2019.5.6~7 装飾音符と心

目指す音程の前に、半音とか全音くらい下から、時には上から、瞬間的に音をスライドさせる。
はっきりと音程として見えるほどではないくらい一瞬なので、装飾音符としては大げさかもしれない。

これは意外とみんな無意識にやっているんだけど、すごく重要だと思う。
個性とかにもつながる、音の捉え方と言っても良いかもしれない。

そういえば、以前もそれを考えていたことがあって、、
あまり意識しすぎると、フラットしたりするから気にしないでいたんだけれど、ここへきてリバイバル、私的再評価!
以前は漠然とやっていたけど、今は最終的に持っていきたい音のイメージがそこにあるから大丈夫だと思うし、最初っからピッチを当てに行くよりもすごくやりやすいし、音楽的で、その妙が表現になる。

そうそう、
僕のバンドのレコーディングの時に優河のコーラスを録っていた時のこと。驚いたのは、実音へ行く前段階の音がすごいフラットしたところから始まっていて、それが瞬間的に駆け上がっていた。
ピッチを可視化できるエフェクトで見ると一目瞭然で、まるで滝のような波形だった。
それでも、瞬間的な出来後だから、聴く人にはその音の立ち上がりが何が違うのかわからないだろう。
何かが違う歌うたいには、そういう科学的な根拠も少なからずあって、そういうのを少しずつ見つけるのも楽しいし、とても勉強になる。

短前打音とか装飾音符を歌の中で意識することを再評価していて、そんなことを思い出した。

色気であり、味でもあり、表現という曖昧な言葉の裏には、小さな音符がちりばめられている。

■本当に心を込めて歌っている時というのは、この小さな音符が心の動きの様にキラキラするんじゃないかな

長い間歌い続けていて、人の評価を気にしたり、上手に歌わなければって思えば思うほど、この小さな音符が消えていって、つまらない歌になる気がした。

この小さな音符を見ようとすると、歌がとても生き生きしてくる気がする。
凝り固まった概念を、自由に行き来する。

小さな音符が、純正律や平均律を行ったり来たりして、時に倍音になって、人にしか歌えない、奇跡みたいなものが出来上がるのが、僕にはイメージできる。

いつかそんな風に、自由に歌えたら、どんなに幸せだろうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?