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ペンの暴力-事件記事に実名報道は必要か ③-田島泰彦の事件記事姿勢への批判的考察(後編)-

 事件記事における事件関係者(狭義では犯罪事件を指す。このシリーズは特に断りがない場合狭義の意味で用いる)の実名報道が必然であるかを考察するnote記事です。後編の今回は、田島泰彦元上智大学教授が治安維持の観点から事件報道を考えていることについて批判的に考察します。

事件報道=市民社会安全実現論

 田島は事件報道の問題を考えるときには「市民社会の安全」という視点を必要であるとして、ジャーナリズムが犯罪、テロに向き合う際のあるべき姿について以下のように述べる。

 一つは、犯罪やテロなどへのリアルな認識に立ち、それらから市民社会の安全をいかに守るかという問題を正面から受けとめ、求められる対応策を真剣に模索するという視点で、これを欠落させた観念的な警察批判や犯罪・テロ規制批判は説得性をもちえない。もう一つは、法の支配や市民的な自由・人権などからの批判的アプローチの堅持という視点であり、これを欠落させ、市民社会の安全を一面的に強調することによって、官憲の違法捜査や権限濫用を免罪したり、過度のテロ対処権限の導入や発動を容認することがあってはならないと考える。
 メディアもこうした視点を共有することが求められており、前者の視点に立ったとき、報道における一方での被疑者・被告人の人権と、他方での被害者の位置づけと人権など、根本的な再検討が求められる課題が少なくないと思われる。(※1)

 田島は市民的な自由と人権の擁護の必要性を認め、官憲の違法捜査や権限濫用を否定はしている。ただ、具体的にどのような形で官憲の違法捜査、権限乱用を防止するかについての言及はない。私は、官憲の違法捜査を防止するにはまず、メディアが記者クラブに依存せず、自立した形で警察の言動を取材することが求められると考えるが、田島の論文にはそうした内容は記されていない。

 また、被疑者や捜査対象者が警察によって不当な扱いを受けないための制度的保障も当然に求められる。被疑者への当番弁護士制度はもちろん、次の6つは最低必要であると考えている。①捜査機関が被疑者を拘束する時間を現在の1事件最大23日から欧米並みの48時間以内に制限をすること。②警察の代用監獄から拘置所での身柄拘束に変えること。③取り調べの際には被疑者が要望する弁護士の立ち合いを認めること。④警察に拘束されている被疑者に対するメディアの取材制限の廃止。⑤被疑者、被疑者弁護人の主張、立場も積極的にメディアが報道をすること。⑥捜査対象者や関係者に対しても取り調べの名の下に何度も警察に足を運ばせたり、拘束することを乱発しないこと。これらの点についても、田島の論文では触れられていない。

 前述したように、現状においても主要メディアは警察関係の記者クラブによってフリーの記者を排除し、警察発表を無批判に報道するいわゆる「桜タブー」の問題が指摘されている。田島の主張はメディアが公安機関の広報としての役割を果たすことを求めるに等しいものである。

メディア自身の自省を

 元共同通信記者、元同志社大学教授の浅野健一は匿名報道を主張する立場から犯罪報道に対する記者のあるべき姿勢について次のように語る。

 記者としての”特権”を捨てよう。オレたちが犯罪者の名前を出してこらしめてやるという発想もなくそう。「匿名にしてやる」というのは思い上がりだ。スウェーデンの「スベンスカ・ダーグブラーデット」の東京特派員モニカ・ブロワ氏は「だれでもジャーナリストになれる、誰にもできる職種のジャーナリストが、ある人が犯人かどうかについて判断を下すことはまちがっている。一方、「裁判官や検察官は、だれでもがなれるわけではない。犯罪について専門的な知識をもち、訓練を重ねて人を裁いているのだ」と言う。重要な指摘である。日本では警官も裁判では当事者能力をもたない。犯罪について「この人間が疑わしい」と取調べ資料を提出するだけだ。人を裁く資格をもたない警官とだれでもなれる記者が、捜査段階の初期で犯人をこらしめている矛盾に、早く気付いたほうがいい。”特権”が許されるのは権力にある者の横暴を許さないための活動である。権力は傷つくことがない。たとえあっても、その方が社会のためにはいい。(※2)

 浅野は人を裁くのは飽くまでも司法機関であり、メディアは社会的制裁に関与するべきではないことを強く主張している。メディアは社会正義の名の下に事件報道において、被疑者に対して一方的な報道をする傾向がママ見られるし、私たちもそうした報道に惹きつけられやすい。しかし、事件の当事者にない私たち第三者は一歩立ち止まった姿勢で臨むことが必要だ。メディアの側の事件記事を求める傾向が問題であることはもちろん、私たち自身も噂話レベルの感覚で事件記事を求めるべきではないし、事件記事によって見過ごされてしまう大切なニュースがあることを認識すべきだろう。

お知らせ

 次回の投稿は都合により、12月18日の日曜日12時から16時の間とさせていただきます。ご了承下さい。

皆が集まっているイラスト1

私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。

(※1) 田島泰彦・右崎正博・服部孝章編「現代メディアと法」 田島泰彦 第5章「報道と名誉・プライバシー」P93~P94

 なお、今回(※1)と前回note記事の引用(※3)「無罪推定や人権など法や司法のルールは十分に尊重されなければならないが、誤解を恐れずにいえば、メディアはある局面では、こうした価値と鋭く対峙しつつ、真実を伝えるというその固有の任務を貫かざるを得ない」という主張について、浅野健一は珍説であるとして以下のHPで批判をしている

(※2) 浅野健一「新版 犯罪報道の犯罪」「人権を守る報道をめざして」 P504 新風舎文庫

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