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歌声紀行/2020.3.8 シンガーソングライターというアーティスト

たまに音楽以外のアーティストと話をする機会があるのだけど、いつも何だかすごく自分の表現を紹介する事をためらってしまう。

シンガーソングライターというのは、言わば裸の王様で、自分の心の弱さや闇を露呈しているようなもの。あるいは自分の心の中の宝箱を開けっぱなして表現をしているようなもので。

そんな表現を、自己紹介するなんて、そんな恥ずかしい行為って、、あるかい〜〜!!って自分でツッコミを入れたくなるのだ。尻込みをしてしまい、結局何も伝わらない。伝えるためには歌を聞いてもらうしかないのだが、社交場でそれは叶わない。

時々、絵や物に心を落とし込めるアーティストが羨ましく思う事があるし、同じ音楽家でも演奏家たちの社交性にとても関心してしまう。

そんな時、自分以外の形に表現をアウトプットできたのならばどんなに自己紹介の荷が軽くなるかと想像するが、考えても意味のない事だろう。

表現が自分自身と直結するものを「売る」ことにためらいは無いが、それを自らで紹介、或いは営業するという行為は、なんて滑稽な様だろうか。そんな思いに日々蓋をして、生きている。


数日前の午後、曲を書いていたんだ。西日が差し込む部屋の陽だまりの中で。

言葉とメロディーが同時に出てきて、その言葉とメロディーに僕は号泣してしまった。涙が止まらなくて、途中から歌えなくなって、そんなに泣けた自分にちょっとホッとした。

トトがこちらを見て、不安そうにしていた。

そんな風に自分にとって大切な瞬間を歌にして、ただそれだけで本当はいいはずなのに、それを売り込むためのことが、生きていくために必要なのだろうけれど、その事に矛盾を従えている。

肯定することはいくらでもできるが、その矛盾を抱えているという事を忘れた時、僕はアーティストでは無くなり、ただのシンガーソングライターになるのだろう。

これは、一つの側面に過ぎないのだけれど。

僕はその矛盾を肯定するために、歌を、心を表現できる「物」としての一級品に仕立て上げたいのだろう。

心は誰でも持っている。
それを売るのであれば、僕が納得できる形にして届けたい。

自己分析をすると、そういう事になる。


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