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窓越しの世界2019.7.12〜18

みなさん、こんにちは。

今週も窓越の世界の金曜日です。
日曜日は参議院議員選挙の投票日です。様々な情報が飛び交い、否応無しにいろいろと考えてしまいますね。

選挙に関わらず、僕らの社会は戦いです。
経済というもの、資本主義という世界で、争うことが苦手でも、嫌いでも、戦うという認識がなくても、ありとあらゆる戦いの渦に僕らは巻き込まれてしまいます。

これは誰も否定できない。逃げ道はないのです。でも決して敵対的な戦いばかりではなく、本質的に戦いではあるけれど、戦いだとは思いたくない。そう思っている人ばかりでしょう?僕もそれを戦いとは呼びたくないのですが、、仕方がない。
もう、生きているだけで戦いの最中。戦わざるを得ないのは、生命の性でしょうか。

そうか、生命というのは、もともと殺し合い生きて行くもの。
可愛いうちのトトでさえ野良猫になってしまえば、、近所の猫と縄張り争いの死闘を繰り広げるはず、、

でも、そんな弱肉強食の殺し合いを、人間は経済という大きな仕組みで阻止しているのだ。バーチャルな殺し合いだけど、、

そう考えると、この社会も、殺し合いよりは悪くないし、むしろ微笑ましい。。そして別の方法もありそうだ。
戦争はあるけれど、僕ら平民は最小限の殺し合いで保たれていると言ってもいい。

なにはともあれ、今は今。

話をもどすと、そう、この社会は戦いです。

戦いは、負の時間を耐えたものが勝ちます。
政治、金融、スポーツ、あらゆる商売、、始めれば必ずどこかで負けます。
しかし、そこからの時間にこそ価値があり「どれだけ耐えられるか、どんな風に耐えるか」
それは、いつ来るかもしれない勝利の源となります。

それぞれの心の中に勝ち負けがあるとしたら、僕は今、負の時代を過ごしています。
自分の負から逃げ、それを補うもので身を固めていたこれまでを悔いて、負と向き合い始めています。
僕の場合、自分自身に対しての負の側面が大きいですが。

だんだんと感じるのは、負との対峙、対話そのものが、人間らしい、否、僕らしいな。と言うことです。それは嬉しい発見でした。

負を渡り歩くと、勝つこと以外のそんな予期せぬ喜びに出会えます。

そして、自分らしさを手に入れることは、勝利などよりも、もっと価値のあるものだと思います。


宮崎駿さんの「天空の城ラピュタ」で、シータが言いました。

土から離れては生きられないのだと。。

この世は、社会という土を、それぞれが耕し、苦悩し、喜びや悲しみに右往左往しています。
ある者は多くの実りに恵まれ、ある者は干ばつや日照りに苦しみます。

それでも、土から離れてはいきられないのなら、僕らは土を耕し、種を蒔き続けよう。
天空の城で暮らすことが勝利なのだとしても、高い空からは見えない自分らしい命の輝きを見つけよう。

昨日、車のエアコン修理の待ち時間に、、本棚にあったのはナウシカだったけど、、ちらっと読んで、宮崎駿、、すごいな、と改めて思い、シータの言葉も、深いなと、、思い出し、、

明後日の投票を控え、みなさん、どんな気持ちですか?

笹倉慎介


7/12【明日もどうか、】
7/13【モルヒネの時代】
7/14【過去の僕と今の僕が】
7/15【僕の鏡】
7/16【憶測はほどほどに】
7/17【カイトみたいに】
7/18【シャボン玉の心】
僕は、なんでもいいから、世の中のためになる研究がしたいな。

ほろ酔いの心に風が吹いて、そんな思いが弾けて消えた。

シャボン玉は、なんであんなに潰したくなったんだろう。
どうしても、追いかけて触れたくなる。

早く触れないと、弾けて消えてしまうから?
不思議で美しいそれが、本当にそこにあるのだと、実感したかったから?

僕は今でも、シャボン玉の心を持っている。


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