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本、文献を整理すること


部屋いっぱいの本、文献

 私が長年勉強会でお世話になっていた母校の大学の先生が介護施設に入所されました。入所される前には心身面とも勉強会を継続できる状況にはなく、20年以上お世話になった点で名残惜しくも勉強会が終わることとなりました。ただ、ご家族や研究者にとっては感傷に浸っているだけではいられない問題もありました。

 先生が入所された際に、先生が論文や本を執筆するにあたって収集した文献、資料などが先生のご自宅の書庫にあり、それらにどう対応するのかということでご家族や先生の関係者が頭を悩ませたそうです。収集された文献、資料の中には一般人が簡単に手に入れることのできない価値のある資料もありました。そのため、価値があると判断された資料はそのまま処分せずにどこか管理できるところで保管するべきであろうとご家族、先生の関係者がいろいろと考察されたそうです。いろいろと考察、尽力がなされた結果、韓国の国家記録院、ハンセン病療養所の栗生楽生園関係者から文献、資料を活用をしたいとのお声がかかりました。そのため、先生の資料について整理、整頓作業を行うこととなり、私もお手伝いをすることとなりました。

 先生のお宅には、先生が介護施設に入所される数年ほど前に勉強会でお邪魔をしたことがありますが、実際に書庫にしている部屋に足を踏み入れたのは初めてのことでした。そのとき、自分のような者が聖域に入っていいのかという気持ちになったのを覚えています。書庫及び先生が仕事の場として使っていた書斎に足を踏み入れたとき、本や文献が棚に収まり切れず、床にもあふれていました。6畳程度の書庫も書斎同様に書庫だけでは本、資料が収まらず、床に本、資料があふれていたのです。

 そんな状況を見た私は、この整理整頓作業はそう簡単には進まないなと感じました。研究者の方の指示の下に必要な文献、資料を段ボール箱に詰め、不要な本、新聞、雑誌類を捨ててはいるのですが、いつ終わるのかという感じでした。韓国の国家記録院、栗生楽生園に送る資料を収めた段ボール箱だけで数十箱になりましたし、処分すべき本、資料の類も同じくらいの量になったことを覚えています。処分すべき本、資料のうちご家族のご同意を得ていくつかの本をもらったりもしていますが、処分すべき本、資料だけでも、作業に来た人たちがすべてをもらうとなると大変なことになることは想像に難くないでしょう。

 また、作業の際に先生が本、資料を大切にしようとしていたことがわかりました。先生が書庫として使用されていた部屋のシャッターは閉まっており、光が入らないようになっていました。光は紫外線を含んでいるために長期間繰り返し当たると本、書棚は劣化するので、それを防止したいということからでしょう。私はそうしたことに無頓着なため、日当たりのいい部屋に文庫本などを収めた書棚をそのまま無造作に置いた結果、文庫本も書棚も物の見事に色褪せていきました。本当に本、文献、資料を大切にすることはどういうことなのかを思い知らされた次第です。

私の本、資料の整理

 何度か先生の家の本、資料の整理をお手伝いしているうちに、自分の部屋はどうなのだろうと思うようになりました。私は整理整頓が苦手なことやnote記事の作成や自身の勉強を座卓式こたつで行っていたため、研究者でもないのに床に本とか資料を置いたりしていました。そのため掃除をする度に大変なこととなり、整理ができていないためにどこにどんな資料があるのかがわからなくなることがしばしばありました。そこで自分も整理整頓をするべきだなと思うようになりました。

 そこで、① 座卓式こたつで作業をすることをやめて、デスク型こたつで作業をすることにしました。② 無造作に空いている場所においてある資料のうち、必要性がない資料を捨てました。③ とっくに処分をしたパソコンやビデオ機器などの取扱説明書なども取ってあったのでそれらを捨てました。④ 自分が興味がある分野の本、資料をそれぞれ分類をしました。⑤ 容量の大きい本棚を1台購入しました。その際には長期的に使うことを前提に多少値段が高くても物持ちがいい使いやすい本棚を選びました。⑥ 作業を行う際に一時的に資料を置くためのキャスター付のワゴンを購入しました。⑦ 使った資料を無造作に置くのではなく、元の場所に戻す習慣をつけました。

 以上、行ったことを改めて考えてみると、②、③、⑦は本、資料を整理するだけではなく、断捨離、整理整頓のABCであり、いかに私が整理整頓が苦手なのかを感じさせられた次第です。ただ、今回自分が行った作業は自分自身できちんと心身共に整理整頓をしたという意味で、今後の心がけとしていい教訓になったのではないかと考えています。まだ整理整頓は途上ではありますが、整理整頓を通じて物の整理だけでなく、自分自身が整理立てて物事を考えることでもあることを感じさせられました。

私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。

サポートいただいたお金については、noteの記事の質を高めるための文献費などに使わせていただきたくよろしくお願い申し上げます。