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2019.9.11 あとから来る恐怖

まず、有料の2019.9.7のnoteに追記をしました。
どうぞよろしくお願いいたします!
https://note.mu/utagoekikou/n/n7d1fd11ad887

今日は考え方のこと。

例えば、肩甲骨のあたりの背筋の使い方には様々な作用が考えられる。

舌骨と肩甲骨を繋ぐ舌骨肩甲筋にももちろん影響はあるだろう。
肩が肺への圧力をかけないようにする役目であったり、横隔膜を下方向へ留めることに連動していたり。

体のありとあらゆる場所が連動して、発声という目的のために働いている。

さて、もしも目的が10という声だとしたら、実はどんな方法だろうが構わないと思う。

10という目的のために、1を10個使うのか、2を5個使うのかは人それぞれだけれど、声にとって10を出し続けるといのは至難の技である。

一流歌手でも、難しい芸当なのだ。

ただ、10を作り上げるために、1を10個持っているのか、2+8なのか、2+2+6なのか、いろいろな場合があるだろう。

1を10個の場合は、2つ失っても8。しかし2+8の場合8を失うと2の調子しか出ないのだ。

よく、今日は調子が悪いとか、環境が変わり響きがつかめないとか、そういう状況があるだろうが、それはもう10の中の持ち球が少ないからだと思う。
声に調子もクソもないのだ。(明らかな体調不良や音環境の悪さは別として。)

歌声紀行では、0.1の積み重ねみたいな感じになってきているのだが、毎回毎回の発声毎に0.1を100個積み上げて歌うことなどできないから、それはそれでよくない。
しかしたまに、0,1がたくさん積み重なった1とか2とか5、みたいなものと出会う。
この先は小さなロジックが積み重なったまとまりのような感覚を見つけていくことも、かなり重要だと思うのだ。

先日有料にしたnotoは、実感として10のうちの5くらいのまとまりはありそうで、追記はそのまとまりを強化するようなものだ。

昨日はハードな歌唱現場だったけれど、その5のおかげで乗り切れた。
もしも5がなければ、今日の僕の声は使い物にならなかったと思う。
0.1を積んでこなければ難しかったでろうという実感は、ちょっとした恐怖であり、そのおかげで明日のライブにもなんとか問題なく望めそうである。

そしてその恐怖は、もっと高い舞台から飛び降りなければならい時まで、決して忘れてはいけないだろう。

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