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2019.8.27 五度の調和

ここ最近フィジカルなことをあまり書いていないが、進展がないわけではなく悩んでいた。

肺の圧力を作るための横隔膜の動きをコントロールするみぞおちの感覚と背筋のバランス、そして下腹部との関係、頭部全般での共鳴、さらには、舌骨と肩甲骨を繋ぐ舌骨肩甲筋なるものの出現によりこれまで肩甲骨をなぜ意識せざるを得なかったのか?という問いへの糸口がみつかったり。

また、高音域を歌わざるを得ない状況に対するアプローチをしている過程で、音域によっての各部位の使い方のおよそ検討がついてきた。それについては検証中。

そんななか声の中の倍音の解釈について、一つの仮説が生まれる。
それは、声の中の五度を強調して基音と調和させることが、良い音色を生み出すのでは?というもの。

これまではオクターブ上のピッチを同時に出す感覚、つまり2倍音を同時に出す感覚を意識していたのだが、今朝歌唱をしている時、自分の声単体の中にハーモニーの存在を確かに感じた。

同じ発声でも、一つの声がハーモニーになっている場合の響と、そうでない響が確かにある気がするのだ。そして注意深くその声の中を観察すると、それは五度の調和に思えた。

五度の音ははっきりと聞き取れるわけではないが確かに響いて、調和している心地がある。体感でしかその存在を確かめることはできないが、先日購入した倍音アプリで確かめると、はっきりと五度の音が振れている。

そもそも、連続する振幅の中には倍音が存在するので五度が出るのが原理だが、発声においては「五度を強調する響き」を作れることが一つの鍵のような気がする。

五度は、倍音の中でも基音の次に出てくるハーモニーの音だ。
2倍音はオクターブピッチ、そして3倍音が五度に当たる。そう、五度は倍音の中でも一番はじめに発生する和声。そして感じやすい音域にある。

話は変わるが、昨日ピアノの音を聞いていて、なんとも言えない気持ちになった。1音1音がとても美しいのだ。ピアノは1つの音の中に倍音のハーモニーを纏うことがとても優秀な楽器だと思った。
ピアノ弾きには本当に憧れる。いつかピアノの弾き語りをと思いつづけて何年経つだろうか。豊かな音に包まれて、それに調和する声を重ねる。想像しただけで幸せな気分になる。
先日の純正律の話にもどるが、そもそも平均律で演奏していても単音自体に純正律の響が存在するので、そう考えると、、感慨深い。感動する。

さて、ピアノのように「確固たる楽器ではない声」をそのように響かせるというのは至難ではあるが、原理を考えると近づけないことはない。

前提条件として、安定した圧力を声帯にかけて、それを一定の振幅で連続させること。それは安定した倍音を発生させるために必須だ。
そして、その響きを体の中でどう導き外へ誘導するか。

難しそうに聞こえるが、イメージができればいい。基音と五度の調和。単音がハーモニーになっている感覚が見えれば体は自然についてくる。
そして、1音1音変わる響の道筋をそんな風に自在に操ることが可能なのはもしかしたら人間の声だけかもしれないと思うと、、なんだか、ワクワクが止まらない。それは少し怖いことでもある。武者震いのようなものだろうか。

イメージは身体性を補う。

そして、イメージを助けてくれるのは他ならぬ、身体性である。

具体的な検証は、身を以て、、精進するしかあるまい。

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