2019.3.27 天才たちの棲むところ

こんな風に自分のことを書かずに「歌だけを歌っていれば良いではないか!」という思いは確かに僕の中にあるのだけど、なんだろうね、、とにかく、自分なりの様々な発見が嬉しかった。

20年歌い続けて、やっと気がついたことを自分の中に留めておくことができなかったし、その思いを忘れてしまうのが怖かった。

歌声紀行の取り組みを「違うのでは無いか?」とか「意味なくない?」って言う声は確かに聞こえてきそうだし、単純に音楽を楽しみたい人や、ミュージシャン受けも決して良く無いかも知れないけれど、誰かに否定されるって意外と重要で逆に嬉しい。
悔しさも同じくらいあるけれど、アンチがいるってことは、きっとシンパシーを感じてくれる人も現れてくれるって思う。
この先、僕にもっと実力と影響力が持てたら、この国の歌をもっとよくしたいって本気で思っているんだけど、ただ、今はできることをするしかない。

誤解してほしく無いのは「歌の良さ」と「音楽的な歌の良さ」は全く別物で、前者はそれこそ、世界中のそれぞれが持っているものだと思う。でも、歌声紀行は後者を求めている。
僕の中の前者は歌声紀行に記すことでは無くて、それはまた別の心の動きで成っていると思う。そっちの方はメルマガで配信中の「笹倉慎介の窓越しの世界」の表現かもしれない。 

歌はどうしたって、その人が滲み出てしまう。
隠しきれないそのものが、僕は好きだ。
そしてそれは、歌声紀行とは全く違うこと。じゃあなんで?って思われるかもしれないけど、その答えは簡単で、そんな歌をやっぱり最高の状態で届けたいって思っちゃう。
だって、どこの誰が聞いても自分の作ったものの良さを、ちゃんと良いものだって気がついて欲しい。万人にいいって言われるものは無いと思うけど、できる限りに気がついて欲しい。

ニールヤングも、ジェイムステイラーも、下手くそだったら僕のところまで届くはずなかった。そればっかりは真実。あの時代に世界に羽ばたいた歌には、秘密がある。音楽的な声の秘密がある。僕が憧れた人たちは、誰一人としてその定義から外れていないことに、ここ最近聞き返して驚かされている。

話を戻すと、僕は結果ではなく過程をここに記しているわけで、僕でさえ今日の取り組みが明日になれば違うってことは有りえるけれど、それがどんな風に違うのかが重要で、それはきっと僕にしかわからない。

じゃあなんで公開するんだよ、、って自分でも突っ込みたくなるけれど、公開することで緊張感を持ったり、自分の退路を断つ的な役割もある。この場所を利用させてもらっている。

「グラミー賞が獲れるまで」は「グラミー賞のレベルまで」が本当のところで、「獲れるまで」の方が潔いからそうしているけれど、グラミーを取ること自体に本質的な意味は無い。
ただ、僕も音楽を生業とする世界に身を置いているわけで、その社会的な最たる頂を掲げることで自分の身の程を知れる気がする。
僕が今何をしようが、ダサかろうが、これが僕が成長できる手段だと思っているから、この取り組みを進めるしかない。

天才たちの見ている音の景色が僕には見えているから、僕はそれを自分でも体現したい。

そしてまだまだ未熟ではあるけれど、歌う場所をいただけるのであれば精一杯「歌の良さ」を届けていきたい。

音楽的な歌の良さを求めながら、天才たちの棲むところに僕も足を踏み入れてみたい。


8:30に宮崎空港へ到着。
大変時間があったので今日の気持ちをしたためました。
さっき少し大きな揺れがあり、震源地は近くだったみたい。道中、何事もないことを祈る。


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