした。軽井沢にはまだ電気が引かれておらず、廊下は暗かった。加賀侯爵はこの別荘には何度か来たことがあるので、建物の位置関係をだいたい把握していた。
 二人は、廊下を進んで、別棟にある梅子の部屋の前に来た。部屋の扉は開け放たれていて、部屋には手元用のランプがついていた。
 まず城所が梅子の部屋に続く附室に入った。彼はゆっくり慎重に足を運んだが、三歩ほど歩いたところで、柔らかい物に足がぶつかった。
 後ろからついてきた加賀侯爵がランプをかかげると、その物体は、人間の体であった。
 城所は、しゃがんでその顔を覗き込んだ。
 それは山本であった。
城所は山本の首筋に手を当てた。山本はこと切れていた。
床にはおびただしい血痕があった。山本の体のそばには、狩猟用のピストルが落ちていた。
「加賀侯、これは末席に座っていた若者ですな。」
「吉池子爵の秘書と聞いています。」
「銃声はこのピストルでまずまちがいないですな。」
「まちがいないでしょう。」
「賊が撃ったのであれば、まだ邸内に潜んでいるかもしれません。もう少し建物を調べましょう。」
 二人は梅子の部屋の奥まで確認した。ついで廊下に戻ると、常望の部屋に入った。
 彼らは常望たち四人が無事そこにいることを確認した。
 常望が尋ねた。
「何事かありましたか?」
 城所が答えた。
「閣下、末席に座っていた若者が、梅子様の部屋の手前の附室で死んでおりました。」
 常望は、さっと血の気が引くのを感じた。彼は、心中に、昼間山本が口にしていた「心中」という言葉を思い出していた。
「倒れていたのは山本さんだけですか?母は?」
 加賀侯爵が答えた。
「梅子さんは部屋にはいらっしゃらなかった。」
 急に城所が声を低めて言った。
「しっ!静かに。廊下で物音が聞こえる。誰か歩いている人がいる。」
 その足音は、少しずつ近く聞こえるようになり、やがて常望の部屋の前で止まると、扉をノックした。
 城所は火かき棒で身構えた。
 ノックした人物は、つぎのように部屋の中に呼び掛けた。
「常望さん、そこにいるのか?」
 その声は男性の声であった。
 常望が答えた。
「はい。高房公爵でいらっしゃいますね。」
「そうだ。」
 城所が扉を開けると、そこには高房と梅子とが立っていた。城所はただちに火かき棒を体の横に下げると、言った。
「閣下と梅子様、ご無事でいらっしゃいましたか。」
 高房が言った。
「庭で星を見ていたら、急に大きな音がしたので、心配して、とりあえず子供たちのところと思って、常望さんの部屋に来たんだ。」
 梅子が言った。
「わたくしも、シャンパーニュを頂きすぎて、気分が少し悪くなったので、外で風にあたっていたの。大きな音がして、離れに戻ろうとしたときに、高房さんと出会って、ここに来たのよ。何があったの?」
 城所が言った。
「吉池子爵の秘書が、こともあろうに、梅子様のお部屋の手前の附室で、倒れておりました。」
 梅子は、城所の話を聞くと、顔を両方の掌で覆って言った。
「まあ、なんてこと、どうしましょう・・・」
 城所が言った。
「まだ建物に賊が残っているかもしれません。とりあえず、お二人はこの部屋にいらしてください。」
 城所と加賀侯爵は、建物の中をくまなく点検したが、賊らしい者の姿はなかった。
 彼らが食堂に戻ると、警察官が五名ほど駆けつけていた。
 城所は手短に警察官に事情を説明した。警察官は、城所が内務大臣であり警察の長であることを知っていた。
「大臣閣下、とりあえず本官ほか五名は、皆さまの護衛にあたります。」
 城所は、考えるところがあり、警察官につぎのように指示した。
「三人の公爵閣下がご臨席である。通常の事件ではないので、貴官らは独断で動かず、すべて自分の指示に従え。」
 そして城所は、家令の林に命じた。
「三笠ホテルに逗留のシュトルツ博士に、深草公爵閣下ご臨席の会合の最中、銃創の患者が発生したと言って、往診をお願いしてほしい。」
 間もなく地元の警察署長がさらに十人ほどの警察官を従えて到着したので、城所は言った。
「本日臨席の方々は国家枢要の方々であり、極めて微妙に取り扱うべき案件である。自分が全体の指揮をとる。たとえ貴官らの上司の照会といえども、内務大臣である自分の許可なく報告してはならない。」
 城所は食堂の一同に向かって言った。
「まことに憂慮すべき事件が起こりました。皆さまお疲れでしょうが、もう一時間ほど、安全を確認するために、この場に待機してください。それからはお帰りいただいてさしつかえございません。」
 城所は家令の林に、警察官を二名連れて常望の部屋に行き、人々を食堂に案内するように命じた。
 シュトルツ博士が到着すると、城所は警察署長を伴い梅子の部屋に行き、部屋の灯をつけさせた。
「博士、死因は銃創とみて間違いないですね。」
「そのとおりです。ピストルの弾が心臓を貫通しています。」
「これは他殺ですか?ピストルの暴発ですか?」
 シュトルツ博士は、上流階級の顧客が多く、この世界に必要な勘がよく働いた。彼は即座に、つぎのように答えた。
「ピストルを握っていれば、ピストルの暴発か自殺でしょう。握っていなければ、自分には判断できません。ピストルを握っていなくても、本人が撃ったピストルを取り落とすこともあります。」
 城所は、うんと頷いて言った。
「ピストルは遺体の至近の場所に落ちていたので、本人が取り落したものと思料される。署長、本件は暴発事故として、処理を行え。」
 署長は城所内務大臣に敬礼して、
「ご命令のとおり、暴発事故として処理いたします。」
と答えた。
 城所は食堂に戻ると、一同に言った。
「山本保君は、不幸にもピストルの暴発で亡くなりました。一発の銃弾が心臓を打ち抜いており、即死であったと断定されます。警察は暴発事故として処理します。梅子様、ピストルは警察がお預かりしますので、ご了承ください。皆さま、お疲れ様でした。もうお引き取りあそばしてさしつかえございません。」
 常望は、城所のこの宣言を聞いて、紙のように白かった母の梅子の表情に、赤みがさしたことに気が付いた。高房は、この宣言を聞き終わるなり、ただちに椅子から立ち上がって、妻子を促して車寄せに向かった。
 常望は立場上、玄関で客を送らなければならなかった。彼は家令の林と相談し、帰って行く客のひとりひとりに、つぎのように短く挨拶した。
「本日はとんだことになりましたが、どうか悪しからずおぼしめされますよう、お願い申しあげます。」
 帰って行く客は、いずれも社交界の人に戻って、事故だからいたしかたない、閣下も梅子様もお疲れが出ませんように、といった挨拶を手短に返して、車中の人となった。
 吉池子爵と城所は、ほかの客が帰った後も、厳橿家別荘に残った。
「城所さん、山本は、自殺するような様子はなかったので、暴発事故とうかがって納得いたしました。おおかた、ピストルを初めて触ったんでしょう。」
「事故ですから、深草公爵閣下にも皆さまにも疵のつくようなことはございません。自分が居合わせて、本当によかったです。」
「どうです。私の旅館に立ち寄られて、飲みなおしませんか?」
「それはまことに結構。今夜はそちらの旅館に泊まらせていただこうかな?」
「部屋を用意させましょう。」
 二人は連れ立って車寄せで人力車に乗って帰って行った。
 食堂には、梅子と常望の二人が残った。
 常望が言った。
「お母様、とんだことになりました。」
 梅子は、ひどくやつれて見えた。
「わたくしは疲れました。もう休みます。」
 彼女はそう言うと、女中に命じて客用の部屋に布団を用意させて、食堂から退出した。
 常望は、事件ですっかり頭の中が興奮してしまって、とてもすぐに寝付くことができなかった。そこで、自分の目で出来事を確かめようと、まだ警察官が番をしている梅子の部屋に行った。
 すでに山本青年の遺体は運び去られ、床の血痕はきれいに拭い去られていた。窓の外からは、秋の虫としては真っ先に活動を始める鉦叩きの音が響いてきた。
 つぎに常望は、山本青年が泊まっていた客室に行ってみた。
 彼が部屋に入って灯をつけると、山本青年の荷物は警察に持って行かれた後で、畳敷きの部屋はがらんとしていた。しかし、文机の下に、彼は見覚えのあるノートを発見した。それは山本青年の小説の原稿であった。
 彼が原稿を開くと、山本青年と最後に会ったときから、ずいぶん書き進まれていた。
 続きはつぎのようなものであった。
大病院の院長夫人の珠子は、山岡との関係を断ち切ることができず、息子が山岡の子であって夫の中里博士の子ではないことに罪悪感を持っていた。彼女は秘密を抱えていることに耐えきれなくなっていた。山岡は、留学から帰った後、医局で助教授の地位が待っていると信じていたが、中里博士が医学会に工作を行ってその邪魔をしたことから、医局に居づらくなり、かといって独立の病院を開く元手はなく、鬱々と毎日を過ごしていた。珠子は、夫が上海の学会に出張している半月の間、疲れ切った神経を湯治で癒すために、伊香保温泉に逗留することとなる。珠子は、孤独に耐えかねて、山岡に旅館まで訪ねて来るように手紙を書く。はたして、山岡が旅館に訪ねて来る。珠子は、山岡に心中を持ち掛け、山岡は承諾する。文章は美文調で次のように続く。
「折しも秋はたけなはの、もみぢの道を踏み行きて、鹿ぞなくなる水澤の、さらに奥へと彷徨へる、二人に交はす言葉なく、心にかかる時雨雲、互いに冷ゆる手を握り、つたなき定めの道行きに、あの世の幸を願ふこそ、浅墓なれどあはれなれ。」
そして、二人は榛名湖へ登る道中の藪の中で、珠子が持参した毒薬をあおってこと切れる。
常望は、ほぼ完成したと思われるこの小説の結末まで読み終わって。考え込んだ。
彼は思った。山本青年は、母の梅子に心中を持ち掛けられていたのではないか?
でも、なぜ山本青年だけが死んだのだろうか?
常望は、もっと不思議なことに思い当たった。高房は、普段、機械やスポーツには造詣が深い一方で、星に興味を持つようには思われないのに、その高房が、なぜ星を見るために独りで戸外にいたのか?
山本青年は梅子の部屋にピストルがあることを、先ほどの夕食の席での梅子の発言から、知っていたのかもしれず、自分でピストルを取りにいったのかもしれない。あるいは、ピストルは梅子が取り出して来たのかもしれない。
それにしても、大勢が別荘にいる時を選んで、心中をするというようなことが、ありうるのか?
彼の胸の内には、このような疑問が矢継ぎ早に湧き起こった。
そして常望は思った。山本青年が死んだことについて、本日の出席者一同にとっては、迷惑な事態ではあったが、誰も山本青年の死を悼む様子がなかった。そのことは自分の住んでいるこの世界では、よくあることだ。誰もが体面と、周りの者の定めた日程との中で、努めて予定外の物事を避けて、予定の通りにこなしてゆく生活が当たり前だからだ。しかし、自分としては、自分と話が合いそうな山本青年が死んでしまったことは、自分としてはとても悲しい。いったい、本当のところ、何が起こったのか?自分は誰かを警察に捕まえてもらいたいわけではない。ただ、本当のところをはっきりと自分限りで認識することが、山本青年への供養になる気がする・・・
そして、常望は、本当のところがはっきりするのを待ったうえで、山本青年の遺作を出版したいと思った。
 その時、ノートから一枚の便箋が床に落ちた。常望が拾って読んでみると、つぎのように仮名文字ばかりで歌が一首、ペンでしたためられていた。

 ゆふやみに きゆるさだめの くもなれど いまこのときぞ あけにこがれむ

 歌の脇に、鉛筆で漢字を使って「夕闇に 消ゆる定めの 雲なれど 今この時ぞ 朱に焦がれむ」と付記してあった。
 常望は、鉛筆の筆跡は母のものであるが、ペンの筆跡は母のものではないと思った。彼は、ペンの筆跡はどこかで見た覚えがあったが、思い出せなかった。彼は、便箋は、ごく上質の和紙であり、普通には山本青年が自身のために購入するような品物ではないことにも気づいた。彼は、この便箋が艶書であることは、明白だと思った。
 常望は自室に戻ると、深夜にも関わらず、自分の手元に溜まっていた来信をひとつひとつ取り出して、先ほどの便箋の筆跡と比べて行った。彼は、その便箋は女性からのものと思ったので、女性の来信ばかりを調べていたが、筆跡の似ているものはなかった。そこで、念のため男性の来信も比べてみることにした。
 やがて、常望は、
「あっ」
と声を上げた。
 その筆跡は、高房のものと酷似していた。
 常望は、男性の高房が同性の山本青年に艶書を出した可能性を考えた。彼は、男性同士の恋愛ということは、まま耳にしていたので、その可能性は排除できないと思った。
彼は考えた。高房が山本青年には今日が初対面であったはずだ。少なくとも、山本青年が軽井沢にいるときはこの別荘にいるか、自分たちと外出しているかであったから、彼か高房に軽井沢で面会する機会はなかったはずだ。それでは、東京で面識があった可能性はないか?いや、高房は政治向きのことからは隔離された身の上であり、吉池子爵とも社交の席上で顔を知っている程度であろう。よしんば山本青年が吉池子爵の使いで高房のもとを訪ねたとしても、常識的には使用人が対応するはずだ。
 では、この便箋は誰に宛てられたものか?
 常望は、この便箋は、高房から梅子に宛てられたものであろうと結論づけた。山本青年がなぜこの便箋を入手したかはわからないが、少なくとも、山本青年は、自分のほかにこのような便箋を梅子に送るような男性がいることを知ったことは、まちがいなかった。
 彼の頭の中には、かつて小説で読んだ、三角関係の構図が描かれていた。そこで、彼はつぎのように複数の仮説を組み立てた。
 ひとつは、山本青年が梅子と心中の段取りを話し合っているところに、高房が来合せて、制止しているうちに、ピストルが暴発した、ないし高房が撃った、という仮説である。彼は、宴席で大勢が集まっている最中に心中するはずはないので、心中の段取りを話し合っていたのであろうと思った。
 もうひとつは、心中ではなくて、高房と山本青年が梅子を巡って口論になって、山本青年がピストルを持ち出して暴発した、ないし高房が撃った、という仮説である。
 常望は、このように仮説を立てたが、そのうちのどれが真実であったかは、決め手がないことに気付いた。もしも心中の失敗であったとすれば、梅子が後を追う可能性があったが、ピストルは別荘には一丁しかなかったはずであり、それは警察がすでに預かって持って行ったので、常望は、この夜中に梅子の無事を確認することは控えておくことにした。すでに夜明けが近く、窓の外はほの白くなり、野鳥のさえずりが始まっていた。彼はため息を一つついて、推理をそこで一旦打ち切ることにした。
 朝食はいつもの通り、午前七時に食堂で供され、常望は母の梅子と向かい合って洋食の朝食を摂った。
 常望が言った。
「お母様は昨晩はお休みになれましたか?」
 梅子は、何事もなかったかのように、にっこりと笑って答えた。
「すっかり疲れたので、かえってよく休めました。梧桐さん、あなたは?」
 梅子は常望をお印の名で呼んでこのように尋ねた。常望は答えた。
「僕は明け方までよく眠れませんでした。」
「あら、梧桐さんにしては珍しいわね。」
 梅子はほほと笑った。常望は、梅子が普段よりも機嫌がよく見えることに、一抹の不審を抱いた。
「梧桐さん、今日は予定通り東京にお帰り遊ばしてください。」
 常望は、自分が今日は東京に帰る予定になっていることを忘れていた。
「そうでした。荷物をまとめなくてはなりません。」
「この別荘は、もう手放しましょうね。」
「その方がよいかもしれません。自分にはこだわりはありません。別荘を持つより、ホテルに泊まる方がよろしいかもしれません。」
 常望は、京都に住んでいるときに、祖母のイトが、
「屋敷いうものは、旅館を一軒持って、ぎょうさんに雇い人を抱えて、馬車まで置いて、それをお客なしにやってゆくようなもんで、よろず物入りなもんどす。」
とよく言っていたのを思い出したのであった。
 梅子は、常望の答えには気を留める様子がなく、つぎのように言った。
「梧桐さんはお歳のわりに大人びてしっかりしているから、安心しています。わたくし、近々もう一度欧州に出かけたいと思っています。九重のおじい様のご了解がとれましたらば、秋に出発します。」
「そうですか。僕もそのように心得ておきます。」
 二人の会話はそこで途切れた。
食後の紅茶を飲み終わると、梅子は珍しく常望に手を伸ばして、彼の頬を軽く触った。
「わたくしは、今日はもうお目にかかることはございません。お気をつけて東京にお帰り遊ばしますよう。」
「お母様もお気をつけて。」
 常望はかすかな違和感を抱いて、食堂を後にした。しかし、彼は、その違和感を、敢えて突き詰める気にはならなかった。それは、梅子は彼に懸念を抱かせる余地のないほど、見たところは昨晩の事件などなかったかのように、普段にもまして機嫌がうるわしく見えたからであった。そして、常望は、そういえば昨日の朝も、梅子がやはり上機嫌であったことも思い出していた。
 東京に戻った常望は、自分の鞄から二体の人形を自分のベッドの脇の定位置に戻して、自分の日常に戻った。
 彼は、人形につぎのように話しかけた。
「おまえたちは、人間とちがって、いなくなったりしないから好きなんだ。生きた人間は、みんな自分を置いてどこかに行ってしまうのだから。」
 次の日の夜の八時頃、女中のハナが、夕食を終えて学校の宿題に取り組んでいる常望を呼びに来た。
「軽井沢の林から電話が入っています。直接お伝えしたいと申しています。」
 常望が電話に出ると、林の動顚した声が聞こえた。
「実は、本日の午後、梅子様は高房公爵ご夫妻と、狩猟にお出でになったのですが、お帰りになるはずの夕方になっても、お馬車までお戻りがございません。それで、実は、」
 受話器の向こうの林の息がはずんでいた。
「これは内密にと深草公爵家から仰せつかっているのですが、高房様もお戻りがないのです。梅子様の姿が見当たらないので、高房様が、自分が探すからと仰せになって、桃子様は先にお馬車に戻られていたのですが、二時間経ってもお二方がお戻り遊ばさなかったそうでございます。現在、警察官が山狩りをしています。」
 常望はそれを聞いて、しまったと思った。彼は、三角関係の存在までは気が付いていたのであったが、心中の当事者を完全に読み違えていたのではないかと思った。心中の当事者は、高房と梅子で、二人は前日に山本青年の制止で予定通りには成し遂げなかった心中を実行したのではないか、と思った。彼は、別荘内にはもうピストルもないことだからと思って、自分が予定通り帰京してしまったことを後悔した。
 常望は努めて冷静な声で、林に言った。
「わかった。僕は明日朝の列車で軽井沢に行くから。」
「承りました。自分は、梅子様はもとより、高房公爵の身に万一のことがございますと、お国に関わることですので、雇い人の口から洩れたりしないよう、万全を尽くしております。」
「九重のおじい様には知らせたのか?」
「もちろんでございます。城所大臣が自ら山狩りの指揮を執っておられます。しかし、夜分で暗くなりましたので、今夜のところは山狩りは一旦終了として、あす日の出から再開する予定です。新たな情報が入り次第、お電話いたします。」
 常望は体から血の引く思いであった。東京にいる自分に何もできないことに苛立ちをおぼえながら、彼は考えた。高房と梅子は、何か催しがある時にしか、会うことができない身分だ。別荘で夕食会があった後、二人はその数少ない機会を利用して、心中の段取りを話し合っていたのだろう。そこにたまたま山本青年が居合わせて、話を聞いてしまい、たぶん制止したのだろう。そこで押し問答の挙句、銃の扱いに慣れた高房が一発で山本青年を射殺したのではないか?   
夜九時すぎに、林から再び電話が入った。
「お喜びください。お二人は無事でございました。お二人で歩いて馬車のあった場所にお戻り遊ばしたのです。道に迷われたのだとおっしゃっておられます。お疲れのご様子ですが、お二人ともすでに三笠ホテルにお入りになりました。」
「そうか。それはよかった。城所大臣には、常望が厚く礼を申していたと伝えてほしい。林の方で、後日何か手厚く礼を差し上げてほしい。僕が軽井沢に行く必要はないと思うが、どうか?」
「お出まし遊ばさなくてさしつかえないものと存じあげます。」
 常望は、受話器を置くと、ハナに高房と梅子の無事を伝えた。ハナは九時の電話以降、二人の無事を祈って、観音経を小声で唱え続けていたが、無事の知らせに、その場に跪いて、「清水の観音様、ありがとうございます、おおきに、ありがとうございます。」
と泣きながらお礼を言った。
 常望は思った。二人は本当に道に迷ったのであろうか。それであれば、自分の推測は振り出しに戻ることになる。
二人は心中しようとして、死にきれなかったのではないか。
しかし、常望は、よく考えると、二人に今更心中するような動機があったのか、という疑問が湧き起こった。二人とも、それぞれ別の伴侶と結婚して、すでに常望の年齢とほぼ同じ年数は経過していた。常望は、時間が経って冷静になるにつれて、自分の思い過ごしであったような気がしてきた。彼は深夜までベッドの中で、沈黙して並んでいる人形を隣にして、考え続けた。
常望には山本青年の事件の真相のわからないまま、夏は終わり、梅子も帰京した。
常望も梅子もお互いに軽井沢での話は一切せず、それ以前と変わらない日常が戻った。
九月になると、新聞に、吉池子爵が東欧のある君主国に駐在する公使に任ぜられたことが報道された。巷では、九重公爵が吉池子爵を政界から遠ざけるために工作したのではと噂され、一部の報道はそのような話を、根拠のない想像を交えて書き立てた。
常望は、この人事が軽井沢の事件とつながっているのではないかと思った。彼は、吉池子爵が山本を梅子に故意に近づけたことが、九重のおじい様の知るところになったのではないかと直感した。むろん、それを裏付ける証拠は何もなかった。
九月の彼岸過ぎに、九重公爵は親戚を集めて煎茶の会を催した。梅子と常望もこの会に招かれた。
煎茶の席には、九重家の数代前の当主が陶淵明の漢詩から「菊を采る東籬の下 悠然として南山を見る」という句を採って隷書で揮毫した掛け軸が掛けられていた。煎茶道の宗匠が、煎茶道具の飾られた紫檀の華奢な棚を前にして煎茶の点前を披露し、江戸時代の清水焼の名工の青木木米作という、小ぶりな彩色のある茶碗に、極上の宇治の煎茶を大ぶりの橙ほどの大きさの紫泥の急須から注いで、一同に供した。江戸時代に流行した中国趣味に沿った席の飾りは、明治も四十年を過ぎたその頃には珍しいものになっていた。
煎茶席が終わると、一同は洋間に移動した。
九重家の一族は、煙草の名産地を領地としていたかつての外様の大大名の血を引く者が多いせいか、男も女も煙草を嗜む者が多く、室内はたちまち葉巻と刻み煙草の煙が立ち込めた。
九重公爵は、煙草が苦手であった。彼は、常望を促して、二人で庭園に出た。
作庭にも一家言ある九重公爵は、肝煎りの庭園を常望に見せて歩いた。常望は、九重公爵のすぐ次について、細い飛び石の道を歩いて行った。
九重公爵は言った。
「梧桐さん、そこで休みましょう。」
 二人は池を見下ろす築山に登ると、そこにしつらえられた腰掛に座った。
 常望は、九重公爵と二人で話す滅多にないこの機会を捉えて、尋ねてみた。
「おじい様、軽井沢ではいろいろございましたが、お疲れにはなりませんでしたでしょうか?」
「ああ、静養にはなりませんでしたな。城所君にはずいぶん世話になってしまった。全く、吉池が要らないことをしたもんだから。とんだプーシキンになってしまって・・・」
 九重公爵はそう言いかけて、その言葉の次を飲み込んだ。
 常望は聞き逃さなかった。
「プーシキンとおっしゃいますと、あの決闘で亡くなったロシアの詩人ですか?」
 九重公爵は答えなかった。
「おじい様、あれは決闘だったんですね。」
 九重公爵は、しばらく黙っていた。
 常望は、九重公爵の口を開くために、思い切ってつぎのように尋ねた。
「よい機会ですから、お尋ねします。多分、お尋ねしないと、おじい様は事件の真相をお話になりにくいでしょう・・・僕は、深草公爵の良房さんや公子さんの兄に当たるのですね。」
 九重公爵は、その質問を意外に思うような様子もなく、当然のことを尋ねられたかのように、落ち着き払って答えた。
「梧桐さんには、いずれお伝えしなくてはならないと思っていたところですが、いつどのようにお話すればよいのかと思っていたところです。ご自分でそこまでお気づきであれば、取り乱される気遣いもありますまい。お気づきの通りです。」
 しばらく二人は沈黙した。
 九重公爵邸にほど近い目白駅の方から、機関車の汽笛が聞こえた。二人は、それを合図とするかのように、腰掛から立ち上がると、散策を再開した。九重公爵が先に歩き、常望はその後をついて歩いた、
 常望が言った。
「山本さんは、高房公爵がお母様に宛てた和歌を持っていました。」
 九重公爵は、自分の孫ではあるが、宮中席次が自分より上である常望に、努めて丁寧な言葉遣いを心がけながら言った。
「梧桐さんの勘が鋭いのは、亡くなった貞望公譲りですな。何でもご存知のようだ。あの事件の晩、帰り際に城所君が、実のところ、落ちていたピストルは二丁だったと耳打ちしてくれたので、梅子を巡って男二人が決闘したとわかったのです。」
 九重公爵は、事件の後になって、城所氏から自分の聞いた話をつぎのように要約して話した。
城所氏は、山本青年の遺体を発見した時に、同行していた加賀侯爵がピストルに気付かないうちに、咄嗟に二丁のうち、山本青年からより離れた方のピストルを拾い上げて、自分のポケットに入れた。それからしばらくして、彼は、山本青年の命を奪った弾丸が、その遺体の傍に残されているピストルのものと一致しないとすると、まずいことになると気付いた。そこで、彼はシュトルツ博士に、山本青年の傷口から弾丸を取り出させて、証拠品として自分が受け取り、密かに自分のポケットのピストルの弾丸とすり替えたのであった。
九重公爵は話を続けた。
「あの後、高房公爵と梅子とが道に迷って、山狩りをかけた時は、二人が心中でもしないかと随分気を揉んだのですが、あれは本当に迷子になったらしいのです。迷子の事件の翌日に、自分は梅子に、山本の事件は決闘だったのだろうと持ち掛けてみたところ、梅子はあっさりと何もかも自分に話しました。山本は梅子に本気だったんですな。」
九重公爵は、梅子から聞いた話に、自分の解釈と脚色を加えて、つぎのように話した。
その晩、山本青年を梅子の部屋に呼び出したのは高房であった。
山本青年は、前の日の昼過ぎに梅子の部屋に呼ばれた帰りに、部屋の附室で、和歌をしたためた和紙を拾った。山本青年は、その和紙は、明らかにある男性から、梅子に送った艶書であると思った。
山本青年は、夜になって梅子に再び呼び出された時に、彼女に尋ねた。
「梅子様にお心を寄せておられる方が、ほかにいらっしゃるのですか?」
 梅子は答えた。
「『ほかに』って、あなたとのことのほかに、という意味?それでは、あなたとわたくしの間に何かあるみたいで、穏やかな話ではないわ。」
「自分は、梅子様に憧れています。それは偽りではないのです。自分はその方の足元にも及ばないつまらない者ですが、一人の人間として、本当に梅子様をお慕いしています。」
「山本君、そんなこと、言わないで・・・つらくなってしまうからって、わたくしは前から言っているでしょう!」
「梅子様は、その方のことをお好きなんですね。」
「・・・あなたに答える必要はないわ。」
「自分はその方の身代わりですね。自分は、それでもいいのです。こうして梅子様のお傍に来させていただくだけでいいのです。」
「もちろん、あなたは身代わりよ。でも、だんだんと、身代わりが身代わりでなくなってくるような気がするの。それはとてもつらいわ。山本君、もうこの話はわたくしの前ではしないで頂戴。」
 事件のあった日、高房は厳橿家の別荘に到着してすぐに、桃子が子供たちと庭に出ている隙を見計らって、梅子と二人きりで立ち話をした。
 梅子は、山本青年が高房の存在に気付き始めていることを高房に伝えた。
 高房はかねてから、山本という男が頻繁に梅子を訪ねて来ることを、使用人からの伝聞で知っていた。高房は、梅子と山本青年との関係を薄々疑っていて、今日の機会に梅子に問い質そうと思っていたところであった。ところが、梅子の方から、山本青年が自分たちの関係に気が付く可能性を相談してきたのであった。高房は自分の顔が怒りで紅潮するのを覚えた。
 二人は、人目を避けての立ち話を長く続けるわけには行かなかった。高房は梅子に短くつぎのように言った。
「自分は、その山本という男と話がしたい。夕食会の後、高房が話したいことがあるからと伝えて、あなたの部屋に呼び出してほしい。」
 夕食会の後、予め知らせてあった通り、山本青年は梅子の部屋に来た。
 部屋では、高房と梅子とが山本を待っていた。
 ソファーに座っている高房と梅子の前に、山本青年が兵士のように姿勢を正して直立した。背の高い山本青年は、あたかも二人を見下ろすような形になった。
高房が言った。
「君が山本君だな。」
 山本青年が直立不動の姿勢で、兵士が上官に奉答するように、自分の姓名を告げようとするのを、高房は手で制して、彼に言った。
「君は、吉池子爵の差し金で梅子さんのところに上がり込んだのであろう。これ以上梅子さんを誘惑するようなことは、やめてもらいたい。」
 山本青年は直立不動の姿勢のままで言った。
「閣下、自分は、本気であります。」
 高房ははっきりと言った。
「自分は、君に身を引けと言っているのだ。」
「自分から引くつもりはございません。梅子様に遠ざけられれば、いたしかたないと存じます。それでも、自分の気持ちには変わりはありません。閣下の御意にそむくことは重々承知していますが、覚悟の上で御前に参上いたしました。」
 高房は、他人から自分に面と向かって逆らわれたのは、生まれてこの方初めてのことであった。いつもは、彼がこうしろという意向を口にすると、周りの人は、たとえ最終的には意向に沿い難い場合であっても、少なくともその場では、するすると事なきように、意向に沿うかのように返事をするのが常であった。彼は、山本青年の言葉を聞いて、かつて経験したことのない苛立ちを覚えた。
 高房は梅子に言った。
「自分と山本君と二人で話をしたいから、梅子さんは部屋の外に出てほしい。」
 梅子は、話の雲行きが気懸りであったが、部屋から附室を抜けて廊下に出た。
 高房は山本青年に言った。
「自分は、君の出現で、自分の誇りに傷がついたと思っている。悪いのは君であって、梅子さんではない。」
 山本青年は答えた。
「自分は悪いことは何もしておりません。それは閣下と同じであります。」
 高房はその答えに激高し、つぎのように口走った。
「君は、この高房と同列のつもりか。よし、わかった。梅子さんにどちらを選ぶかを尋ねるには及ばない。ここは男らしく決闘で決着しよう。」
 山本青年はまるでこのような成り行きを予想していたかのように、落ち着いた様子で答えた。
「わかりました。決闘をお受けします。」
 高房は梅子のベッドの脇机にあったピストルを山本青年に渡し、自分は上着の胸ポケットあら自分がいつも護身用に保持しているピストルを取り出した。
 そして、高房は、梅子の部屋と附室との間の扉の位置から、それぞれが反対を向いて、歩数を二人同時に唱えながら五歩歩いたところで撃ち合うことで、山本青年に異存がないか確かめると、彼はこれを承諾した。
 九重公爵は常望にこのように経緯を語ってから、つぎのように続けた。
「山本はピストルなどその時まで触ったこともなかったはずで、勝負はあっさりつきました。プーシキンの事件と違うのは、決闘を申し込んだのは文人の方ではなかったというところですな。
 深草公爵は、鳥獣は銃でしばしばお撃ちになりますが、人間をお撃ちになったのは初めてで、やはり山本が死んだのには動揺されたもののようです。梅子によれば、深草公爵は、事件が決闘であったことは、仰せになりかねたとのことでした。
梅子から、深草公爵が自分のピストルを現場に残されたことを気にしておられるとうかがったので、自分から城所君にその件を改めて尋ねて、すでに然るべく処理がなされていてお心を悩ますには及ばない旨を聞き出して、梅子を通じてお伝え申しあげました。深草公爵は、ご自分のご懸念は、あのピストルがフランスでナポレオン皇帝の子孫から贈られたものなので、紛失すると外交関係に問題が生じないかということであったが、城所が所持しているのであれば、そのまま留め置いてさしつかえない、と仰せになったそうです。」
常望は言った。
「おじい様、よく教えてくださいました。」
「もちろん、ここだけの話です。暴発事故として処理は終わっています。」
「わかっております。僕は、山本さんが気の毒に思えます。彼は小説を一篇残したのですが、出版してやりたいと思っています。時代がかった心中の物語です。題名が書かれていなかったので、自分は『時雨雲』という題名をつけました。われわれの内情を暴露するような内容のものではなくて、美しい人々が美しく死んでゆく、ただそれだけの話です。」
「察するに、今どきの学生が好む、浪曲のようなものですな。そういう小説であれば、出版してもさしつかえないでしょう。」
 それから、九重公爵と常望はまたしばらく庭園の池の畔を歩いた。そして、飛び石伝いに池の中島に上がったところで、九重公爵は立ち止まって、常望につぎのように言った。 
「梧桐さんは実に勘が鋭くて頭がよく回られます。将来は、ぜひ貴族院を支えていただきたい。中学を終えられましたら、軍務に就かれるのではなくて、高等学校から大学へ進まれて、一旦はいずれかの役所で文官を経験されるのがよろしいと考えています。」
 常望は、九重公爵の希望は、誰にも抗えないものであることを承知していた。
「それが僕の定めであれば、異論はございません。」
 その時、庭園に出てきた他の一族の人々が、二人の姿に気が付いて近づいて来たので、会話はこれで打ち切られた。
 その日から間もなくして、新聞に、
「内務大臣城所善之進閣下、伯爵に叙せらる」
という報道が掲載された。
 十一月には、陸軍に軍籍のあった高房は、台湾総督府陸軍部参謀に転任することになって、家族を東京に置いて、単身で台北に赴任した。
      六
常望には、お互いの家を行き来する友人が五、六人いた。彼らはすべて華族であり、家の格相応に、厳橿公爵の取り巻きとして振舞うよう、親に言いつけられているのであった。
その彼の友人のなかでも、和泉財閥の分家である男爵家出身の和泉康彦という少年は、彼に遠慮を比較的しなかったので、彼は特に親しくしていた。
学校で海水浴や遠足の催しがあると、和泉家は、系列の百貨店が所有していた荷馬車を御者付きで貸し出して、生徒たちの荷物を運ぶ用に供した。和泉家は、華族の中では爵位が最も低い男爵であったが、その巨額な納税に応じて授与された爵位であって、旧来からの華族の秩序とはあまり関係がない存在であったので、家の格が上の人々にあまり気を遣う必要を感じていないようであった。それに、華族で財政が逼迫した者は、和泉家に伝来の美術品を買い取ってもらったり、お金を融通してもらったりすることが頻繁にあったので、元の身分が商人だからといって華族の中で軽んじられるような存在ではなかった。
和泉は、常望には敬語を使わず、同輩として話した。
「今度の日曜に、アメリカから取り寄せた映画をうちで見る催しがあるけれど、厳橿君も来ないか。喜劇ばかり三本手に入ったんだ。三田にできたばかりの、うちの迎賓館の広間でやるんだ。十二時に集まって、まずお昼をお出しして、それから上映の予定だ。集まるのはおれたちの同級生と、ミッション系の女学校の女の子が四、五人、それからアメリカ大使館の外交官の娘も三人ぐらい来る予定だ。」
「君はこういう話はいつも急だからな。自分は、家令に相談しないと、勝手なことはできないんだ。だから、あした返事をするが、それでいいか?」
「ああ、わかっているよ。即答できないのは知っているから、気にしないでくれたまえ。君のご身分は不自由なもんだ。おれは学校を出ちまえば、自分の会社で商売をやることに決まっていて、華族の皆さまの世界とはあまり接触しないで暮らせるけれど、君はずっとこの世界で不自由な暮らしが続くんだな。」
「ああ、それが自分の宿命だから、子供の時からもう慣れているよ。」
「お上のお近くで、生まれてから死ぬまで私生活なしで日本のお国に仕えるのだから、大したもんだよ。」
「自分でそうしたいと思ってやることではないんだけれどね。」
「いやいや、千年ぐらい、そういう役目をやってきた家の方でないと、勤まらないよ。うちだって、財閥の当主ともなれば、そうそう自分勝手ができなくて大変なんだから、推して知
 ところでね、この間、君とおれとの間に、畏れ多いことではあるけれども、共通点をみつけたんだ。」
「へえ、共通点ってなんだい?」
「それはね、二人とも、侍の家の出ではないというところさ。うちの学校の生徒は、半分以上は、旧大名か、維新の功労者の子供だろう。つまり、半分以上は侍なのさ。残りは、たいていがお公家さんの出で、うちみたいな商人は、まあ、お混ぜで入れてもらっているというだ。もっとも、うちの場合は、明治維新の時に、うちの番頭が官軍の行列の後ろについて、店の大八車で千両箱を運んで、路銀を立て替えたんだから、昨日今日の成金とはちょっと違うんだけどね。」
「なるほどね。自分のうちも公家の仲間だけれど、公家は、大名みたいに大きな領地や大勢の家臣がいるわけではなし、基本的には宮中で何らかの役目を割り振られて勤めている、役人だからね。前例と理屈がとても大事にされる世界だ。割り振られた役目は自分の私物ではなくて、自分勝手は許されない。自分は物心がついてから、ずっとそのように教えられてきたんだ。」
「お公家さんはそうやって暮らしているから、将軍や大名にお墨付きを与えることができるし、ありがたがられるんだね。でも、花は桜木、人は武士。私を滅して君主に仕え、武芸に専念し、いざとなれば刀を抜いて戦う。武士道とは死ぬこととみつけたり。まあ、お公家さんよりはわかりやすいし、商人よりも恰好いい・・・
しかし一言言っておくとね、うちが明治維新の時にお上にお金を用立てられたからこそ、日本は西洋の植民地にならなくて済んだのかもしれないよ。
 明治維新の話のついでに言うけれど、君も知っているとおり、版籍奉還の時に大名が土地をお上にお返しして、お上が在地の地主に権利を認めたから、政府は税金も収納できるようになったし、徴兵もできるようになったんだ。大名は、版籍奉還で抜け殻になったようなもんだ。領地の財政を自分の財産で賄わなくてよくなったから、助かった大名も多かったけれど、かわりに年金暮らしになったわけだ。権力者が抜け殻になると、たいていはお墨付きの仕事に回るわけで、その意味ではお公家さんの方が先輩格だな。華族が議員になっている貴族院というのは、政府のやることにお墨付きを与えることが存在意義だ。」
「君は相変わらず手厳しいな。言っていることはわかるよ。」
「ところで、公家だ、大名だ、侍だ、いや金持ちだ、といろいろ世間では言うものの、学校の中だから大きな声では言えないけれど、おれの意見では、男で本当に一番なのは色男だよ。こればっかりは、家柄ではどうしようもないからな。色男、金と力はなかりけり。たとえば、色男で有名な在原業平はお公家さんだったけれど、あの人は無官の大夫だから、金と力はなかったわけだ。君にはそっちの資格もありそうだから、羨ましい限りだね。
まあ、閑話休題として、うちの学校は、おれも含めて、お公家さんだろうと侍だろうと、卒業後の身の振り方を他人に決められてしまっているのは、みんな同じだ。陸軍に行きたいやつが、海軍に行かされる。数学をやりたいやつが、法科に行かされる。まあ、うちの学校に限らず、世の中そういうものかもしれないけれどね。」
 常望と和泉とは、よくお互いの身の上の定めがわかっていたので、このような会話をしばしばする仲なのであった。
常望は、自分の屋敷の中では、彼は人形蒐集をあい変わらず続けており、その頃には世界中から集まった人形は百体を越えていた。彼は、人形蒐集については、学校の誰にも言ったことがなかった。
彼はドイツ製のカメラを入手して、人形の写真の撮影にも凝るようになった。彼は、フラッシュは持っていなかったので、日中に人形を縁側に出して、デッサンしていた時のように様々な姿態をとらせて、写真に収めた。
彼は、そのカメラでは、人形以外には、風景を撮影することはあっても、人間を決して撮影しないのであった。女中のハナに、なぜ人間を撮らないのか尋ねられると、彼はつぎのように答えた。
「人間の写真を撮ると、数年後にその写真を見た時に、実際の本人が年をとったことが、写真と本人とを比べるとどうしてもわかってしまう。それは本人にとって楽しいことではない。」
 本当のところは、彼自身が自分の写真を好まないのは、自分が年を重ねたことがわかるのが嫌だからというのではなかった。彼には、後日写真を見て振り返りたくなるような懐かしい思い出に心当たりはなく、まして一緒に写真を眺めて過去を懐かしむ人もいなかったからであった。自分は幼少の頃から写真を数多く撮られてきたが、自分からそれを取り出して見てみることはなかった。そもそも自分の姿を見るのが嫌であった。彼は、自分の写真の顔には、例外なく、べそをかいたような表情を見出すのであった。
 彼の蒐集した人形の一つに、メキシコ製の操り人形があった。それは大きな帽子を被った男の人形で、その頭と手足に糸が付けられていて、操れるようになっていた。常望は、その人形の黒く太い眉と褐色の細長い顔が、どことなく、死んだ山本青年に似ているように思えたので、この人形に「山本さん」という名前を付け、幼い時に自分が最初に入手した人形である御所人形の隣に陳列し、出版した山本青年の遺作「時雨雲」をその前に置いて、時々茶菓子を供えた。「時雨雲」は、世間に好評を博し、ほどなく浪曲師の金看板として著名な雲中軒桃助が浪曲に仕立てて全国で演じて回った。その印税は、日露戦争で夫を亡くし、一人息子に先立たれた山本青年の老母の生活を潤した。
 彼は、外国の百貨店の店頭に並んでいるマネキン人形を五体ほど手に入れた。
 いずれも、金色や銀色や栗色など、髪の色も異なり、髪型もそれぞれ異なった鬘をつけたものであった。手足は、胴に根の部分が嵌め込まれていて、ある程度いろいろな向きに変えることができた。マネキン人形はいずれも裸体であって、それぞれのまとうべき洋服は、船便の荷物では別に梱包されていた。
 彼は、マネキン人形にさまざまなポーズをとらせて、デッサンを始めた。彼は、人形の全体像を描くこともあったが、その体の部分、たとえば手の指先や、足のふくらはぎや、耳元といった、体の端部ないし端部に隣接した箇所を拡大して、写実的に模写することを好んだ。彼は、マネキン人形の豊かな髪をたたえる鬘を頭から外して、その西洋的な濃い化粧の瞼から、額を経て、光沢のある真っ白の頭皮に視線を移した時、心臓が早鐘のように打ち始めると共に、痛みを伴うような喜悦を感じた。
 彼はその鬘を自分が被ると、裸の人形に、まず自分の下着を、つぎに自分の制服を着せた。
 彼の服をまとった坊主頭の人形は、まるで少年のようであった。彼はその姿を見ながら、心中で、
「男関係のふしだらな女が、とうとう悔い改めて、女であることを辞めた。」
というストーリーを想像した。そして、その人形を自分の体の下に敷いて、女の決意を称賛する気持で、頭の頂部から愛撫を始めた。
 彼は、次いで人形の洋服をゆっくりと脱がせて行った。
 まず詰襟の制服の襟を緩めて、白く見える肌に右手を差し入れ、左手でほかのボタンを外した。その下の白いシャツも同じように脱がせて行った。そして、ベルトに手をかけて、ズボンのさらに下の下着に震える手を差し入れた。
 彼は、この人形こそが自分であって、人形を称賛しながら愛撫している自分は彼の母親である、という想像をした。
 彼はその想像に至った途端、突然その行為をやめた。そして、そそくさと鬘を外し、人形を元々の形に戻した。彼は、それ以上に行為が進むことは、およそ為すべからざる不道徳なことだと意識していた。
 彼は、若武者の能面のような端正な顔に何の表情を表すことなく、このような行為を、何かの儀式のように、人の寝静まった夜にしばしば行うのであった。そして毎回、突然にその儀式を切り上げてしまうのであった。 
 彼は、思春期の盛りになっても、女性への興味が起こらなかった。彼としては、男性の欲情というのは、女性を生き人形にして弄びたいという、万能感を求めるものであって、それならば何も生きた人間を相手にすることは必要ではないと思っていた。それだけでなく、彼は、自分のような、生まれ出て周囲の者が扱いに困るようなものが生殖によって再度生まれることは、想像するだけで嫌であった。しかも、自分たちの世界では、生殖は、その通常的な在り方においては、周囲の人々の監視の下の公式行事であり、彼らにとって、その家に後継ぎが生まれることや、お后の候補になるべき姫が生まれることや、そもそも何家と何家との間で子供が生まれること自体が、自分たちの利害に関わる関心事であった。つまり、貴人というものは、衆人環視の下で伴侶と床を共にする宿命にあった。それは人間としては、恥ずかしいことにはちがいがなかった。そのため、そういう貴人は、自分の欲望を隠すか、他愛のないものに見えるように形を変えるかして、衆人の目から自身を守らざるを得なかった。高房公爵と母梅子の間のような婚外の男女関係であるとか、あるいは、自分の通う貴人の学校でしばしば噂を聞く同性愛の関係であるとかは、私的なものであったが、それは多くの場合、当人たち以外の周囲の人々にとっては、ありうべからざる迷惑であった。彼は、自分は生き人形として、周囲の人々による人形遊びに使われるのが宿命であって、そういう自分が、通常的でない私的な欲情を断念して、他愛のない人形遊びで満足できていることに、誰にもとやかく言われる筋合いはないと思った。早熟な彼は、自分の人形への執着の意味をこのように理解していた。そして、彼にとって、山本青年のような本気は、この微妙な平和を揺るがすものであった。彼は、その本気が不発弾のようにいつか暴発することを、たぶん無意識のうちに恐れていた。
 彼は、眠るとよく夢を見た。夢には幼い時に経験した光景が現れることが多かった。ことに、六歳の頃、祖母のイトと共に、神戸から汽船に乗って四国の金毘羅権現に参詣した時の光景は、繰り替えし夢に現れた。古来、金毘羅権現に参詣できない人が、自分の身代わりに、奉納品の入った樽を船から海中に投じる、流し樽という儀式があった。樽を拾った人は、金毘羅権現にその樽を届けて、参詣できない人の代参をするという仕来りであった。そうすることで、参詣できない人も、代参した人も、心願がかなうと言われていた。すなわち、流される樽は、参詣できない人の身代わりであった。常望が乗船した時には、特に厳橿公爵の孫である自分のために、漁船が五隻ほど出て、流し樽の儀式を汽船の船上から見せてもらったのであった。奉納の文字を書いた旗の立てられた樽が波間に浮き沈みする有様を、彼は何度も夢に見た。彼は、そのたびに、自分がなぜこの夢を繰り返し見るのか、自問自答するのであったが、答えは見つからなかった。
 常望と深草公爵家との交流は相変わらず続いていた。良房は快活で単純な性格で、屋外の遊戯を好み、常望とは話が合わなくなってきた。公子は、常望の家を訪れた時には、人形遊びの相手、すなわち人形の撮影の助手を務めた。常望は、公子と自分とが父親が同じであることを知っていたが、彼は公子もそれを知っているかは、敢えて確かめようとしたことがなかった。
 常望の母の梅子は、山本青年が死んで間もなく、駐日の外交官のパーティーで知り合ったらしい、英国人の宣教師だという金髪の若い男をしばしば自宅に呼ぶようになった。梅子は常望にその男を紹介したが、常望は彼がしきりに下がかった英語の冗談を自分に聞かせて、笑わせようとするのがいやであった。それに、その男は、伝道師であるのに、一度もバイブルを持参しないのも、常望には不思議であった。その男は、一年ほどすると、本国に帰ると言い出して、紅涙を絞って別れを惜しむ梅子から多額の餞別を受け取った。
 ところが、その後しばらくして、厳橿家の使用人がたまたま休暇で横浜の寄席に入った。その使用人は、舞台の上で、その男が赤い派手なタキシードを着て、手品の芸を見せているのを発見して驚いた。その使用人の報告で、家令の林が手を回して調べたところ、その男は伝道師ではなくて、世界を渡り歩く手品師であることがわかった。彼は多額の餞別をわずかな日にちのうちに博打や女遊びで使ってしまって、本国に帰る旅費もなくなり、やむなく手品師に戻っていたのであった。林は九重公爵と相談し、この男が梅子との関係を日本で口走ることを危惧し、船のチケットを買い与えて、もう一度いくばくかの金銭を持たせて、本国に帰すことにした。林は、彼が船に乗って横浜を離れるのを、港でしっかりと自分の目で見届けた。
梅子は、それからは、ある相撲の力士を贔屓するようになった。その力士は、白星はあまり上げないが、大銀杏の髷が色白の餅肌に似合った、芸者衆にもてる男であった。梅子の父の九重公爵は、力士が相手であれば、決闘事件や詐欺事件の心配もなかろうと、林と相談して、梅子が贔屓になるように段取りしたのであった。
 常望は、九重公爵の希望の通り、学習院を卒業すると、第一高等学校に入学し、将来は大学の法学部に進学することになった。彼は高等学校には正規の試験で合格したのであって、身分への特別な配慮を受けて入学したわけではなかった。
 第一高等学校は本郷の向丘にあった。常望の入学の前年まで校長を勤めた新渡戸稲造の方針で、国際的な教養を身に着け、個人として自立した紳士を育成するという方針で、校内では寮による学生の自治がかなりの範囲で認められた。その自治の中で、一高の学生たるもの、学校には裏口から出入りするべきではなく、全員堂々と必ず正門から出入りするべしという、「正門主義」が標榜され、将来の国を担う人士としての自覚をもった学校の運営がなされていた。
 常望は、公爵家の当主という身分のため、特例として入寮しなかった。本人は入寮を希望したのであったが、九重公爵が文部大臣とそのように取り決めたのであった。
 学習院から一高に進んだ者の中に、下級公家の血を引く船橋と、長州の下級武士で維新の勲功により華族に列せられた元勲の孫である関沢との二名がいた。彼らは、常望の傍に常に付いて、常望にふさわしからぬ学生を接近させないように、言い含められていた。
 そのため、常望は、一高名物の、寮の中でバンカラな先輩が後輩に夜襲をかける「ストーム」も、寮に入っている船橋と関沢から話として聞くだけであった。
 一高生の中には、国権の伸長やアジアとの連帯による欧米への対抗を主張する、いわゆる国士肌の学生が何人もいた。彼らは、常望すなわち厳橿公爵が、当時国粋主義の総帥と目されていた九重公爵の孫であることを知っていて、彼に接近することが、九重公爵に接近することであると考えた。彼らは自分たちの勉強会にしきりに常望を誘った。常望は、自分の名前が政治的に利用されることの危険性を知っていたので、身代わりに船橋や関沢を立てて、彼らとは距離を置いた。
 しかし、身代わりで勉強会に出ていた二人のうち、関沢は会を重ねるごとに、国粋主義を標榜する学生たちの主張に染まって行った。
彼は、学生たちの主張を、つぎのように理解した。
日本の問題は、せっかく明治維新で士農工商の身分を排したはずなのに、その代わりに金権が幅をきかせるようになったところにある。金権の背後には、それを操る欧米の利権がある。国民全員が平等の資格で一つの国家の一員となり、アジアでの欧米の支配を排除し、東洋の盟主となることこそが、日本の貧しい民衆を救済する唯一の道である・・・
ところが、船橋は、関沢と異なり、この主張に染まることはなかった。彼は、彼らの主張のなかに、自分がその中に属している支配層、すなわち華族や旧家を含む名族への反逆を感じた。二人は常望の前で、議論をするようになった。
「関沢、君はいつも、日本の貧しい民衆のためにという言い方をするが、日本の民衆は、おれたち名族の味方なのか?おれは、味方ではないと思う。かといって、敵だという意味ではない。おれたちが良識をもって民衆を支配してこそ、日本が成り立っているということを言いたいのだ。そうしないと、国際協調や近代化とは逆向きの世の中になって、世界から孤立するぞ。日本はこれだけ文明が発達したから、今更鎖国の時代には戻れない。」
「船橋は西洋かぶれしているのではないか?日本の国柄は、輸入した法律なんかで変わるものではない。鹿鳴館を作ったり、憲法を作ったりしたのは、不平等条約を改正するための方便にすぎない。彼らの建前は美しく聞こえるが、植民地で彼らがやっていることは、その建前とは全然違う。阿片戦争を思い出すだけでも明らかだ。」
「日本の国柄というのは、家の制度ではないか。家の中には秩序があり、家と家の間でも秩序がある。皇室を頂点にした家の秩序を支えるのが、皇室の藩屏としてのわれわれ名族の役割だ。それがすなわちお国のためなのだ。」
「おれは民衆あっての国家だと思う。民衆と一口に言うが、親があり、子があり、兄弟があり、人間としてはおれたちと違うところはない。日本国民はみんな一つの家族であるべきだ。」
「おれたちの家族は、まずは、自分の所属する家のことではないのか?おれであれば船橋家であり、君であれば関沢家ではないのか?」
 常望は、二人の果てしのない議論を、いつもは黙って聞いているのであったが、この時彼はつぎのように独り言を呟いた。
「家族って、何だい?」
 船橋と関沢は、常望のこの言葉を聞いて、思わずお互いの顔を見合わせた。
 二人は、常望が、物心のつかないうちに父母と別れて育つ生い立ちであったことを思い出したのだった。関沢は、家族の情というものを知らない常望には、自分の主張は、たとえ言葉では理解しても心の内に響くことはないであろうことを直感した。一方、船橋は、常望には、血筋としては近いはずの名族といえども、それが自分の家族だという意識がなさそうであることに、一抹の不安を覚えた。船橋は、常望が、自分たちの階級の代弁者として頼りにできるような存在とは、どうやらほど遠いことを感じ始めていた。
 常望は、自分はいつも一人であり、望まずして公爵となり、公爵に相応しい振舞いを常に期待される生き人形であり、自分に自由になるのは人形とピアノぐらいだと思っていた。彼には、名族も民衆も、どちらも自分とは隔てのある他人であった。彼は、自分の仕事は周りの振り付けた通りに演じてみせることであり、そのように演じさえすれば、自分の義務は果たしたことになる、それ以上のことは自分の義務ではない、と考えていた。
 彼は第一高等学校から、東京帝国大学法学部に進学した。
 彼が三年の夏休みのことであった。常望は毎年の夏の恒例どおり、葉山の九重家の別荘に滞在した。
 葉山の別荘からは、相模湾が見渡され、夕方には金色の相模湾の、江の島のかなたに沈む夕日が望まれた。
 ある晴れた朝、常望は、江の島まで自転車で遠乗りすることにした。
 彼は、まだ暑くなる前の早朝に別荘を独りで出発して、逗子から鎌倉の材木座の海岸を通り、江の島に向かった。自転車の遠乗りは、常望のたっての希望で、従者なしで行われることが慣例となっていた。彼は、家令の林があらかじめ地元の警察署に連絡して、常望が安全に道中を過ごせるように辻々の交番に手配していることは承知していた。
 彼は、江の島の青銅の鳥居を潜り抜け、石段の前の茶屋に自転車を預けると、石段を昇って社で柏手を打って参拝した。
 それから、山道に入って、江の島の最奥にある岩屋の方に向かった。
 彼は、岩屋の手前の、稚児が淵を見下ろして視界の開けた場所で立ち止まった。
 そこには、江戸時代の漢詩人として著名である服部南郭の詩碑があった。
 詩碑にはつぎのような七言絶句が刻まれていた。

題石壁 服部南郭
風濤石岸鬪鳴雷
直撼樓臺萬丈廻
被髪釣鼇滄海客
三山到處蹴波開

石壁に題す
風濤石岸 闘(あらそ)いて雷を鳴らす
直ちに撼(ふる)わす 楼台の万丈にわたり廻(めぐ)るを 
被髪にて鼇(かめ)を釣る 滄海の客
三山 到る処 波を蹴りて開く

 常望は、この漢詩をノートに書き取ると、別荘に帰ってから和韻を試みようと思った。和韻とは、ある詩に使われている韻と同じ韻の詩を作ることである。南郭のこの詩は灰韻であり、常望は、同じ灰韻を使った詩を作ろうと思ったのである。
 彼は、ノートに書き終えて顔を上げると、一人の若者が山道を神社の方向から歩いて来るのに気が付いた。その若者は、絣の浴衣に夏袴を着け、鳥打帽を被っていた。
常望は、その若者の顔に見覚えがあった。彼は思わずその若者に声を掛けた。
「失敬、君は一高で、たしか理科系の・・・」
 若者は、常望に答えた。
「はい。あっ、君は厳橿君ですね。」
「僕のことを知っていましたか?」
「もちろんです。僕は野村務と言います。」
 常望は、野村という名前を聞いて、彼が一高では理系に籍を置いていて、数学の成績が学校で一番で、天才と噂されている男であることを思い出した。
 常望は、野村の後ろから、手拭いで顔を隠し、地味な深緑色の麻の着物を着て、はだしで下駄を履いている娘が付いて来ているのに気付いた。
 野村は、常望に言った。
「これは僕の姉です。」
「家族で江の島に遊びに来ているんだね。」
「・・・いえ、姉と二人です。」
 野村はこのように言い淀んだが、このままでは、二人の関係が正しく理解されないかもしれないと考え、思い切って話し始めた。
「すでに噂はお耳に入っているのではと存じますが・・・」
「君が数学の天才だということは聞いているが・・・」
「・・・たぶん噂がいずれお耳に入ることでしょうから、隠し立てしないでお話いたします。姉は、昨日は紋日で休みだったので、江の島で僕と会うことにしたんです。」
「紋日、というと・・・?」
「姉は藤沢の芸者置屋におります。花柳界では、休みの日を紋日というのです。今日の午後三時ぐらいまでに店に帰ればよいことになっているので、こうして江の島を散策しているのです。昼前には置屋の男衆が迎えに来ます。」
野村は、ためらいながら、小さな声で付け足した。
「僕の学費は姉が芸者になったお金なのです」。
 野村の姉は、手拭いを外すと、常望に深く頭を下げると、頭を上げないまま数歩下がった。常望の目には、一瞬だけその女の白い額だけが映った。彼は、彼女の姿に、文楽で遣われる、娘の操り人形を想像した。
「姉は厳橿君にお目通りが叶うような者ではございません。どうか失礼をお許しください。」
「そんなことは気にしなくていい。君は苦学生だね。自分は知らなかった。」
「僕は姉のお蔭で勉強していますが、早く姉を今の境涯から出してやりたいと思っています。姉のいる置屋の主人は、僕が医者になって遊郭相手の産婦人科病院を開業するのであれば、その時には開業資金を応援するし、姉を返してもいいと言って来ました。自分は、今から医学部に転部しようかと考えています。」
「君は数学者にならないのか?」
「僕の父母はもう他界していますので、姉だけが身寄りなのです。僕の家は、元は小田原藩の足軽でしたが、明治になって家禄を失ってからは、わずかな地面を手に入れて茶の栽培をしていました。僕が子供の頃に父が他界してから、その地面を切り売りして生活していたのですが、四年前に母が亡くなってからとうとうそのお金も底をついてしまって、借金をする羽目になり、結局金貸しの差配で、姉が芸者になることになったのです。置屋から前借したお金で金貸しの方の借金を返すと、少しばかり残りましたので、それが僕の学費になっています。姉は、僕が志を遂げるために芸者になったのだから、それを貫いてほしいと言うのですが・・・」
 常望は、その話を聞いて、野村の姉弟に、普段感じたことのないような親近感を覚えていた。彼は言った。
「実は、僕の血の繋がった祖母は、花柳界の出身なんだ。その兄が幕末の志士で、その志を遂げさせるために、君のお姉さんと同じ境涯に入ったんだ。このことは祖父の伝記に遠回しに書いてあることで、華族の世界ではみんな知っていることだから、何も隠し立てすることでもない。お姉さん、頭を上げて、こちらへいらっしゃい。」
 野村の姉は、下げ続けていた頭をゆらりと上げると、野村の背後に近寄った。彼女が背中を伸ばすと、初めの印象とは異なり、背が野村と同じ位で、女性としては高い方であった。その顔はやや長く、大きめの目は二重瞼であった。常望は、もう何年もお客に笑みを見せて商売してきたと思われる彼女の目が、この場所ではない、遠いかなたに視線を向けている印象を与えるのを覚えた。彼女は、常望に対して、初対面の客に対して普段するように仕込まれている芸者流の挨拶をしてよいかどうか迷って、ぎこちない表情をしていた。
「野村君、お姉さんの名はなんというの?」
「サキと言います。」
「サキさん、遠慮はいらないから。普通にしていればいいんだ。」
「姉さん、この方は厳橿公爵閣下で、一高でおれと同級だった方だ。ただの学生とは全然違うご身分なんだ。」
 サキは遠慮しながら口を開いた。
「・・・弟がお世話になっております。恥ずかしいお話をお聞かせいたしまして、お耳汚しでございました。」
「自分の話は聞こえたでしょう。あなたは自分の祖母と同じ境涯なのだから。」
「畏れ多いことでございます。同じなどとは、とんでもございません。」
「そろそろ十時だ。昼前に迎えが来るんでしょう。野村君、折角だから、みんなで岩屋を見物して、そこから船が出ているから、それで島の入り口まで戻ろう。」
 江の島の岩屋とは、海岸に口を開いた洞窟で、昔は修行者が洞内で修行をしたと伝えられ、奥には祠が祭られていた。三人は案内人から紙燭を借りて、奥に入るに連れて暗さを増す洞内に入り、祠に参拝すると、また同じ道をたどって洞窟の入り口に戻った。そして一同は洞窟の入り口で客待ちをしていた渡船に乗った。
 常望が言った。
「今日は波が静かだから、船が揺れなくていい。サキさん、船に乗ったのは初めて?」
「いえ、お客様のお伴で何度か。御前様は?」
「サキさん、爵位がある人は御前様と呼ぶように教わっているんだろうけれど、僕にはそんな呼び方をしなくていいんだ。僕は池でボートを乗ったり、小さい頃には瀬戸内海を汽船で渡ったり、何度か船には乗っている。」
 その時、一つ大きな波が船を揺すり、しぶきが三人の方に懸かってきた。
 サキは、船端に近い常望の前に自分の体を差し入れて、しぶきが常望に懸かるのを防ごうとした。すると途端にしぶきがサキの顔にかかり、その拍子にサキが抱えていた風呂敷包が海に落ちた。
「あっ、姉さん・・・」
「船頭に拾わせよう。」
 常望は船尾で櫓を操る船頭に、船を止めて風呂敷包みを拾うように命じた。
 薄紫色の風呂敷包は、波間を漂って、浮いたり沈んだりした。
 常望は、この有様を見て、夢で見た金毘羅権現に奉納する樽も、丁度このようであったのを思い出した。
 船頭は手慣れた様子で、竹竿をたぐって風呂敷包みを引き揚げた。
「まことにあいすみません。わたしの不注意で、ご迷惑をおかけしました。中身は大したものはなかったのに、申し訳ございません。」
「いや、自分が濡れないように防いでくれたのだから、申し訳ないのは自分の方だ。」
「姉さん、和歌のノートが助かってよかったじゃないか。」
 常望はサキに尋ねた。
「サキさんは和歌を詠むの?」
「はい。置屋の方で、日本画の稽古がありまして、そこに何か文字を書き添えると風流が増しますので、詠むようになりました。」
「ふうん、どんな和歌を作ったのかい?」
 サキはもじもじして、なかなか答えなかったので、野村が促した。
「姉さん、きのう作ったのでいいから、申しあげてみて。」
 そこでサキは、歌で鍛えた、普段の話声より幾分高い美声で朗詠した。

 寄せ返す 夏の渚の思ひ出は 黄金の波に 浮かぶ島影

「サキさん、きれいな詠み口ですね。自分もノートに書き取っておきましょう。そうだ、サキさん、僕のノートに書いてくれますか?」
 サキは、常望の差し出すノートの一ページを使って、彼の万年筆を使って、大きな行書体の文字で、自詠を書いた。
 彼女は、歌の次に、「玉龍」と添えた。
「玉龍というのは?」
「わたしの源氏名です。相模楼の玉龍と申します。いつもこのように源氏名を添えるので、今もつい添えてしまいました。」
「姉は藤沢で一、二を争う名妓玉龍で通っているんです。だから紋日明けにわざわざ男衆がここまで迎えに来るんです。」
「それならば、その相模楼の座敷で玉龍さんを呼べば、会うことができるのか?」
「それは厳橿君ならばできるでしょう。玉龍の花代は二時間で警察官の月給と同じだとうかがっています。私は座敷で姉と会ったことはありません。たぶん、座敷では今とは全く違う様子で現われはずです。」
「その花代で野村君の学費が出るのではないか?」
「いえ、それは置屋と衣装を調達する呉服屋がほとんどとってしまいますので、姉にはほとんど渡ることはないのです。」
「ああ、そういうものなのか・・・」
「若様、恥ずかしいですから、わたしをお座敷に呼んだりはなさらないでください。どう振舞ってよいかわからなくなってしまいます。」
 常望は、サキの目を見て言った。
「踊りを踊って、歌ってくれれば、それだけでいい、と言ったら?」
「それだけならば、何とか勤まるとは思いますが・・・・やはり、恥ずかしいです。」
「野村君、それならば、どうすればサキさんとまた会えるのか?」
 野村は、常望の言葉にはっと気が付いて、動揺した。
「厳橿君、僕が姉をあなたに紹介したことが、大学やあなたのお取り巻きに知られたら、大変なことになってしまう。お願いです。三人で会ったことは、なかったことにしていただけないでしょうか?」
 常望が尋ねた。
「サキさんも、それでいいのですか?」
 サキは、黙って頷いた。彼女の耳の根は紅潮していた。
「わかりました。自分は生まれてからこのかた、およそ人との縁が薄いので、こういうことは慣れています。サキさんが書いた和歌を、サキさんの身代わりと思って大切にします。だから、サキさんも、これを受け取ってください。」
 常望は、万年筆をサキに差し出した。
 サキと野村はしばらく顔を見合わせていたが、やがて野村が受け取るようにサキに促した。
 サキは、右の袂を袱紗代わりに両手で広げて、万年筆を丁寧に受け取った。
「わたしのような者には、まことにもったいないことで、ありがとうございます。」
 間もなく渡船は江の島の入り口に到着した。
 常望は先に岸壁に上がると、自分の右手でサキの右手をとって、岸壁に引き上げた。
 サキは岸壁に上がると、常望の放した自分の右手を、左の掌で大事そうに包んでそっと胸に当てた。
 常望はサキに言った。
「ご縁があれば、またお目にかかりましょう。」
 サキは、いつも遠方に向けているように見える視線を、常望の目に合わせて言った。
「お目にかかることはもうたぶんございませんが、どうかご息災にお過ごしくださいませ。」
 サキは迎えの人力車に乗り込んだ。車夫が梶棒を上げて車を出すと、野村はほかの男衆と一緒に人力車について歩いて行った。
 常望は、またいつものように、親しくなりかけた人が自分から離れて行く寂しさを、諦めの気持ちで味わった。
 彼は、また自転車に乗って夕刻に別荘に戻ると、平常の生活のリズムに自分を預けることにした。
 彼は、入浴と独りの夕食を済ませると、服部南郭の漢詩への和韻を行うことにした。
 彼は韻書と漢和辞典とを繰りながら一時間ほどかけて、つぎのような漢詩を仕上げた。

江嶋
  和服部南郭先生題石壁 押灰韻
仙靈感應白龍堆
衆庶稱揚其辯才
詩客逍遥鍾愛處
金波灣内擁蓬莱

江の島
服部南郭先生の石壁に題するに和す
仙霊感応し 白龍うずたかし
衆庶称揚す その弁才を
詩客逍遥す 鍾愛の処
金波 湾内に 蓬莱を擁す

 午後九時前に、常望の部屋を家令の林が訪ねた。林は一日一回は当主と顔を合わせることになっていて、前日から財政関係の事務処理で東京に一旦戻っていた林がその日に常望と合わせるのは初めてであった。
 林が東京での事務の進捗について要点を常望に報告した後、常望はつぎのように切り出した。
「林、ところで一つ尋ねたいことがあるんだ。九重公爵は、東洋育英財団の理事長を勤めておられると聞いているが、どのような財団なのか?」
「はあ、成績の優秀な学生に奨学金を貸し付けております。」
「その財団には当家も資金を出しているのか?」
「はい、先代様の時にご案内がございまして、出資口がたしか十口のうち、一口を出しています。九重家がたしか五口、あとは九重家のご親戚筋が一口ずつお出しになっています。」
「数学を専攻する学生にも貸し付けはできるのか?」
「はい、財団でお願いしている先生方による評議会で認定すれば、できるはずでございます。」
「大学卒業までの学費と生活費相当の貸し付けになるのか?」
「先日小生が当家の代理として財団の会議に伺った時にお聞きした話では、費目は分けないで、総額でいくらと決めて、月額に分割して出るはずでございます。」
「自分の推薦の学生であればどうか?」
「まずは認定から外れることもございますまいが、お心当たりの方がおられるのでございましょうか?」
「数学の天才が高等学校の同窓にいるのであるが、資金的に困っていて、進路を変えようと悩んでいると聞いた。」
「恐れながら、学校の同輩の方をご推薦遊ばすこととなりますと、下々に申す、いわゆる、一人が二人になり、といったことも考慮にお入れ遊ばすことが肝要かと存じます。」
「自分がこれまで林に折り入って頼んだ事は、ロシアの王女がかつてお持ちであった機械仕掛けの人形を探してもらったことぐらいしかないではないか。決して野放図に対象を広げることはない。このまま進路を変えてしまうのは、わが国の損失と思うから、手配を頼んでいるのだ。野村務という者で、帝大で数学を専攻している。ぜひ生活の苦労をさせずに、大成させてやりたい。育英財団は、厳橿の名前が表には出ていないから、二匹目の泥鰌を狙って自分に接近する者も現れないであろう。」
「尊いお志と拝察し、ご趣旨承りました。財団と相談して、手配を試みます。」
 常望は、野村へのこのような肩入れは、自分が漢詩で表現したように、類まれなる才能を惜しむからであって、決してサキがその動機になっているのではない、と自分に言い聞かせた。
 翌日、常望は出入りの美術商の備前屋に電話をかけて、文楽で遣う娘の操り人形を何体か持参して自分に選ばせるように依頼した。備前屋は、文楽人形は市場にはなかなか出物がないので、少し時間をもらいたい、徳島県あたりを探してみる、と答えた。 
 その次の土曜日の夕方には、和泉財閥が大磯に新築した別邸の披露パーティーがあり、常望は招待を受けた。
 別邸は、大磯の小動の海岸より少し西の浜辺から後ろの山にかけての、漁村が一つすっぽり入りそうな広大な敷地を有していた。その敷地内には、洋館と日本家屋があり、建物の南側に西洋庭園と日本庭園が広がり、その先が砂浜になっていた。
 西洋庭園のパーゴラには、主賓の席が設けられていた。
 庭園には立食の用意がなされ、あちらこちらにおでんやかき氷といった模擬店が配置されていた。
 主賓は駐日英国大使で、常望の席はその隣に用意された。
 当主の挨拶、大使の答辞等の儀式が終わると、食事が始まり、英国大使は常望にしきりに英国への留学を勧めた。やがて常望は、頃合いを見計らって、いつものようにそっとメインテーブルを離れて、三百人ほどの招待客のさんざめく庭園を抜けて、浜辺に出た。
 常望は、相模湾に沈む夕日に赤く染まる山並みを見て、しばらく浜辺のベンチに座っていた。
 常望は、浜辺に一人先客がいるのに気が付いた。それは和服の婦人のようであったが、常望が浜辺に現われると避けるかのように庭園に戻って行ったので、常望はその顔を見ることはできなかった。
 彼は、その婦人が立ち去った浜辺でしばらく紫色に変わって行く空の色を眺めてから、ベンチから立ち上がると、庭園に戻った。
 彼は、庭園の模擬店の間に、手品師や曲芸師が芸を披露しているのを横目で見ていたが、やがて、席画の芸を見せている机の前で立ち止まった。
 席画とは、客の注文で即席の日本画を描くものであった。
 席画の芸を見せているのは、島田に結った芸者風の婦人であった。
 常望は、その婦人が先ほど浜辺で見た婦人ではないかと思って、見物客の肩越しに覗いて、その婦人の顔を見て、心の中であっと小さな声を上げた。
 それはサキ、すなわち、藤沢の芸者玉龍であった。
 その婦人の姿をじっと見つめる常望に、相模楼の文字のある法被を着た、玉龍の付き添いの若い衆が声をかけた。
「若旦那、ご希望があれば、この玉龍に絵を描かせますから、ひとつ、おっしゃってみてください。」
 その時、玉龍は机から顔を上げて、常望の顔を見たが、彼女は驚く風も見せなかった。
 常望も、人前ではいつもそうであるが、表情を変えることなく、玉龍に言った。
「それならば、大磯の夏の夕景色を。」
 玉龍は小さく頷くと、紙の上に、まず紫で空を塗り、その下に黒で山々を描くと、その上を山の輪郭に合わせるように朱色で彩った。そして濃い藍色で海を塗ると、一艘の船を添えた。その船は、常望には、江の島で乗った渡船のように思えた。
 絵は十分もかからないうちに出来上がった。
 玉龍は、絵を描き終わると、余白につぎのような歌を、御家流の草書で書き添えた。

むらさきに くるるなぎさを ながめつつ ふねにゆらるる かのひしのばむ

 相模楼の若い衆は、玉龍が絵を描いている間に、この別荘の使用人に尋ねてこの客の身元の確認を済ませていた。
「若旦那、この絵は後で表具を付けて、葉山のお屋敷にお届けしやす。葉山から藤沢は近うござんすから、ぜひ一度、相模楼にご登楼あすばして、玉龍をお召しになりますよう、お待ち申しあげておりやす。」
 常望は、黙って頷くと、玉龍に向かって、
「ありがとう。」
と一言だけ言葉をかけた。
 玉龍も、
「ありがとう存じます。」
と一言だけ返した。
 二人の目が合ったのは、玉龍が深い礼をしてから顔を上げたほんの一瞬だけであった。
 常望は、その場を立ち去りながら、やはりこの人ともすれ違ったのだなと思った。彼は、およそ人との縁の薄い自分の宿命を、これほどさびしく思ったことはなかった。
 それから数日して、常望が人形の探索を依頼していた美術商備前屋が、唐草模様の大きな風呂敷包みを背負って、葉山の常望のもとを訪ねた。
「文楽人形をやっと手に入れましてございます。大阪の同業者に頼んで、淡路島まで渡ってもらって、人形遣いで後継ぎなしに亡くなった者のゆかりをやっと探し出して、譲ってもらったものでございます。急行できのう横浜まで送って来たので、今しがた自分が受け取って、早速持参いたしました次第でございます。」
 備前屋が唐草の風呂敷を解いて、古びた木製の箱を開けると、まず桃割れを結った娘のかしらが現れ、そして黄八丈らしい着物をまとった胴体が続いた。
「まったく、値段は大阪の方から法外な金額をふっかけられまして、あまりお勉強さしあげることがむずかしゅうございます。春にお買い上げのフランス人形と同じぐらいの値段を申し受けとう存じます。お気に召さないようであれば、自分がかついでこのまま大阪まで返しに出向きますが、なかなか出回らない代物でございますので・・・」
「春に買ったのと同じ値段だな。僕は承知なので、後で林から代金を受け取ってくれ。人形は置いて行ってもらえるね。」
「お代をいただければ、もちろん置いてまいります。家令の林様には、人形の二、三体の値段を足し合わせると、生きた人形を一人、置屋から引かせる方が安いぐらいだとおっしゃいますので、またお叱りをうけるかもしれませんな。ははは・・・」
 常望は、その言葉を聞いて少し黙って考えていたが、やがて口を開いた。
「備前屋、生き人形を引かせる云々と言ったが、おまえはそういうことをしたことがあるのか?」
 備前屋は、禿げあがった額をかがやかせるかのように赤くなって、照れながら答えた。
「はあ、向島に一人、囲ってございます。」
「生きた人形を商っているのか?」
「それは古物商とはまた別の鑑札がございませんと・・・それに、あれを売り物にする気はございませんので・・・元は芸者でございましたのを、落籍と申しまして、前借金に多少足し前をした金を置屋に渡して、引退させたのでございます。」
「つまり、人を一人、自分の別宅に住まわせているということだな。それならば、もう一人預かるということはできるか?」
 備前屋の表情がこわばった。
「若様、お話によってはお引き受けしないでもございませんが、林様から叱られることはいたしかねますので・・・」
「これはわが国のために必要なことなのだ。帝大に数学の天才と言われる男がいるのだが、その姉が藤沢で芸者をしていて、その者の暮らしを立てるために、数学の道を諦めるかもしれないのだ。僕はそれが惜しくて、援助をしてやりたいのだ。」
「はあ、それで、その芸者をどうされるおつもりで、その・・・若様がお囲いになるのでございましょうか?」
「そのような話ではない。しばらくおまえが預かって、何か職業を探してやってほしい。自分が金主だということは、絶対に内緒にしてもらいたい。もちろん、他言は無用だ。」
「身請けのお金は、林様がお出しになることをご承知になりますでしょうか?」
「今できの安手の人形を三体ほど持ってくれば、高く買い上げるつもりだが、それでどうか?林には人形の値段はわからないからな。そうだ、もしも話に乗ってくれるのならば、手付の印に、後ろに懸かっている藤原佐理の掛け軸をおまえにやろう。林の眼はこういう飾り物には届いていないから、大丈夫だ。」
 備前屋は驚いて答えた。
「このお軸の値段だけで、芸者を一人引いて十分にお釣りが出ます。お人形を別にお納めする必要はございません。これだけのお品物、備前屋は長く商いをしておりますが、手にしたことはこれまでございません。いやはや、光栄の限りに存じます。」
 備前屋は、思いがけない話の成り行きに喜びを隠せず、彼の話には勢いがついた。
「さっそくの段取りでございますが、置屋に一見の客がいきなり切り出すとうまくゆきませんので、まずはつてを探してみましょう。首尾よく行きましたらば、向島の別宅ではむこうが悋気を起こしかねませんので、どこか下町に借家を探して住まわせましょう。この備前屋は、指一本触れないことをお約束いたします。委細はてまえが塩梅よく取り計らいますので、ご安心ください。」
 常望は備前屋に、相模楼の玉龍という名前を伝えてから、床の間の掛け軸をはずして渡した。
      七
 東京の築地は、明治の初めに外国人の居留地とされ、洋館や教会が早くから立ち並んだ街であった。もちろん、短期的に日本に滞在する外国人のためのホテルも開業していた。
 その後、築地は外国人居留地としてはそれほど発展しなかったが、その名残で、商用の外国人向けのホテルが一軒、カメヤホテルという看板を掲げて営業し続けていた。
 カメヤホテルは、商用のホテルなので、建物も広壮なものではなかったが、一応ロビーも食堂もあった。お客は西洋人が多かったが、ホテルの営業が純西洋式であってしかも値段が手ごろであることから、洋行帰りやハイカラ好みの日本人の客もあった。
 サキは、藤沢の芸者置屋から、備前屋によって落籍されて、築地の借家に居住させられていた。備前屋は旦那としては変わっていて、サキをいつも上座の座布団に座らせて、自分は下座で燻し銀の煙管をくゆらせながら世間話をするだけで、泊まることはなかった。彼はいつも、
「向島が悋気を起こしてならねえから、こっちは煙草一服だけにしておくぜ。」
と言って、帰って行くのであった。サキは、備前屋には藤沢では三度ほど座敷に呼ばれただけなのに、どうしてこの男が自分を落籍したのか、不思議であった。
 やがて備前屋は、この築地のホテルの女給の仕事を探してきた。それは、備前屋が、サキが女学校出であることを知って、試しに英字新聞を持ってきたところ、彼女がだいたいの意味を読み取れることがわかったので、英語が多少でもわかる女給を探していたこのホテルの仕事を斡旋したのであった。
 サキのホテルでの仕事は、午後三時から深夜までで、フロントでのチェックインの補助や、宿泊客の切符の手配や買い物や郵便物発送の手伝いなどと取り決められた。ホテルとしては、サキを看板娘にするつもりであり、なるべく宿泊客の眼に触れる場所で働かせることにしたのであった。
 ホテルの仕事の斡旋は、備前屋が独断で進めたものではなかった。この半年間、彼は、常望に、相模楼にわたりをつけ、一番の売れっ子であった玉龍ことサキを宴席に呼び、そして彼女を落籍して借家に住まわせるまでの過程の一部始終を報告していた。ホテルの仕事も、備前屋が見つけたいくつかの仕事から、常望が選んだものであった。一方で備前屋は、常望から落籍の費用見合いで受け取った藤原佐理の掛け軸を、関西の財閥に費用の倍以上の金額で転売していた。
 備前屋は、自分の背後に常望がいることを、サキには話さなかった。
 常望はその年の春に大学を卒業して、内務省勤務の高等官となっていた。
 常望は、備前屋にサキを落籍するように依頼して以降、一度もサキに会ったことはなかった。彼は、備前屋からの報告を聞くだけで十分と思っていて、自分の思惑の通りに事が運ぶことに満足していた。備前屋が常望に、築地の借家を案内するから、お忍びで少しでもサキをご覧にならないかと申し出たが、常望は、
「いや、その必要はない。何もおのれの色好みでこのようなことをしているわけではないのだ。」
と答えた。
 常望は、備前屋から夏に買った文楽の人形に、サキエという名前を付けていた。彼は人形のかしらの操り方を研究して、自分と対話するような形を何とかさせるまでになった。時々のはずみで、からくりがくるっと動いて、人形の頭が目を向いた化け物の表情になることがあったが、常望はその表情をかわいいと思った。自分には、生きたサキよりも、命の通わない人形のサキエの方が、自分の思うままになるからいいのだと思い込もうとした。
 彼は、文楽人形は、マネキン人形のように、自分の秘密の儀式に使うことが物理的にできないことにすぐに気が付いた。彼は、文楽人形の中でもっとも美しいと思った、その手の先を克明にデッサンした。この手の先は、かつて人形遣いの遣い方ひとつで、喜怒哀楽の様々な表情を語ってきたはずであり、彼は手の先の語る表情を想像しながら、何通りものデッサンを描いた。図柄は、たいていは手の先をかしらと取り合わせたもので、彼は、指で瞼を押さえたり、鬢を撫でたり、項に触れたりといった構図を次々にこしらえては、黙々と、誰も見ることのないはずの絵を描くことに没頭した。
 彼は、デッサンをしながら、その絵のかしらの表情が、人形のサキエではなくて生きているサキのそれにおのずと似てくることに気が付いた。彼は、意識の上では、自分はおよそ他人との縁に望みを持っていないと思っていたが、自分の描いた絵を見て、自分の内心はそのような意識に徹しているわけではないことに気が付き、苦笑した。それでも、彼はお忍びでサキを見に行くことには躊躇を覚えた。
 サキは、三月からホテルでの仕事を始めた。彼女は、洋服を着て出勤し、午後三時ごろから、宿泊客のチェックインに際して、フロントで予約の確認をして、チェックインの終わった宿泊客を部屋まで案内した。
 彼女の最大の仕事は、夕食後に宿泊客に席画の芸を見せることであった。
 さして大きくないこのホテルでは、夕食時間は午後七時から約一時間と決まっていて、食事が終わると多くの宿泊客はロビーで寛いだ。彼女は、その食後の時間に、席画の芸をして、宿泊客の注文する日本画を描いた。彼女が富士や芦ノ湖や清水寺といった日本の名所をすらすらと描いて、最後にローマ字でTAMARYUと署名すると、外国人の宿泊客は感嘆して、彼女にチップをはずんだ。チップはホテルとの取り決めで、ホテルと彼女とで折半することになっていた。
彼女は、五月ごろになって、ある程度仕事に慣れて来て気持ちに余裕ができたところで、昨年の夏以来の一連のできごと、すなわち、自分が十一月に落籍されたことに加え、二月になって弟に東洋育英財団というところから思いがけず奨学金が出たこと、備前屋が自分には全く手を出す気配がないこと、これらの事実をつなげて考えるようになった。そして、備前屋は誰かの指図で自分を預かっているのではないか、と思い当たった。彼女としては根拠がないながらも、江の島で会った厳橿公爵がその人ではないかと、半ば願望を籠めて想像した。しかし、彼女は、それならば、自分を備前屋に預けた人は自分の様子を見に来るはずではないかとも思った。彼女は、自分をそっと見に来ている、それらしい人物がいないか、ホテルでも自宅でもまわりに注意していたが、そのような人物は見当たらなかった。それに、厳橿公爵のような若い貴公子が、芸者を落籍させて囲うような、年寄り臭いことをするだろうかという疑問も湧くのであった。彼女は、常望が江の島で渡船から手をとって自分を引き揚げてくれたときの感触を、時々思い出していた。そして、大磯の財閥の別荘開きの日に、席画の模擬店に常望が表れた時を思い出した。彼女は、その時には、常望には、芸者という商売人として、自分の素の気持ちを隠したままで芸だけを見せて、私的な言葉をかけるようなことは避けたのであった。彼女はそのことを悔いる気持ちの一方で、たとえその時に何か言葉をかけても、商売人の愛想のように受け止められたかもしれないという気もした。このように、彼女が日々自分の身の上の不思議を思う時、彼女の意識は自ずと常望に至るのであった。しかし彼女の意識に上る常望は、わずかな時間顔を合わせていた記憶以上には実体のないもので、しかも身分が全く自分と異なる貴公子であり、彼女には思い続ける甲斐がないようにも思えるのであった。
サキが勤務するカメヤホテルは、軽井沢に夏の間だけ開業する外国人向けのロッジの運営の一部を受託することになった。ホテルは、七月と八月の二か月間、接客要員を十日間交代で派遣することとなり、サキは七月の下旬の十日間ロッジに派遣されることになった。それは、ホテルで仕事を初めて間もない従業員としては異例のことではあったが、サキの外国人の接遇がすぐれていることが雇い主にすでに認められていたからであった。サキは藤沢で一番の売れっ子芸者であったから、客あしらいはお手のものであり、外国人にもその手際を応用することは容易であった。
彼女が二か月間軽井沢で勤務することについては、このところ築地には無沙汰をしている備前屋はあずかり知らなかった。備前屋は、彼女がカメヤホテルから自分の店の若手の番頭よりも高い給金を貰うようになったので、彼女への経済的援助は五月を最後にやめたのであった。彼女は住まいの家賃も自分の給金とチップの分配金でまかなった。備前屋が知らないことは、常望はもちろん知ることはできなかった。
八月になって、常望は勤務先から休暇をとって、母の梅子と、軽井沢の三笠ホテルに逗留した。山本青年の拳銃事件のあった厳樫公爵の軽井沢別邸は、いずれ売却に出すつもりで引き払っていたが、結局事件の後も買い手を探すことなく、空き家のままにしていた。三笠ホテルには、毎年の常連である深草公爵家の人々も滞在していた。ただし深草公爵当人は台湾赴任中で、軽井沢には来ていなかった。
上流階級がこぞって軽井沢を訪れる目的のひとつは、日本に滞在する主要な外国人との社交であった。アジアに赴任した多くの外国人は、暑い夏の間はそれぞれの任地で避暑に適した場所を探して、二か月近くをそこで逗留することとしていて、日本に滞在する外国人も同様であった。軽井沢の外国人は、大使館や公使館の別荘があればそれを使ったり、貸別荘を借りたり、ロッジやホテルに宿泊した。
常望は、祖父の九重公爵から政治方面での将来を嘱望されていたので、彼の周りでは彼がいろいろな国の外国人と交際するように取り計らった。
軽井沢に滞在する外国人の中に、ベルギーの貴族の出身で、駐日公使の秘書をしている、アルフォンス・ド・オルムザンという若者は、常望や、深草家の良房や公子と仲良くなった。彼は、常望と年齢が近かったうえに、常望たち三人がフランス語に堪能であったので、三人に殊更親近感を持ったのであった。彼らは一緒にテニスをしたり、ボートを漕いだり、カードで遊んだりした。アルフォンスは外国人向けのロッジに滞在していて、彼は毎日のように三笠ホテルに出向いて来るのであった。
しかしながら、常望の見るところ、アルフォンスの最大の目当ては、公子であった。常望のとっては、公子はまだ子供であったが、よその青年から見れば、娘盛りに入ったばかりの美しい姫君であった。アルフォンスは、ボードレールの文体に似せた詩を作って、戸外の緑陰で公子に読んで聞かせた。
ある小雨の降る日に、常望はふと思い立って、アルフォンスにフランス語の本を数冊借りようと思った。常望は、使用人を連れないで、一人で地図を片手に、アルフォンスの宿泊しているロッジに向かった。
彼がロッジに着くと、アルフォンスは上司の公使に呼ばれて出かけていて、留守であった。小一時間で戻るだろうとのことであったので、彼は空いているロッジの一室で休息することにした。
彼がその部屋に入って間もなく、扉をノックする音が聞こえて、
「失礼いたします。お洋服が濡れておられるようですので、タオルをお持ちいたしました。」
という女性従業員の声がした。
 常望が
「どうぞ」
と答えると、扉を開けて明るい灰色の質素な洋服を着た女性従業員が入ってきた。
 常望は椅子から立ち上がり、タオルを受け取ろうとして、その女性従業員の顔を見て、あっと驚いた。
 女性従業員も、常望のその様子で、あらためて目の前のお客の顔を見た。
「常望様・・・」
「サキさん・・・サキさんだね。」
「はい、野村の姉のサキでございます。」
「どうしてここに?」
「私は築地のカメヤホテルから、夏の間こちらに手伝いにまいっているのです。」
 常望は、備前屋からそのような話を聞いていなかった。
 サキは続けた。
「私が藤沢の相模楼から引かれて、カメヤホテルで働いていることは、ご存知でいらっしゃいましたでしょうか?」
 常望は、嘘をつくということはしたことがないので、正直に答えた。
「それは備前屋から聞いて知っていた。」
 サキは、これまで自分が抱いていた疑問の答えを確かめたい衝動にかられて、続けた。
「私は、備前屋の旦那さんが一存で進めたとは思っておりません。若様のご指図があったのではないでしょうか?」
 常望は、答えてよいか逡巡し、少し考えた末に答えた。
「そうだよ。お察しのとおりだ。」
「お指図をなさりながら、なぜ私をご覧になりにお越しにならなかったのでしょうか?」
「弟さんが数学を続けるようにすることが、お国のためになると思ってやったことだ。それ以外の意図はない。」
 サキは常望の手にタオルを残して、一歩引き下がり、深くお辞儀をした。
「若様、まことに失礼いたしました。弟のために、ありがとうございます。」
 常望は軽く頷いた。
 サキは続けた。
「私のような者は、ご恩の万分の一もお返しすることはできませんが、自分のできることは何でもいたします。」
「そんなことはよいのだ。あなたとは一生会うこともないと思っていたのだから。」
 サキはその言葉を聞いて、常望にその場でどうしても確かめたいことがあると思った。
「若様、私とお会いになりたくはなかったのですか?」
 常望は、答える言葉を咄嗟に見つけることができなかった。
 サキは続けた。
「江の島で若様にお目にかかることができましたのは、もちろん私には分不相応のことでした。ですから、大磯の席画のお客様としてお見えになった時は、なれなれしく思し召しにならないように努めておりました。ですがその時、本当に若様は私のことにお気づきになられたのか、確信が持てませんでした。」
 サキは、自分の言葉に次第に抑えが利かなくなりつつあることに気付きながら、なおも続けた。
「私は、備前屋の旦那さんの後ろには、若様がきっとおられるに違いない、そう信じて、それを頼りに、ここ半年の運命に耐えてきたのです。若様、私には本当にお会いになりたくはなかったのですか?」
 常望が口を開いた。
「僕は他人との縁が生まれつき薄いのだ。誰かと親しくなっても、何らかの事情で離れて行ってしまうのがあたりまえなのだ。だから、」
 常望はややためらった後、言葉を継いだ。
「だから、悲しい思いをしたくないから、サキさんにも会いたくなかったのだ。」
 サキは思わず呟いた。
「かわいそうなお方・・・」
 常望が言った。
「自分のことをそのように言われたのは初めてだ。こういう時には、どういう顔をすればよいのだろうか?」
 常望は、これまで人前で崩したことのない、能面のような端正な顔に、寂しげな笑いをわずかに浮かべた。
 サキが言った。
「人というものは、いつかは別れる運命にあります。だからこそ、惹かれ合うのではないでしょうか?おたがいを慈しみあいたいのではないでしょうか?悲しい思いをするからといって、人と親しくなるのをご遠慮なさる必要はないのではないでしょうか?」
「それは、われわれの世界では、歌や絵の世界だけで対処しているのだ。」
「それで、私のことも対処されたのですね。」
 サキは、「対処」という言葉をきっかけに、急に悲しい気持ちが胸にせき上げて来て、やがて、顔を覆って、声を押し殺しながら泣き出した。
 常望は、自分の面前で人が泣くのを生まれて初めて見た。
「ああ、サキさん、そうではない。そうではないよ。泣かせてしまって、ごめん。」
 常望は、自分が生まれて初めて人に謝ったことに気が付いた。
「若様は、謝る必要はございません。それは若様には他にはいたしかたなかったことでございます。私は、自分がしなくてはならないお礼が何であるか、わかりました。」
 サキは涙を拭って、常望の眼を見て言った。
「私は、若様にお目にかかることがたとえできなくなっても、いつも若様のお伴をいたします。別れていても、心でお伴をいたします。ずっと、そのようにいたします。もう若様はおひとりではありません。」
 常望はその言葉を聞いて、自分が経験したことのない熱いものが胸に突き上げるのを感じた。
「もう僕はひとりではないのか?たとえ会うことができないとしても?」
「そのとおりです。」
「ありがとう。そのように言ってもらったのは、生まれて初めてです。その言葉だけでうれしいです。」
 常望の口から、社交儀礼ではなくお礼の言葉が流れ出たのも、初めてのことであった。
 サキは、常望の能面のような顔に、笑顔がほんのり浮かんだことに気付いた。
「若様、私はもう事務所に帰らなければいけません。これ以上ここにおりますと、雇い主が不審に思います。」
 常望の口から、自分でも意外な言葉がひとりでに衝いて出た。
「軽井沢で、またサキさんに会うことはできないだろうか?もう少し話がしたい。」
 サキの顔が一瞬明るくなった。彼女は常望の気の変わらないうちにと、急いで答えた。
「・・・明日の早朝であれば。人目がありませんから。ロッジの手前に、道祖神がお祀りしてある小さな祠がありますから、その前で、朝五時ごろでいかがでしょう?」
「わかった。明日の朝、何とか抜け出して行くから。」
 常望は、もうアルフォンスから本を借りることはどうでもよくなって、ロッジを後にした。
 常望は考えた。自分は、これまで、人と親しくなることはやがて悲しい別れになると思ってきた。自分は本当の親から引き離されて育ち、育ての親であった祖父母とも小学校に上がってしばらくすると引き離された。自分と社交辞令以上の長さの言葉を交わす人は、九重の祖父や深草公爵家の人々のような親族か、使用人か、まわりの選んだとりまきの同級生にほとんど限定されていた。決闘事件の山本青年は唯一自分と対等に話ができたが、知り合って間もなく死んでしまった。サキだって、自分は人目を避けてでした会うことはできず、軽井沢の夏が終われば、ことによればもう再び会うことはないかもしれない。昔の公家や大名であれば、いずれどこからか正妻をめとった後に、側室として囲うということは、サキにはかわいそうである。だから、自分としては、サキとの関係を深めることには躊躇がある。
 彼女は、たとえ自分に再び会うことができなくても、心は自分の傍にいつもいる、それが恩返しだ、と言った。その言葉はありがたいが、本当にそんなことはあり得るのだろうか?たとえばサキが誰かと夫婦になって、子供ができたりすれば、そのようなことは忘れてしまうのではないか?
 常望はこのようなことを、何度も同じ経路を堂々巡りしながら、考え続けた。東京から軽井沢のホテルまで持参した人形は、この日の常望には、ただの人形以上のものではなく、いつものように話しかけるような気も起きなかった。彼はスケッチブックを取り出すと、この日に間近に見たサキの姿を何通りもデッサンした。
 常望は翌朝四時半にホテルを抜け出して、サキと約束した道祖神の祠に向かった。
 彼が祠に近づくと、朝霧の中に、江の島で会った時と同じ地味な深緑色の着物を着たサキがすでに来て待っているのが見えた。
「サキさん、来たよ。」
「おはようございます。お待ちしていました。」
 早起きの野鳥が囀って、空は霧が少しずつ晴れて来た。
 唐松の枝を通して射す朝日に、サキの襟元が輝いて見えた。常望は、そこに文楽人形のサキエにはない瑞々しさを感じた。
「もう少し話をしたいと言って呼び出したのだが、自分は何を話せばいいんだろう?」
「若様、朝はまだ何も召し上がっていないんでしょう?おむすびを作って持ってきました。よろしければ召し上がりませんか?お話はそれからにいたしましょう。」
「自分のことは、若様なんて呼ばなくていいよ。常望でいいんだよ。」
「それは恐れ多いので、若様と呼ばせていただきとう存じます。」
 二人は、別荘街の道からわき道に入り、やや開けた場所に腰かけるのによさそうな倒木を見つけて、そこに腰を下ろした。常望は左に、サキは右に座った。
 サキは巾着から竹の皮で包んだおにぎりを二つ取り出して、一つを常望に勧めた。
 常望はおにぎりを受け取り、二人は黙っておにぎりを食べた。
 食べ終わると、サキが言った。
「こうやって、お話をしなくても、ご一緒の時間を過ごすだけで、幸せでございます。」
「そういうものだったんだな。黙っていてもいいんだな。」
「黙っておられてもいいのです。」
 二人は早朝の林の甘い緑の香りを吸いながら、お互いの顔を見るともなく、手を握り合うこともなく、視線を浅間山の方に向けて、しばらくの間静かに座っていた。
 常望は、やがてサキの顔を見て言った。
「何も話す必要はないんだな。ずっとこのようにあなたと黙って座っていたい。」
「それは、お互いの心が通じているからでございます。たとえお目にかかれなくなっても、それは同じでございます。」
「信じてよいのだな。」
「信じていただければうれしゅうございます。」
「その言葉で自分には十分です。自分はきのうからいろいろ考えたんだけれど、会うのはこれでおしまいにしよう。自分は、これからどこかの名家から嫁をもらって、祖父の決めた進路に進まなければならない。それは自分の一存ではどうすることもできないのだ。自分は、生き人形なのだ。生き人形にとって、人間としての生活を少しでも味わうことは、実はとてもつらいことなのだ。」
「私も藤沢では芸者という生き人形でございました。ですから、お気持ちはよくわかります。あの時分にこのようにお目にかかっていれば、きっと常望様と同じように申しあげたことでしょう。芸者の時には、生き人形をやめられる時は、自分が死ぬ時だと思っていました。」
 常望は、不意に山本青年の小説「時雨雲」を思い出した。
 自分はあの小説を読んだ時に、心中とはずいぶん時代がかった話を書いたものだと思ったが、たった今、サキと自分との命が終わるならば、どんなに幸せなことであろうか・・・
 常望は、これまで経験したことのないような緊張と、その永遠の解決の望みとを心の内に感じた。
「サキさん、できることならば、自分は生き人形をもう辞めたい。」
 サキは、常望の言葉に、尋常ではない精神の動揺が感じられて一瞬たじろいだが、何とか答える言葉を探し出して言った。
「若様、これでおしまいにはしないで、また会いましょう・・・」
「やはり今日ここに来てはいけなかったのだ。自分は生き人形として生きることに疲れた。」
 サキは、常望が平常心を失いかけている様子を感じた。
 常望はやにわに右手を伸ばすと、サキの左手を強い力で握った。
 彼は、初めて触れたサキの手に、いつも愛玩する人形のひんやりした感触とは全く異なる暖かさを感じた。
 彼は、サキの手を握ったまま言った。
「もしも自分が、一緒に生き人形を辞めようと言ったら、ついて来るか?」
「もちろんです。喜んでご一緒いたします。でも、早まらないでください。若様はお国のために必要なお方です。お国のために、しっかりと生きていただきとう存じます。」
 常望は、かすかな声で囁いた。
「自分は、お国のために、これからも生き人形でいなくてはならないのか?」
 彼はそう言い終わると、目を閉じた。
 サキは、常望の頬が涙で濡れていることに気付いた。
 サキの心の奥で、ここは自分がしっかりしなければいけない、という声が聞こえた。
 サキは、その心の命ずるままに、彼の目をみつめて、はっきりした口調で言った。
「どうかしっかりとされますよう、お願いいたします。若様のために、私は何でもいたします。今朝はもう時間がございません。またお目にかかって、お話の続きをいたしましょう。明日の午後は非番でございます。」
 常望はサキの手を放すと、頷いた。
「わかった。明日の午後二時に、厳樫別荘の通用口を開けて、待っているから、来てほしい。」
 時間は六時を少し回り、滞在客の早朝の散歩も増えてくる時間になっていた。二人はそこで別れた。
      八
 サキと会った日の夜、常望はつぎのような長い夢を見た。
 常望の内務省勤務が始まって一年が経過した頃、常望と、深草公爵家の令嬢公子との縁談が持ち上がり、その翌年の九月に東京大神宮で婚礼が行われた。
 常望は、実は深草高房と厳橿梅子との間にできた子であり、公子は実は妹にあたるのであった。このことは、常望は小学生の時から知っており、公子は女学校を卒業するときに高房から聞かされていた。
 つまり、常望も公子も、初めから本当の夫婦になるのではないことを了解づくの婚礼であった。
 公子は、日本語よりもフランス語の方が流暢で、深草家では純西洋式の生活を送り、家庭教師や友人もフランス人やベルギー人が多かった。彼女はその分日本の旧家の生活に馴染みが薄く、どのような家に嫁入りすることになるのか、懸念していたのであるが、幼馴染の常望への嫁入りと聞いて、安堵したのであった。彼女は、家庭教師の一人であったカトリック教のフランス人の修道女の影響で、純潔の生活に憧れていたこともあって、本当の夫婦になるのではないことについては、むしろその方がありがたいと考えた。後継ぎは、親族の誰かが養子に入ることになるはずで、常望も公子もそのことは気にしなかった。
 常望にとっては、築地のカメヤホテルに勤め続けているサキが実質上の妻であった。そのような関係になったのは、サキの才覚によるものであった。
 サキは生活の苦労を重ねてきただけに、世事に長けたところがあった。彼女は軽井沢で常望に再会した後、東京に帰ると、再会の話を備前屋に話したのであった。そのうえで、つぎのように続けて言った。
「・・・そういうわけですから、このままでは若様は、恐れ多いことながら、ご自害遊ばすかもしれません。旦那さん、このことは厳橿家のしかるべき方のお耳に入れる必要があります。自分がそばにいなければ、いつそのような大それたお気持ちになるかわかりません。もともと、旦那さんは若様に代わって、私を築地にお囲いになったのでしょう?それを厳橿家に半ば公にお認めいただくことが、若様の心の平安のために是非とも必要なのです。」
 老練な商売人で頭の回転の速い備前屋は、事情をすぐに呑み込んだ。
「若様にもしものことがあるとすれば、大口のお客様が一軒なくなっちまうわけだから、そこは俺もなんとかしなくちゃなるめえ。あの家には家令の林さんという人がいるんだが、えらく頭の固いじいさんだ。どう話を持ってゆくかな?いっそ、梅子様に申しあげてみようか?」
「梅子様?」
「若様のおっ母様よ。相撲の力士を贔屓になすっていて、粋な方で通っているから、いっそ梅子様に申しあげた方が、話が早いかもしれねえ。梅子様にも、西洋の彫刻を二点ほど納めたことがあるから、ご面識はいただいているのさ。」
 備前屋は、軽井沢から用事で東京に帰っていた梅子に面会して、人払いのうえ、サキの話をほぼそのまま梅子に伝えた。
「備前屋、よく聞かせてくれました。実は、本人が軽井沢で急に具合が悪いと言って、寝込んでしまったので、心配していたのです。別に病気ということではないのに、どうしたものかと思っていました。あの人も年頃なのね。いいでしょう。ちょっと若いけれど、当主が側室を抱えるのは、別におかしいことではないわ。こういうことは生理現象だっていうことを早くわかってもらった方が、厄介がなくて済むのよ。何事もお家のためよ。お家のためということは、そのままお国のためということよ。おまえにもお国のためにもう一肌脱いでもらうわ。
それより、その女の素性、大丈夫なんでしょうね。ほかに男がいたりして、子供ができた時に、どっちの子かで揉めたりするのは勘弁してほしいわ。」 
「奥様、その懸念はございません。それはお固いものでございまして、てまえなども指一本触れたことはございません。」
「あら、本当に?信じていいのかしら?」
「てまえは、いい加減、じじいでございますから、向島のほうだけで十分でございます。最近は若いのは手なずけるのが億劫になりまして・・・」
 梅子はほほと笑った。梅子としては、自分の奔放な行動にいつも冷たい目を向けてきた常望に一矢報いることができるという、まるで母親らしからぬ思惑で、目をぎらりと輝かせた。
「備前屋、ひとつ相談だけど、この話は私が知っているというのは、女には言っておいてもらっていいけれど、本人には内緒に願いたいわ。側室として囲う形になったことに気が付くと、またきっと、それは本意ではない、とか言い出すと思うのよ。自然ななりゆきを装ってほしいの。その女にもそう言い含めておいて。それで、お金の方はどうすればいいの?」
「女は築地のカメヤホテルで結構な給金をとっているので、ご心配はまずないかと存じます。」
「それならば、お金のことで家令の林の承諾を得なくてもすむから、好都合ね。家令の預かり知らない内々のことで通すことができるわ。備前屋も林に余計なことを言っちゃだめよ。」
 サキはこのような経緯で、常望と頻繁に会うことのできる環境を確保したのであった。常望は休日にはサキの家で過ごすようになった。本人は、自分が築地に来ていることを、他人は知らないものと思っていたので、初めのうちは夕方になると自邸に戻るようにしていたが、二か月ぐらいすると、夜も泊まるようになった。家令の林を始めとする厳橿家の使用人は、常望が休日にどこに行くのか不審に思ったが、梅子からは詮索しないように言われていたので、敢えて確かめようとする者はなかった。正妻の公子は、サキの存在を結婚前から梅子から言い含められていて、常望が外泊をすることを問題にすることはなかった。
 サキは、世事に長けていて、彼女の親の借金の苦労のなかで経験した話、たとえば、契約や担保や意思能力や登記などがどういうもので、金貸しや地主や女衒がどのように法律を使っているか、といった話は、常望にとって、役所の仕事に必要な世間の実情を知るうえで役に立った。サキは仕事柄、ホテルでとっている英字紙を毎朝丁寧に読むのであったが、英字紙は日本の新聞が当局を憚って報道しない時事を報じることが多く、サキから英字紙でこう書かれていたという話を聞くことは、常望の仕事に大いに役に立った。
 やがて常望は貴族院議員として政治の世界に転身し、間もなく九重公爵の跡を継いで貴族院議長となった。政治向きの重要な案件については、常望はいつもサキの意見を聞くのであった。世間にはサキの存在が厳樫公爵の側室として知られ、新聞には時々、正妻の公子を憐れむ記事が掲載された。
 常望とサキとの間には、男児が生まれた。その子は、九重公爵の指示で、備前屋の次男の実子として、生まれてすぐに引き取られた。
 常望は、政界が腐敗によって国民の信を失うなか、貴公子として国民の人気が高かったので、その人気に推されて首相になった。しかし、官僚も軍人も自分に喝采はしてくれても、組織として彼の言うことを聞いて動いてくれることはなかった。彼の頼りは大衆の人気だけであったので、人気とりのために対外強硬策を打ち続けざるをえなくなった。相談相手のサキの顔は日に日に険しいものになり、もともと彼が政治的実力のない生き人形でしかないことは承知しているはずなのに、まさにそのことに苛立ちを隠さなくなった。彼は、このまま自分が国民をどこに率いてゆくのか、もっと正確に言えばどこに率いて行っているように見えるのか、わからなくなっていた。自分に道を譲って引退した九重老公を始め、自分を支えて来た名門の貴族達は、自分が国民に迎合して彼らの権益をどんどん縮小させていると考えて、当初は自分を止めるためにいろいろな画策をしていたが、やがて彼らは自分を見放し始めた。常望は、家のためということとお国のためということとが分離してしまった時代の流れにおいて、自分の存立基盤である後者を選ばざるを得なかったのであった。気が付くと、自分の手足は、人形遣いによって操られていて、その人形遣いは前に庇のあるカーキ色の帽子を目深に被り、顔が定かではなかった・・・
 常望は、夢から覚めた。枕元には、東京から持参した文楽人形のサキエが壁にもたれていた。彼にとり、夢で見た自分の人生は、まったく自分の望まないものであったが、自分のたどるべき運命を正しく語っているように感じた。そして、人形としてのあり方を続けるための対処として、側室としてサキを抱えるようなことをすれば、サキを自分の望まない人格に変えてしまうにちがいないと思った。
常望は、幼少の頃、幕末の激動を生き抜いてきた祖母のイトの言った言葉を思い出した。
「お国柄を守るために命を捨てはった方はあの世でどう思いはりますやろか。」
 彼は、ここまで自分を犠牲にして守ってきたものを、一気に壊してしまうことはできないと思った。彼は、人形として生きるのであれば、きれいな人形として生きるしかない、どのみち人々の犠牲になることに変わりはないのかもしれないが、それであれば、きれいなままで犠牲になりたい、そう思った。
 常望はさらに自分の夢について考え続けているうちに、つぎのように思い当たった。
 自分は、夢の中でサキとの間に子供ができたことについて、今、深い自己嫌悪を覚えている。自分にとって、子孫を儲けることは、自分と同じような生き人形を再生産することだ。しかも、本当の親が誰だかわからないのであれば、その不幸は自分が味わったのと同じもので、そういう人生を作り出すことは、どうしても避けたい。もしもサキと子供を作るようなことがあれば、それは母親の梅子が高房との間で行ったことと同じであり、それは自分としては自分に絶対に許しがたいことだ。
 だから、自分がきれいな生き人形でいたいというのは、自分の気持ちの半分であって、もう半分には、男女の生理的な関係に対する抵抗感があるのだ。もっと言うと、母親の梅子のことを自分は意識の上では許していても、心の底で許すことができていないのだ。父親がいれば、息子の自分はこのような母親の姿を見ないで済んだのかもしれない。そして、父親を模範にして、母親にこだわることなく、異性との普通で素直な愛情関係に入ることができたのかもしれない。しかし、自分の場合は、その部分が生まれつき欠けているのだ。自分がサキを知るまでは人形にしか愛情をもてなかったが、そのわけが、今日よくわかった。これは自分が生まれつき負っている宿痾だ。だから、たぶん、自分と関わる女性は、幸せにはなれないだろう。自分はサキを幸せにできないのだ。このことは、サキにも打ち明けることはできない。サキは自分が初めて好きになった女性だ。だからこそ、サキのために、美しい関係のままで、これでおしまいにしたい。
 常望は、このように強引に結論づけたところで、山本青年のことを思い出した。
 彼は、山本青年が自分であれば、迷うことなく、サキと心中するのではないかと思った。常望には、サキとの関係を昼下がりの美しい別れ話で終わらせてしまうことは、山本青年から見れば不純に見えるのではないか、すなわち、自分が宿痾をそのままにサキから逃げようとしているように見えるのではないか、という疑いが起こったのであった。しかし、彼は、先ほど思い出した祖母イトの言葉が、彼の結論を支持する根拠だと考え直して、山本青年の声に耳を塞ごうとした。
 常望は、枕元の文楽人形を相手に、独り言を繰り返した。心中物を沢山演じてきたに違いないこの文楽人形は、当然のことながら答えを返すことはなかった。
 彼がこうして考えた末に導いた結論は、
「サキとはなるべく美しい形で別れて、その後に自分は命を絶つ。」
というものであった。
「サキには迷惑がかからないようにして、この常望は人形としての生活に自分で終止符を打とう。そうすれば、またも人と別れるという悲しみから逃げることができる。」
彼はこのように思った。彼は、加賀侯爵に鳥撃ちの稽古用にもらったピストルを鞄に入れた。
 一方、サキも、常望と再び会った時に、自分はどのようにするべきであるか、考えていた。
 彼女は、藤沢の売れっ子芸者としての経験で、花柳界での特殊な男女関係について多少知るところがあった。その知見に鑑みると、常望が自分を遇する方法は、これまで尋常ではないと思っていた。彼女の常識からは、ただの世間知らずの坊やであれば、自分を側室として扱って、とうに目の色を変えて自分のところに足繁く通ってきているはずであった。それを、常望は、まるで生き人形のように備前屋に囲わせて、しかも自分は一度も見に来たことがなかったのであった。昨日の常望は、一見すれば、世の常の若者並みに、感情が高まったかのようであったが、その感情の高まりは、常望自らの生き人形としてのつらさの入り交じるものとも思われた。
 サキは、正直なところ、常望のことが好きであり、江の島で出会って以来、あこがれを持ち続けてきた。そして、常望が自分のことを好きであることもよくわかっていた。しかし、常望という貴公子は、お国のために生まれて育った人であり、その役割の意識が世の常の人間の想像できるようなものではない、何千年の家の伝統が培った強固なものであることが、サキには直感的にわかった。彼女は、もしも関係が深まったとしても、元芸者の自分が日本有数の名門である厳橿公爵と釣り合うわけもなく、ありうるとすれば自分が何らかの形で側室として関係を続けるようなことしかなかろうと想像したが、常望は、その一途な性分からは、世の常の側室として自分を囲ったり、人目を忍ぶ関係を続けたりするようなことはできなくて、苦しむのではないかと思った。
 サキは、このように考えているうちに、常望にもどかしさも感じていた。彼は自分の気持ちなどわかっていなくて、本当のところは自分とまっすぐ向き合うことを避けているのではないかと思った。しかし、彼が向き合うのを避けるからと言って、彼が自分のことを好きではないわけではないことはわかっていた。
 彼女は、心中について考えた。
 元芸者であった彼女としては、商売人の世界では、常望のような客と関係を結ぶだけで金星であることもわかっていた。ましてその側室になれば、芸者としては最高の上がりであった。しかし、彼女は商売人の世界を嫌っていた。だからこそ、日本画や和歌や英語を身に着けて、自分の肉体ではなくて才覚で暮らせるために、人知れぬ努力を重ねてきたのであった。日本の社会の現状からは、自分はあくまでも元芸者という経歴がついて回ることもわかっていた。自分が常望と心中するならば、うまく金星をものにした商売人という誹りもうけなくて済む。
「日本一の商売女が、心中すれば日本一の女になる・・・」
彼女はそのように考えた。
 彼女は、情死ということによって、常望という純粋で美しくて申し分のない日本一の貴公子が、永遠に自分独りのものになる予感に胸が震えた。
「常望が心中を切り出せば、自分は一緒に死ぬ。しかし、常望が別れたいと言うのであれば、それに従う。」
彼女はそう覚悟を固めた。
 その日、常望は、白い半袖シャツに白い麻のズボンをはいた軽装に鞄を持って出かけ、厳橿別荘の通用口を開けて、サキと約束した午後二時にサキを待った。
 サキは、時間通りに別荘に着いた。彼女は江の島で常望に会った時と同じ深緑色の着物を着ていた。
「よく来てくれた。今日は風が涼しくて、気持ちの良い天気だから、庭で話をしよう。」
 サキは頷いた。
 彼はサキを庭に案内した。庭は山本青年の拳銃事件以来、手入れがされないまま、夏草が茂り放題であった。庭に面した建物のガラス戸や窓は、カーテン下ろされたままであった。
 梧桐の木立の日陰になっている、元は芝生であったところに、かつてはパーティーに使われた大きな食卓が放置してあった。彼らはその食卓の傍らの、かつて山本青年が座ったことのあるベンチに座った。
 サキが言った。
「若様、今日でお目にかかるのが最後になるのでしょうか。」
「サキさん・・・今日はそのつもりでここに来たのだ。」
「若様は、私とお会いになることは、やはりおやめになるのですね。若様は、日本のすべての人のために、きれいな生き人形でなくてはならないはずです。それがこの世の定めなのです。」
「定め・・・そうだ。そのとおり、それが定めなのだ。その定めのために、生身の常望は、犠牲になるのだ。」
「生身のサキも、犠牲になって構いません。あなた様という方を好きになるということは、そういう覚悟でなくてはなりません。それは、生身の女としてはとても悲しいことですが、私のように取るに足らない者にとっては、分不相応な光栄で、うれしいことでございます。」
 二人はしばらくの間沈黙して、お互いの目を見つめ合った。
 そして、常望の右手は、サキの左手を握った。
 そのまま時間が長く過ぎた。
やがて常望がサキに囁いた。
「今のまま、時が止まればと思う。」
 サキは、常望の顔を見上げながら答えた。
「私もそう思います。」
「しかし、時は止まらない。」
「だからこそ、お互いに恋しいのだと思います。だからこそ・・・」
「だからこそ、これが美しい思い出になるのか・・・二人ともこの思い出を胸に、これからの人生を生きて行くんだね。」
「私たちは、そうするほかはないのです。この思い出で生きて行くのです。これからの人生が長いか短いかはわかりませんが、私は短いことを願っています。」
「僕もそうだ。生き人形というのは、死んでいるのと同じだ。今だけが人として生きている時間なのだ。」
 二人はもうしばらく手を握り合ったままでいたが、やがて常望は、サキの手を放して言った。
「サキさん、今日はありがとう。あなたがたとえ誰かと所帯を持つことがあっても、今日のことだけは覚えていてほしい。」
 サキは頷いた。彼女は涙を拭って、常望に言った。
「お別れの印に、歌を詠んでまいりましたので、差し上げとう存じます。」
 サキは、持っていた巾着袋から折りたたんだ和紙を取り出した。そこにはつぎのようにしたためてあった。

願はくば 秋の初めの 梧桐の 葉の蔭に鳴く 蝉となりなむ

 その和紙にはこのような歌が御家流で書かれて、絵筆で梧桐に蝉があしらわれた絵が添えられていた。
「ありがとう。返歌を仕ります。」
 常望は、鞄からノートを取り出してページを切り取ると、万年筆でつぎのように書いて、サキに渡した。

蝉宿す 梧桐なれば 今日よりは 我が身の秋と 木の葉散らさむ

 二人は、お互いの手にした歌をそれぞれ声を出さずに口ずさんでから、それぞれ大切に折りたたんだ。
 しかしサキは、気持ちのうえではどうしても納得がゆかないことを感じていた。自分は常望とここまで調子を合わせて美しい別れを舞台の上のように運んできたのであったが、最後の最後になって、常望は自分の気持ちをどれだけわかっているのか、どうしても聞いてみたい気持ちが頭をもたげてきて、次第に抗いがたくなっていた。
 サキは、改まった真剣な表情になると、それまでよりもやや低い声で切り出した。
「若様、今、私がどのような気持ちでいるか、本当におわかりですか?」
 常望は、突然サキからこのような質問を受けて、動揺した。彼は、サキが自分の気持ちをわかってくれたことに感謝していたが、サキがどう思っているのかに考えが及んでいなかった。
「僕は、あなたを傷つけないために、これが最善だと思った。あなたはその最善を受け入れたと思っていた。」
 サキは、自分の言葉が真剣な厳しさを帯びて、語調が強くなったことに気が付いたが、構わず続けた。
「それはお答えになっていませんわ。若様は、私があなた様との関係で傷つきたくないと思っている、そう考えていらっしゃるのですか?」
 常望は、今朝起きて以来積み上げて来た理屈では、答えることができなかった。
 サキは言葉を抑えることができなくなっていた。
「私は、若様をお待ちしていました。そのことが私にとってどれだけつらいことか、お考えになったことはありますか?私は若様のご都合のことはわかります。お一人だけのお体ではないことも承知しています。それとも、私のことは、信用できませんでしたか?」
「あなたのことは信じている。でも、女の人をどう扱えばよいのか、自分には見当がつかないのだ。」
「何もお考えにならず、私のところに飛び込んで来られてよいのです。わからなければ、わからないままで、私を尋ねて来ていただければよかったのです。」
「僕は、心中するか、別れるか、迷った挙句に、別れようと思ったのだ。」
 サキは、常望のその言葉に、思わずつぎのように言い返した。
「別れる方が、心中よりもよほど残酷ではありませんか?私は、あなた様が今日心中したいとおっしゃれば、ご一緒に死ぬ覚悟でここに参りました。」
 常望は、サキの言い切った言葉を心の奥で繰り返すと、やっとのことでつぎのような言葉を発した。
「死ぬ覚悟、か。別れるよりも、残酷、か・・・」
 サキは、常望の目をしっかりと見て言った。
「では、もう一度お尋ねします。私の今の気持ちがどういうものか、おわかりになりますか?」
「サキさん、僕はあさはかでした。謝ります。」
 常望はサキに深く頭を垂れた。
 サキが答えた。
「答えは、私に謝ることではありません。まだ私の心はおわかりになりませんか?」
 常望は、答えを探そうと、サキの爪先から頭までを目で丹念に追った。彼の脳裏にかすかに答えが閃いたかのように感じた。その答えは、自分が逃げて来たものを自分で何とか扱うのだという決意を必要とするもののようであった。彼は、今逃げてしまうと、永遠にその決意を行う機会が巡ってこないことがわかった。
 しかし、常望は、答えを自力で見出すことができなかった。
 サキは、常望が黙って考え込み始めたのを見ると、居ても立ってもいられない気持ちになった。彼女は、いきなり常望の右手をとると、自分の着物の懐にその手を挿し入れた。
 常望の手は電撃を受けたように一瞬びくっと痙攣して、その手を引っ込めようとしたが、サキはその手を懐から出させないよう、両手でしっかり上から押さえた。
「まだおわかりになりませんか!これが私の心です!」
 常望は、右手にサキの心臓の速い鼓動とともに、豊かな厚みのある肌にしっとり汗が滲んでいる感触を覚えた。
 サキは、常望が、
「あっ」
という声を上げて、顔をみるみる紅潮させることを想像した。常望がそうしたならば、自分は、
「私の心がやっとわかったのですね。うれしい・・・」
と言って、常望の胸に体を預けるつもりであった。
 しかし、常望は、顔色を変えるでもなく、無表情のまま、サキの懐からそっと右手を抜いた。
 サキは、常望の心に彼女の求めているような愛が燃え上がらないことに気が付くと、常望の顔から目をそむけて、泣き出しながら、
「常望様、さようなら!」
と言って、そのままベンチを立つと、別荘の外に駆け出して行った。
 常望は、サキの後姿を無言で送った。
彼は、別荘の建物に入ると、かつて山本青年が拳銃で死んだ部屋に向かった。
彼は、残されていたソファーのほこりを手で払って座った。
 彼は鞄からピストルを取り出すと、自分のこめかみに筒先を当てて、引き金を引いた。
 ピストルは、軽い金属音をひとつ立てただけであった。
 彼は矢継ぎ早にあと五回、引き金を引いた。
 部屋に、軽い金属音が五回響いた。
 彼はやっと、ピストルのレボルバーに、弾丸が入っていなかったことに気が付いた。
 彼のわずかな経験では、ピストルは従者が差し出すものを撃つだけであり、弾丸の仕込みには思いもよらなかったのだった。
 彼は、能面のような顔を少し崩して苦笑しながら、独り言を呟いた。
「僕は山本さんが死んだのと同じ年になったのに、あの世の山本さんに会うにはまだまだ未熟だ。山本さんはきっと僕にそう言っているのだ。」
 その時、駆け出したものの心配になって戻ってきたサキが、扉を開けて部屋に飛び込んで、常望の首に縋りついた。
立秋を過ぎたばかりのなお眩い午後の日差しの下で、蝉時雨がひとしきり激しさを増した。
                                     完

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