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大坂なおみ(テニス選手)ー「アスリートたちが変えるスポーツと身体の未来」ーより(前編)

 山本敦久編「アスリートたちが変えるスポーツと身体の未来」より、私たちの「常識」と戦っているアスリートについて取り上げています。今回は、大坂なおみ選手に関する考察です。前編ではBLM運動、ジョージ・フロイド事件に声を上げた大坂選手の姿勢とそれと対照的な日本社会のスポーツにおける差別問題を考察したいと思います。

大坂なおみの例

ジョージ・フロイド事件に抗議するテニスプレーヤー

 大坂なおみについては、スポーツに興味がない人物でも世界で通用する著名なテニスプレイヤーとして、少なくとも名前くらいは聞いたことがあるだろう。私の大坂に対する印象としては、大坂が2019年に日本国籍を取得した際、意外だというものであった。日本社会の中にある同一性を強く求める動き、それに相反する形で同一性を拒むあるいは同一性と一線を画する動きへの反発と同調圧力からすると、生活基盤をアメリカに置き、自分の意見や立場をはっきりと示す大坂を日本社会は本当の意味で受け止めるだろうか、そんな想いを感じたからである。

 もっとも、大坂自身はメディアからのインタビューで自身の父親の出身国であるハイチに関する言及している。(※1)大坂にとっては国籍を自身のアイデンティティと考えておらず、柔軟な思考を持っていることがわかる。国籍と民族を同一に考えがちな、日本人の陥いる狭いものの考え方に無自覚、無批判であったと改めて感じさせられた次第だ。

 日本社会が真の意味で大坂なおみという人物の人間性、社会に対する姿勢を理解しているかについて、田中東子は厳しい見解を示している。

 多様性とアクティビズムの点で世界に遅れを取っているガラパコス化された日本社会においては、一部の例外を除いて大坂なおみを「正しく」理解することに失敗したと言わざるを得ない。とはいえ、その失敗には、女子アスリートを扱う際に常に付きまとう、この時代に特有の性差別と歪んだジェンダー観が伴われているのである。(※2)

 田中の「多様性とアクティビズムの点で世界に遅れを取っているガラパコス化された日本社会」という表現にある「世界」とは具体的にどの「世界」を指しているのだろうか。現在の欧米主導の価値観による「世界」の克服、具体的にはかつて欧米日の帝国主義諸国によって植民地として支配されたアジア・アフリカ諸国など旧植民地の立場からの価値観、視点などが反映された「世界」は現在あるのだろうか。田中の示す「世界」の定義がどこにあるのかは、当該論文ではわかりずらい。

 ただし、以上の問題点はあるにしても、それでも田中の主張の本質である、大坂の個性を理解しようとしていないこと、自分たちと異なる価値観、社会を認めようとしない傾向が私たちの社会にあることは事実だ。大坂は、ジョージ・フロイド事件(※3)を受け、BLM運動(※4)に賛意を示しており、ジョージ・フロイド事件についても「私はアスリートである前に黒人女性です(本文:私はアスリートになる前は黒人女性です)」、「黒人女性としては、テニスをしているのを見るよりも、すぐに気をつけなければならない重要な事柄があるように感じます。警察の手で黒人の虐殺が続いている。黒人に起こった権利剥奪、人種差別、その他の数え切れないほどの怪物は、私の胃を病気にさせます」として、人種差別やそれに伴う暴力をはっきりと否定する立場を明確に示した。(※5)

浦和レッズ差別横断幕事件への日本社会の反応

 人種差別及びそれに伴う暴力に声を上げる動きがあるアメリカに対し、日本はどうであろうか。日本においては、在日朝鮮人などをはじめ外国人に対する差別、偏見が強いが、こうした事実に声を上げるアスリートはあまり聞かない。アスリートもスポーツのサポーター、応援団も、政治、社会に関係なく、スポーツを愛する者は皆同じ、という曖昧でしかもスポーツに問題を限定する形で差別を形式的に否定する傾向が強い。(※6)

 それどころか、2014年に浦和レッズ対サガン鳥栖戦の試合が行われた際には、浦和レッズのサポーターが「JAPANESE ONLY(日本人以外お断り/日本人に限る/日本人専用)」書いた横断幕を掲げた事件が起きた。この横断幕については当時浦和レッズに所属していたサッカー選手李忠成(り・ただなり/イ・チュンソン)に対するものではないかとの指摘もあり、李自身もそのように受け取ったという轡田哲朗の次の記事がある。

 後に社会問題にもなった「JAPANESE ONLY」の横断幕が埼玉スタジアムの浦和ゴール裏ゲート入り口に掲げられた。その真意は、結局のところ掲げた者にしか分からない。しかし、李はそれを自分へのメッセージだと受け取っていた。
   彼自身もまた、イングランドのサウサンプトンでプレーしていた時期に負傷してからのコンディションの悪さを引きずっていた。思うようにプレーできず結果が伴わなかったこと、広島在籍経験のある選手の加入が続いていたこと、そして、もしかしたら彼が韓国から帰化した選手であること――。
 新加入選手を無条件には受け入れず、活躍を示してから声援が大きくなる伝統を持つ浦和サポーターであるにしても、彼に向ける視線は必要以上な厳しさの方が目についた。(※7)

 浦和レッズの差別横断幕については、当時浦和レッズの選手であった槙野智章が間接的な形で批判をした。(※8)また、当時の官房長官であった菅義偉、(※9)東京都知事の舛添要一が当該差別行為を問題視した。(※10)ただし、差別横断幕がどういった背景でなされたものかをきちんと検証するといった差別問題の真相を究明することへの言及はこれらの発言にはなかった。こうした政治家やアスリートの姿勢は、ジョージ・フロイド事件に対してはっきりと人種差別と警察官による暴力を否定し、声を上げた大坂の姿勢とは異なるものであった。(※11)

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 いかがだったでしょうか。次回は後編として、大坂なおみの人種、性についての日本社会の視線について考察します。

私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。

(※1)

大坂なおみへの称賛の声が止まらない 米メディア「ハイチの誇り無視しない」 | THE ANSWER (the-ans.jp)

(※2)  山本敦久編「アスリートたちが変えるスポーツと身体の未来」 田中東子 「大坂なおみ」岩波書店 P38

(※3) 2020年に黒人男性ジョージ・フロイドが白人警官によって首を圧迫され、窒息死した事件

(※4) BLM運動(Black Lives Matter「黒人の命は大切だ」)。2012年に黒人少年トレイボン・マーティンが白人警官によって射殺されたことをきっかけに、相次ぐ警官による黒人に対する取り締まりへ不当性に対する抗議などの一連の動きを指す。

(※5)

大坂なおみが訴える「黒人の虐殺」「数え切れないほどの怪物」の正体とは(木村正人) - 個人 - Yahoo!ニュース

(※6) もちろんスポーツファンと関係なく、日本人全般に差別問題について無関心で他人事の傾向が強い。

(※7)

今も、横断幕の話をする目には涙が。李忠成が「浦和の一員」になるまで。 - Jリーグ - Number Web - ナンバー (bunshun.jp)

嫌韓なウルトラ、李獲得での波紋。浦和レッズ“差別行為”問題、火種を放置した罪深きクラブ | フットボールチャンネル (footballchannel.jp)

(※8)

槙野智章さんはTwitterを使っています: 「今日の試合負けた以上にもっと残念な事があった…。 浦和という看板を背負い、袖を通して一生懸命闘い、誇りをもってこのチームで闘う選手に対してこれはない。 こういう事をしているようでは、選手とサポーターが一つになれないし、結果も出ない… http://t.co/Nhasgg4LjZ」 / Twitter

(※9)

官房長官「甚だ残念で遺憾」 浦和の差別的横断幕問題: 日本経済新聞 (nikkei.com)

(※10)

舛添知事が浦和を批判 五輪への影響懸念 - サッカーニュース : nikkansports.com

(※11) 浦和レッズ差別横断幕事件に関する具体的な考察については、別に独立した記事を設ける予定です。

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