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「密林の聖者」シュバイツァーはどう評価されてきたか①-シュバイツァー病院で働いた医師による評価-

 シュバイツァーのガボンでの医療活動を単純に日本人が人道主義的とみなしてきたことに対する考察記事です。「密林の聖者」とはどの視点によるものか-日本人のシュバイツァー観への疑問①(以下「シュバイツァー観」)では私のシュバイツァー観と寺村輝夫氏のシュバイツァーのガボン民衆、社会への姿勢に対する批判的見解をご紹介しました。「シュバイツァー観②」ではシュバイツァーの著書「水と原生林のはざまで」を中心にシュバイツァー自身がガボン民衆、社会にどのような姿勢で向き合ったのかを考察しました。シュバイツァー観③では、シュバイツァーの植民地主義に基づく人道主義への考察をしました。
 今回からは以上を踏まえ、7回に渡り、シュバイツァーについて人々はどのように評価をしてきたかについてご紹介したいと思います。


シュバイツァーへの肯定的評価-概論-

 シュバイツァーに対して肯定的に評価する意見としては、主として2つのタイプに分かれる。1つはシュバイツァーの下で働いていた医師によるもので、シュバイツァーのランバレネでの医療活動を人道主義であるとして評価するものである。もう1つは、キリスト教関係者やその立場に近い宗教学者によるもので、ランバレネでの医療活動をシュバイツァーの神学観に基づくものであるとして肯定的に評価するものである。

 シュバイツァーに対する肯定的評価について、1回目の今回はシュバイツァーの下で働いた医師による評価、2回目と3回目は宗教学者である笠井惠二による評価、4回目は笠井以外の宗教学者による評価について、それぞれ評価して参りたい。

シュバイツァーの下で働いていた医師による評価

 シュバイツァーの下で働いた医師及び医療従事者は様々な国籍の者から成り立っているが、日本人でシュバイツァーに従事していた医師には、野村實、高橋功(※1)の2人がいる。ここでは、彼らがシュバイツァーのガボン、現地の人々に対する姿勢について、彼らの著述からどのように評価をしてきたのかについて、考察して参りたい。

野村實による評価

 野村實はガボンが独立国ではなく、フランス植民地領赤道アフリカの時代にシュバイツァーの下で働いていた医師である。その時代的制約からか、ガボン、現地の人々についての見解は、シュバイツァーと同様に「未開」さ、「無知」であるとするものであった。

 野村實の記した「人間シュヴァイツェル」(岩波新書)には、黒人は仕事道具を私物化し、労働を怠るとして、いかに黒人を監督し上手に動かすかが一つの才であるとの考えを示している。(※2)だが、植民地において植民者が、現地の人々の人格、尊厳を軽んじ、植民者に都合のいい労働を強制し、労働に従事する現地の人々を監視する行為、態度は、今日において厳しく批判されている。

 現地の人々に対するシュバイツァーの姿勢については、当時ですら、懸念する声があったのだが、野村はシュバイツァーの姿勢を次のように肯定をしている。

 黒人を使って戸外で働く博士の態度はまことにきびしい。こわばった口髭の下に、口もまた固く結んでじっと見ているか、或は進んで手を下すかするが、口から洩れるものは、叱責か、叱咤である。ある白人が「あなたの態度は、あまりきびしすぎる。(筆者注:原文ママ)あなたは黒人を愛しているのか」と、勇気を奮ってたずねたことがある。
 博士は、ふしぎなことを尋ねるものかなという顔付をして、「きびしすぎるかも知れない。しかし、これ以外に致し方がない。黒人は私たちの兄弟だが、私たちは大きな兄で、彼らは小さな弟だ」と卒然として答えた。
 博士のきびしさをいぶかる前に、私たちは、黒人の性情を理解しなければなるまい。(略)彼らは、衣食住のために営々と働く必要がないから、天性の怠け者であるかに見える。灼熱の太陽は、彼らを一層動作のにぶい人間にそだてる。彼らは監督の目を盗めるだけ、仕事の手を休めようとしている。」

野村實「人間シュヴァイツェル」 P49~P50 岩波書店

野村の衣食住のために営々と働く必要がない、という主張は、シュバイツァーの著書「水と原生林のはざまで」でのガボン、ランバレネの人々に対する見解とほぼ同じであり、批判的に見ていないことがわかる。この野村の記したシュバイツァーの現地の人々への姿勢については、寺村輝夫は幼年向けの伝記物語で次のように批判的に表現している。

 兄であれば、ときには、むちでうつこともある。おとうとは、ただ 兄にしたがっていればいい-。
 シュバイツァーは、そう いいきったのです。

寺村輝夫文:鈴木琢磨え 「幼年伝記ものがたり シュバイツァー」 P116 小峰書店

 このほかにも、文字を知らず数を知らないため、服用すべき薬の分量、時間を教えることはできない(※3)、ランバレネの人々の中には文化から遠い故に赤子のように澄んだ目の光を持つ無邪気な表情の者がいると記述する(※4)など、シュバイツァーのガボンの人々に対する姿勢(※5)をそのまま無批判に受け入れている。私が読んだ学研の伝記漫画(※6)のガボン、ランバレネの人々へのスタンスもほぼこれに近い。

高橋功による評価

 高橋功は野村實より後の時代である1958年からシュバイツァーが亡くなる1965年までの間シュバイツァーの下で働いていた医師である。高橋が勤務していた1960年にガボンが独立したこと、また、当時アフリカ諸国が相次いで独立していたこともあって、高橋の現地の人々に対する差別、偏見は野村ほど露骨には表れてはいない。

 ただし、シュバイツァーの論文「植民地にアフリカにおけるわたしたちの仕事」(※7)において植民地支配の下に統制されている諸民族は独立後に対立が生じることで緊張が激化するとの文章を引用した上で、コンゴ(コンゴ民主共和国)における部族対立による政情不安、ギニア、ガーナにおける反西側姿勢を東側諸国が利用する情勢を次のように評している。

 アフリカの植民地はたが(太字部分は原著では文字の上に点。以下同じ)をかけたおけのようなものであった。たががゆるんだらしめなおすという手があるが、たががはずれてしまっては水がもるいっぽうで、おけの用をなさなくなる。

高橋功 「シュバイツァー博士とともに」 白水社 P268

ここからは、植民地支配による秩序が独立後に崩れて政情不安が起きているとして、植民地支配の「秩序」を肯定的に見ている様子がうかがえる。また、1952年のシュバイツァーのノーベル平和賞受賞時講演で述べた、植民地支配がなくなって独立すれば民族対立が表面化して混乱をする、という主張を無批判に受け入れているほか(※8)、ローデシア(現在のジンバブエ)の独立運動家エンダバ二ンギ・シトレが、シュバイツァーの「白人を兄、黒人を弟」とする価値観の中に潜む(※9)差別的態度を指摘したことへ抗議をするなど(※10)差別、偏見や植民地主義、植民地支配に対する批判的観点がない。

 以上からすれば、高橋も野村同様にシュバイツァーの植民地観、アフリカ観に対して無批判であったと考えるのが自然である。(※11)日本でシュバイツァーが過大評価される要因の一つには、シュバイツァーに関わった日本人がシュバイツァーの差別、偏見に無批判であったこともあろう。

野村・高橋の文献を無批判に受け入れるべきか

 野村實、高橋功の文献については時代的制約といったこともあり、それらの文献を無批判に読むことは誤読を招くリスクがあると言わざるを得ない。だが、後年においてシュバイツァーを肯定的に評価するキリスト教関係者やその影響を受けた宗教学者はシュバイツァーや野村、高橋の文献に見られる植民地観、アフリカ観の問題点を軽視し、彼らの植民地観、アフリカ観の問題点を擁護する傾向がみられる。私個人はむしろそちらのほうが深刻であると考えている。次回以降、それらの文献に対する批判的な考察をして参りたい。

私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。

脚注

(※1) 高橋功の妻である高橋武子も現地スタッフとしてシュバイツァーの下に参加をしている。

(※2) 野村實「人間シュヴァイツェル」P48~P49 岩波書店

(※3) 野村「前掲」 P55

(※4) 野村「前掲」 P106

(※5) 「密林の聖者」とはどの視点によるものか-日本人のシュバイツァー観への疑問②-|宴は終わったが (note.com)を参照のこと

(※6) 「密林の聖者」とはどの視点によるものか-日本人のシュバイツァー観への疑問①-|宴は終わったが (note.com)「私のシュバイツァー観」を参照のこと

(※7) 「シュバイツァー選集4」P239~P251 (白水社)

 高橋が言及したシュバイツァーの論文「植民地にアフリカにおけるわたしたちの仕事」には、植民地における民族、種族間の対立の背景として指摘される、宗主国による現地の部族、宗教、階層などの対立を利用して支配する分割統治があったことに関する言及はない。

(※8) 高橋功「続・シュバイツァー博士とともに」 P123 白水社

 高橋が言及したノーベル平和賞受賞の講演は「現代における平和の問題」という題で「シュバイツァー選集6」(白水社)P131~P149に収められている。   
 その講演において、シュバイツァーは、悪性な国家主義が第1次、第2次の両世界大戦において力をふるったが、植民地から独立した民族についても悪しき国家主義がヨーロッパ以外にも及んでいるとして、「素朴な民族主義が、かれらの所有する唯一の理想となるという危険があります。そういう民族主義によって、いくたの地域で、これまで保たれていた平和が危険にさらされました。」(シュバイツァー選集6 P146 白水社)と述べている。
 このノーベル平和賞講演においても「植民地にアフリカにおけるわたしたちの仕事」同様、植民地の宗主国が意図的に民族間の対立を煽ったということには触れられていない。

(※9) (※5)同参照のこと

(※10) 高橋功「続・シュバイツァー博士とともに」 P166 白水社 
 エンダバニンギ・シトレのシュバイツァー批判は「アフリカの心」岩波書店(原題:"African Natinonalism")P185~P192に記されてあり、そこで言及されているのは白人を兄、黒人を弟と見なしていたことに対する批判だけではない。シトレは、ジョン・ガンサー「アフリカの内幕」においてシュバイツァーは(アフリカという)無秩序の社会では基本的権利が縮小される(べき)という考えで臨んでいる、との見解に触れた上で、シュバイツァーはアフリカの社会は組織化されておらず、安定していないためにアフリカの人々に人間の権利はないと考えているのではないかとして批判をしている。
 エンダバニンギ・シトレは後にローデシアの白人至上主義政権の首相イアン・スミスと妥協をし、ローデシア在住の白人の地位、財産、土地、鉱山などの権益保証を条件とするソールズベリ協定を結ぶ。この妥協が、現地の人々の反発を招き、1980年の独立に伴う選挙の際、シトレの政党ジンバブエ・アフリカ民族同盟(ZANU)はロバート・ムガベが率いるジンバブエ民族同盟愛国戦線派(ZANU=PF)に惨敗した。(伊藤正孝「アフリカ33景」 「大衆を裏切った黒人指導者」P194~P198 朝日新聞社)

(※11) 高橋が植民地主義に対して無批判なのは、高橋自身が日本の植民地支配下の朝鮮において京城帝国大学の医学部で学んだことに関する言及があるものの(高橋功「続・シュバイツァー博士とともに」 P217 白水社、「シュバイツァー博士とともに 第三集 P225 白水社」)、日本人の朝鮮人に対する政治的、経済的、社会的地位における差別、格差、人間の尊厳に対する侮辱といったことが日常の風景だったことに関する言及がないことからもわかる。
 なお、後に、朴正煕独裁時代にT・K生として「韓国からの通信」を岩波書店「世界」への連載を通じて民主化運動尽力した池明観は、高橋の「シュバイツァー博士とともに」を韓国語に翻訳したいと高橋に伝えている。(「続・シュバイツァー博士とともに」 P217)
 私個人は池とシュバイツァーの植民地観には大きな差があり、池が本当に訳して出版をしていたたとしたら、どういう意図で翻訳版の出版を目指したのかを知りたいと考えている。読者の皆さんで、もしお分かりの方がおられればお教えいただきたい。


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