はるまきごはんに贈る、過去形のファンレター。

つい昨日、Kqckさんのnote「"ポストボカロ"とその周辺についての自己解釈」を面白く読んだ。このnoteは、その読後の所感として書きつづったものですが、結果としてはるまきごはん論が大半をしめることになったため、いっそのこと、そちらを標題とすることにした。さて。

このnoteのなかで、Kqckさんが、僕の執筆したnote『「ボーカロイドの歪み」についての所見』について、立場の相違にもかかわらず、かなり丁寧に引用・紹介してくださったことに、まずは感謝したい。なかでも次の一文は、僕の意図するところを、的確に言語化してくれたものと思っています。

つまりutakikiさんは、
踏み台としての機能があることで、ボカロシーンに新陳代謝が生まれ、シーンの恒常的な活性化につながる。また、そのおかげで"音楽の楽園"たるマイナーボカロシーンは守られる
というような思考のもと、

一見すると断絶しているように見える、ボカロの「メジャーシーン」と「マイナーシーン」を、どのような視点から見れば、一体のものとして認識・説明できるのか。このことが「歪み」noteを執筆したときの問題意識だったわけですが、その言い尽くせなかった部分が、外からの視線によって見事に説明されてしまったことには、率直に驚きました。ありがとう。

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それにしてもKqckさんのnoteを読みかえして、あらためて驚くのは、僕のなかに、ボカロPがよりメジャーな音楽シーンに転進することに対して、「寂しい」という感情がまったく欠落していることです。あるいは僕の「心というプログラム」は、どこかに不具合でもあるのでしょうか。自意識としては、そうではない。その弁明として、具体例で話しましょう。はるまきごはんという、現役のボカロリスナーなら(たぶん)誰もが知っているボカロPがいます。楽曲を聴きましょう。

崇高とさえいえるミクの高音歌唱に魅力のある、清々しいポストミックです。16年10月に投稿された、はるまきごはんの13作目にあたります。同年1月に投稿された「銀河録」のスマッシュヒット(初の殿堂入り)以降、投稿するたびに「前と似たような感じ」とか「作風が固まっちゃったね」といった、一部のリスナーから揶揄するコメントがつくという状況のなかで、そういった声を全部まとめて黙らせたのが、この「フォトンブルー」という名曲です。同曲が収録されたアルバム「BLUE ENDING NOVA」も実に素晴らしいものでした。ただ僕がまさに「寂しさ」を感じたのは、このアルバムの終盤の「ネオンノクチューン」という楽曲を聴いたときです。検索をかけたところ、一部試聴できるサイトがありました。

聴いてみればわかるとおり、それまでのはるまきごはんの魅力だった、高度なポストミックと希有なミク歌唱をさしおいて、エレクトロな要素をとりいれ、お洒落ポップスを志向した楽曲になっています。けっして音楽として魅力がないわけではありません。しかし僕は、今後はるまきごはんはこの方向性に進んでゆくだろうなという、漠然とした予感とともに「寂しさ」を感じました。その予感は、少し時間は空きましたが、18年2月に投稿された「メルティランドナイトメア」で、結果的に的中することになります。そしてこの楽曲は、はるまきごはん史上で最大のヒットを記録することになりました。

素晴らしい楽曲です。しかし、かつて僕が愛したボカロPとしてのはるまきごはんは、ここにはもういません。こんな言い方をすると、まるで彼の成功をくさしているようですね。そうではありません。このときには優秀なミュージシャンである彼が、より大きなメジャーシーンで評価されてゆくことへの、「嬉しい」という感情のほうが大きくなっていたと思います。そうです。はるまきごはんはもう、僕のなかでは「卒業」してしまったのです。おめでとう!

現在のはるまきごはんは、さらにメジャーな音楽シーンで勝負できるところまでリーチしている、トップレベルのボカロPの一人ですが、今後どこまで音楽シーンを上りつめることができるかは、まだ未知数です。でももう後戻りすることはないでしょう。そして同時に、これからのはるまきごはんが、仮にボカロ曲をひとつも発表することがなかったとしても、僕は「寂しさ」を感じることはないでしょう。いまになって名曲「フォトンブルー」とアルバム「BLUE ENDING NOVA」を聴きなおせば、彼はもうボカロPとして、やることはやりきったんだということが分かりますから。あとにはもはや、初音ミクを起用して素晴らしい音楽をのこしてくれたことへの「感謝」と、ミュージシャンとしてより大きな舞台で成功してゆくことを「祝福」したい想いしかありません。

このnoteの標題は「過去形のファンレター」としましたが、僕がこれからも、はるまきごはんのファンであることには変わりはありません。かつてのように、新曲を心待ちにして、投稿されたらその日のうちに聴くことがあたりまえだった日々には、もう帰ることはないとしても。「ボカロ」に束縛されることなく、ミュージシャン・音楽家、あるいはアーティストとして真摯に歩んでいただければ、かつての熱心なファンとしては嬉しいです。たとえば天体観測のように、遠くから見まもっています……

なんだ。こんなnoteを書いてたら、やっぱり寂しくなってきたじゃないか。BGMはこの曲で。ちなみに15年8月の投稿です。

寂しくなったのは、たぶん、この曲を聴いたせいですね。

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しかし、マイナーボカロの寵児だったころのはるまきごはんの楽曲を聴きかえすと、彼のなかにエレクトロ音楽への志向がこのころから存在したのは間違いないですね。見当違いな思い入れで、思い込みの愛を感じていたのは、あるいは僕のほうだったのかもしれません。楽曲を紹介することで、ご容赦願いたい。15年3月の投稿です。

この楽曲としてはまだ未完成の音楽のなかに、大きな才能の原石をたしかに見いだし、それを支持してきたことは、どんなにはるまきごはんがビッグになったとしても、ボカロリスナーは誇りとしていいはずです。違いますか。そしてまた、たゆむことなく新曲を聴いてゆきましょう。

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はるまきごはんの話が、だいぶ長くなってしまいました。当初の話題に戻りますが、あとはもうざっくりとゆきますよ。Kqckさんのnote。タイトルはそのまま「踏み台論」のほうがよかったのでは。「ポストボカロ」という言葉を使うと、どうしてもやはり、「ボカロ」という事象そのものに対する「それ以降」というニュアンスになってしまう気がします。言葉の定義については、より専門の方にnoteしてほしいところですが。また「踏み台論」についての、以下の指摘には全面的に賛同いたします。この認識を共有してくれたことは、率直に嬉しかった。

たしかに、踏み台という言葉の悪い意味での"強さ"はあるにしろ、このような論争が巻き起こるのは必然だったと思います。決して、誰かの失言で「踏み台論」が荒れたのではなく、これからのボカロシーンが多かれ少なかれ向き合っていかなくてはいけない大切な問題なんだと思います。

また、これまで散発的にくりかえされていた、「米津ルート」や「Youtubeに"ボカロシーン"はない」といった議論を、分かりやすくまとめてくれたという点で、持ち前の「エモさ」だけではなく、資料的価値のあるnoteだと思いました。あらためて、ありがとう。ライターとしてのKqckさんの、さらなる活躍を楽しみにしています。

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