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アイデンティティ形成の分岐点

僕は恐らくアイデンティティ形成の分岐点に立っています。

哲学の入門書などを読んだ時にとても精神的に苦しくなる自分がいて、何故だろうと考えたら行き着いた答えです。

そもそもとして僕はアイデンティティの形成が上手くいっていない実感があります。昔から楽しいことが少なくて興味関心が薄く、また他者に影響されがちで友人がハマっていることに関心を持ち僕もハマる事を繰り返していました。普通の話にも聞こえるかもしれませんが、一般と比べてもその傾向が強いと客観的に見ています。

さて、アイデンティティ形成の分岐点に居るのなら、安易に易きに流れたくはありません。効率主義に偏るわけでも無いのですが、やはり今後に大きく関わるのなら、納得のいく選択をしたいと望みます。

僕の好きな分野を学んで形成していくというのが一番良さそうですし、僕もそう思います。けれど、そもそものアイデンティティの地盤が不安定で、好きなことという目印すらぼんやりとして危ういのです。

率直に困っています。

人並み以下とはいえ、好きな分野はあります。ゲームデザイン論、知的生産の技術(主に書く方面)、デジタルツールの活用、文章を書くこと、ゲームをプレイすること。

これらの中で1つに絞るというのでも無い気もします。横断的に関連を見て新しい分野を開拓するというのも有るでしょう。

怖いのかもしれません。決断してそれ以外を切り捨てるのが。僕は昔からオールラウンダーという言葉や器用貧乏というのが好きです。何でもそれなりにこなせるという事に憧れます。好きな天才は万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチです。モンスターハンターでも全ての武器を使って楽しんでいました。

憧れど、それができる遺伝的能力が有る気はしません。努力でどうにかなる範囲にもないと思います。弱者たる僕は何かを諦めなければ人並みにすらなれないでしょう。

でも怖いです。他の可能性に目を瞑ることが、他の可能性の芽を摘むことが。

千葉雅也さんの著書「勉強の哲学」ではそれを成すために享楽(自分の興味関心)を使うことを教えてくれました。では、享楽が人並みに機能していない人間はどうしたら良いのでしょうか…。

僕が人生を賭けてやりたい事が有ります。それは知のユニバーサルデザインを作ることです。

僕は知的弱者です。自覚があります。そんな立場にいる自分含めた人達が、楽しく知的能力を高められたならこんなに素晴らしいことはないと考えています。

それには僕の好きなゲームや知的生産の技術、書くこと、全ての関心事にハイレベルな思索と実践が必要だと感じています。怖いです、先述の意味ではなく、目指す先が見えてもそこに行き着けないかもしれない自分の弱さが。悔しさを今の時点で噛みしめるような、弱いプライドが見せる恐怖です。

知のユニバーサルデザイン、それが僕の目指す先なのかもしれません。怖くて回り道をして、見るに堪えない文章を書いてしまいました。

少しずつ歩みを進めます。noteにもその近況を伝えられたらと思います。


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