見出し画像

2019.7.17 さざ波無くして大波は無し

選挙シーズンです。感動するスピーチ、決まり文句のスピーチ、様々な演説が日本中で繰り広げられています。僕もこの社会の一員ですので、政治のゆくへは気になりますが、なんだかすごくモヤモヤするのは、やっぱり何も変わらないんだろうなという絶望感が拭えないからだと思います。ちょっと考え込んでしまっていますが、まだまだ政治とかがデリケートな話題だということを、家族や友人たちと話していても感じます。

この国の宗教アレルギーにも似たそれを克服するには「もうムードしかないなと」思うわけですが、そのムードを作り出すことは並大抵では無いし、僕がいくら考えたところで、お手上げ状態。結局は個人が各々の生活と向き合うしかないわけで、、、そんな考えに至る経緯を書いてみました。そして大前提として、政治を、政治家を応援すること自体がムードになってしまったら、「それは本当の意味でのムードではない」と理解しておくべきだと思います。

まず、ムードの持つ力って、すごいなと思うんです。例えば僕たちは電車に乗るために並びます。しかしそれは「割り込みをしてはいけない」という共通認識があるから成り立つ秩序であって、タバコの分煙が進んだのも「タバコは健康に悪い」という共通認識が広まったからです。共通認識、それはムードの源。

情報や知識という共通認識が広まれば、それがムードになって、それに向かって世の中は再構築されていきます。

例えば、今の禁煙ブームです。僕が子どもの頃は、バスや電車、病院の待合室、学校の教室でも、タバコの煙がいつもプカプカしていました。
2000年くらいから?もっと前かもしれませんが、当時喫煙者だった僕は、駅の喫煙所がホームの一番隅に設置されたのに不便さを感じました。それから約20年、世の中のムードは少しずつ変わりました。今ではすっかり、煙草は社会の隅に追いやられています。僕も禁煙に成功して早10年。

これはある種、ムードの政権交代だな〜って思うんです。そしてこの先、政権が再び変わることはないでしょう。なぜならば、善悪で言えば、多くの人の体にとってタバコは「悪」だからです。それをちゃんとみんなが共通認識として持つことができたからです。

そこにあった悪はどうなったかと言えば、分煙を徹底し、パッケージにも健康被害を示唆する表示を付け加え、悪が悪と認めることで、社会の中での共存を求めてきている。そしてその悪とうまく折り合いをつけながらやっている。電子タバコや代替商品が生まれて変化が起こる。

改めて、ムードってすごいなと思うんです。でもそれを作るには時間がかかる。タバコは善悪が見えやすいけど、それでも今のムードになるまで20年くらいかかっている。源流は多分、もっとずっと前から。

そこで、政治は?世の中は?その善悪をムードにするには?

僕の今の頭の中では、、無理。

無理だけど、自分の目の前に転がっている問題を解決するために、今の社会を勉強して知ることぐらいは始められる。こんな控除があったのか、、こんな補助金があったのか、、税金を抑えるための方法、、。それぞれのライフスタイルで、今の法制度がどこまで有益に使えるかをまずは探す。たくさんの人がそこから真剣に取り組み始めることが「はじめの一歩」で、それしか思いつかない。それが見えてきて、やっとその先のことが考えられる。

現在の社会の土台の上で何が自分にとっての最適なのか?
それを確かめることは、踏み込んでしまえば意外と楽しい。そしてそれを補助するための機関が、知恵を授けてくれる場所が、ハローワークみたいにあればいいなと思う。そして何より、グレーなところを知れたほうがいい。なぜならば、富を得ている人たちの多くが、そこをうまく渡り歩いているだろうから。

例えば、僕たちは人気レストランの外で行列を成しています。何も疑わず、自分の順番が来るのを待っていますが、行列に並ばずに店に入っていく人をちらほら見かけます。しかし僕らは並ぶ術しか知らないので、只々待ちぼうけをするしかない。

ではなぜ、並ばずに店に入れる人がいたのでしょう?それは「予約をしていた」ただそれだけのことです。人気店に予想される行列に対して、僕らはそれを見落としていた、知らなかった、さらには何も考えていなかった。

この社会は大なり小なりそういうもので、情報や知識、知恵、やり方を知っている者が勝つ。

単純なことですが「サイトを探して予約をする」みたいなことを、多くの人が実行するれば、そこからフェアな競争ができる。

実社会にはそれの応用編がずらりです。目的に対して実行する頭の使い方や発想は、少なくとも僕が受けてきた教育では身につかないと思う。だから、そういう教育が、子供にも大人にも必要だと思います。そうやって、少しずつ個人が自分のための知恵を蓄えることがこの国をもっと知る方法で、その知恵がムードになってようやく社会が動き出すのだと思います。

僕みたいに、会社を持っていたり自営業者なんかは、そういうことを止むを得ず知るしかないのだけれど、これからの社会のムードを作るには、雇用されている人達も、もっと仕組みを知る必要がある。副業ができる企業が多くなるというのは、そういう意味では追い風だと思う。

競争率が高くなってますます格差が生まれるという懸念もあるけれど、僕らは列を成すことのできる国民性だから、そんな教育と知恵がムードにまで高まれば、きっと秩序をもたらしてくれると思う。

また、たとえ政治が良くなったとしても、政治が僕らをなんとかしてくれるってことは考えないほうがいい。根本的な自己解決にはならないという大前提で投票にはいくけれど、宝くじを買うくらいの感じで思っていた方がいいと思う。(ただ、大当たりが出やすいお店くらいはリサーチするような感覚は必要)

これまで、幾度となく政治に期待してきた。政権交代や、改革、のろしを上げた様々なヒーローに胸を掻き立てられる度、その熱さも喉元を過ぎれば冷めて、薄れて行くものだと知った。ヒーローたちも、どこかへ消えた。そして、この国の中ですら争う姿に、ほとほと呆れる感情も生まれ始めた。

結局はことの始まりから見つめなければ、全てが茶番です。
第二次大戦後、戦いに敗れ傷ついたこの国の復興は、そのまま勝利国アメリカの財産となりました。負け犬が力をつけ、飼い主に牙を剥こうとした時、この国はもう一度大きな傷を、今度は経済に追わされました。

昭和、平成を生きてきて思うのは、政治、経済、娯楽、その多くが、ただの鎮痛剤、モルヒネにすぎなかったのか、、、、ということです。真理を受け入れる体力はもう無く、ただただ延命措置を繰り返す時代が平成。。。だとしたら令和は、新薬を生み出してこれまでの病を克服していく時代だと思いたい。

その新薬とは、日進月歩のテクノロジーでしょう。僕は専門分野ではないのであれですが、そのテクノロジーと知恵が人々の道しるべになると感じています。ITの世界で日本は大きく出遅れたと言います。プラットフォームはシリコンバレーに奪われ、僕らの富は常に海外へ流出しています。それでも一矢報いようとしている研究者たちがこの国にいることが救いです。

例えば、僕がどんなに歌を歌っても、明日からのあなたの生活は変わりません。でも、何かが変わる足がかりにはなる。ムードの源にはなれるはず。そして、そのムードがテクノロジーと手を組んで、さらに大きなムードを作り上げていって欲しいと願います。

僕もしかり、たくさんの小さな声が、さざ波を立てています。小さくても、それが全ての始まり。さざ波無くして大波は無し。そう思うほどに、今日本中で声を上げている政治家の皆さんにも、エールを送りたい気持ちが湧いてきます。残念ながら期待を抱くことはできませんが、それでも、頑張ってほしい!!

そして僕らは、僕は、僕を、あなたは、あなたを、見つめていればいい。



 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?